『教養としてのエントロピーの法則』を読んで
気がつけばこの世界に生きており、よく考えるとわからないことばかりで、わからないことは怖いから、安心して生きていくためにこの世界がどんなものなのか説明しようと探求し続けてきたのが人間の知的な営みだ。
自己とはなんなのか?目に見える世界は本物か?神とはなんなのか?心とは?
科学や宗教や理性をどんなに煮詰めてもたいてい100%の答えはないけれど、宇宙レベルでこれは絶対的な法則だというものがある。それがエントロピー増大の法則。
簡単にいうと、秩序のあるものは秩序を失っていく方向にしか動かないということ。熱いコーヒーは放っておけば冷めていき勝手に熱くはならないとか、コーヒーにミルクを混ぜたら元のコーヒーには戻らないとか、そんな感じ。
それはそうだろ、と片付けることもできるが、大事なのはそれを物理現象だけじゃなく抽象的な現象にも当てはめて類推することだと思う。
例えば、自分の意識。自分の意識も放っておけばどんどんひっちゃかめっちゃかになっていきノイズが溜まっていき無意識的なストレスになっていく。だから、たまに立ち止まって深く内省したりして自分の意識の秩序を取り戻す時間は自分の安定性を保つのに欠かせない。
組織とかの集合意識もそうで、放っておいて結束することは現象としてありえないと思う。集合意識の秩序を保つためにはエントロピーの状態をウォッチする必要があるし、エントロピーを低く(=秩序が保たれている)するためにはどんな作用が求められるのか見定めなければならない。
このように、どんな原則のなかで生きているのかを認知することは世界や人間の不可解な挙動に対して「なるほど、だからか」と納得するうえで重要な営みだと思う。
うちの店が根を張る元旅館玉乃井も築100年を超え、エントロピーは非常に高い状態だ。経済的合理性の範囲で考えるのならばおそらくいま形は残ってないはずだ。それでもいま現実に姿があるのは、その絶対的な法則に抗おうとする人々の想いと行動によって反作用しているからだ。
そう、エントロピー増大の法則のほかに、遺伝子やミームとして「残す」という欲求は生物全般の最重要命題だと思われる。
残したいという原始的な本能と、万物は絶対に崩壊していくという法則が共存している。そんな世界に生きている。
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