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人口減少から奇跡の温泉の町になるまで

「奇跡の湯」とも呼ばれる効能を持つ温泉がある町があります。

その町は、北海道の北部にある豊富町です。

豊富町の歴史は、鉱業の衰退による人口の減少など、きらびやかなものではありませんでした。

そんな、豊富町の歴史を遡って見ていきましょう。

歴史

豊富町は、かつて、良質の石炭や石油、天然ガスを産出するなど、鉱業が盛んでしたが、コストの面で採算が合わないことから炭鉱は閉山してしまい、人口が減少してしまいます。

この危機を脱却するために観光産業へ転換するという一手に出ます。

観光地として、日本最北の温泉郷である「豊富温泉」・利尻礼文サロベツ国立公園のサロベツ原野など、現在では年間およそ30万人が観光に訪れています。

そんな、変化を辿ってきた豊富町の歴史を、年代ごとに主な出来事を見ていきます。

年表

1869年 開拓使が置かれて、水戸藩の支配に属します。

1870年 「ワッカサクナイ」に官設宿泊所が設けられます。

1878年 天塩郡内がかく村に区画されて、沙流村(豊富村)の永生まれます。

1903年 豊富町の開祖である梅村庄次郎が12戸の岐阜団体を組織して、移住民として兜沼に入植します

1907年 柏倉玄融大谷派説教所(光寿寺)を開設します。
    豊富八幡神社を建設します。

豊富八幡神社

1911年 北見山脈一帯が山火に襲われて、村内も甚大な被害に遭います。

1919年 幌延、沙流(豊富)両村が合併して、幌延村となり2級町村が布かれます。

1926年 幌延、兜沼間の鉄道敷設工事が竣工して宗谷本線が全通します。 石油試掘中に温泉が噴出します。

1928年 拓殖軌道下エベコロベツ線が竣工します。

1931年 冷水害によって大凶作となってしまい、大量の政府米の貸付を受けます。

1937年 日曹鉱業所が開鉱します。
    日曹炭鉱専用鉄道が山元まで全通します。

1940年 旧沙流村(南沢地区を除く)を以って幌延村より分村し2級町村制を施行して豊富村と称します。

1945年 豊富村国民義勇隊が結成されます。終戦です。

1947年 三菱鉱業株式会社が豊幌において炭鉱採掘開始されます。

1957年 北海道電力株式会社が豊富にガスターピン発電所を新設します。 兜沼市街に簡易水道設置します。

1958年 町営温泉元湯館が新築し事業開始します。

1959年 町政を施行して「豊富町」となります。

1965年 利尻・礼文・稚内・豊富町の一部が国定公園に指定されます。 豊富温泉スキー場および遊園地が設置されます。

1966年 豊富駅が新築落成します。

1969年 豊富町役場庁舎が新設されます。

1972年 日曹炭鉱が閉山します。

1974年 サイクリングロードが完成します。(5.5キロメートル)
    利尻、礼文、サロベツ国立公園に認可されます。

サイクリンングロード

1984年 郷土資料室が開設されます。

1987年 サロベツ原生花園自然教宅(ビジターセンター)が開館します。

サロベツ原生花園
エゾカンゾウ(写真提供:認定NPO法人サロベツ・エコ・ネットワーク)

1992年 豊富温泉が国民保養温泉地に指定されます。

1995年 兜沼オートキャンプ場が完成します。

1997年 日曹炭鉱跡碑が建立されます。

日曹炭鉱跡碑

1999年 湯快宿がオープンします。

湯快宿

2000年 豊富牛乳公社の新工場が稼働します。

豊富牛乳公社

住所:北海道天塩郡豊富町字上サロベツ1184番地

豊富町で起こった出来事の全てはご紹介出来ていませんが、私が気になった出来事をピックアップしました。

いかがだったでしょうか。

豊富町が、日本最北の温泉郷のある町と呼ばれるようになるまでの道のりを見て来ましたが、大きな変化を乗り越えて今があるのが分かります。

歴史を辿ってみることで、豊富町のいろんな側面が見えてきますね。

それでは、またどこかの土地の歴史でお会いしましょう。

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