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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

シン・エヴァ感想リンク(ネタバレ)

自分の感想は後日書くつもりです。

長かった10代の終わり、エヴァが想い出になった日。(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想 ※ネタバレ注意)
https://note.com/shota_/n/n851f4b3faec1
たいへん素晴らしい感想と評論。もしかしたらエヴァは「その人の持つ美質を表に出す」事を励起するコンテンツになったのかも知れないな、と思った。それは普通だったら対人関係の中でゆっくり醸成されるしかない働きなのだけれど。SNSでも拡散されて絶賛されている。わたくしもこれまでの初見インプレッションとしては最高だと思う


「友人だったオタクの葬式に行った」
https://twitter.com/hiroerei/status/1369320034959458306
広江礼威氏のシンプルにして的を射た「短文で斬る」ツイート。

これには失笑してしまうが、リアルとはこういうもんであろう
https://twitter.com/yomooog/status/1368824526675447811

後々までアニメプロバーの方々から薄っぺらいと叩かれた入り方。はい俺もです。でも別にいいだろ。
https://twitter.com/sosaidkay/status/1368929144004771847

#シンエヴァンゲリオン 劇場版 の葬式で死んだと思った点
https://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2021/03/09/045329
辛口、感情的ながらも批評眼は鋭く、とくに演出と作画についての採点には傾聴するべき点がある

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』が描いた、『エヴァ』と『ヱヴァ』がやり残したこと。
https://note.com/tunacan/n/n4e657cc42bb7
例の「村」のくだりの解釈に膝を打った

シン・エヴァと視線の物語(見終わったら、2周目前に読もう)
https://note.com/fladdict/n/n5dfd643b1cf9
そうだね、確かに目は口ほどに物を言うね…ヤマアラシよりずっと遠くとも、射すくめる目は人を刺すし、それ以上に遮蔽された目はもっとも有効な拒絶のシンボル。

シンエヴァと渚カヲルのこと ※ネタバレ有り
https://anond.hatelabo.jp/20210310123827
わたくし長年エヴァの重要構成要素であるBLについてよくわからないままここまで来たのですが、刺さった「腐」の方々はこんな感興を持つ(一部かもしれないが)んですね。そうなんだ…。
しかし依然としてカヲル君はシンジへの純愛を貫いてはいると思うんだけどな? (多少フォーカスがずれてはいた点は反省していたが)
どうも腐にとって究極の人間関係は「一対」だけみたいだな。恋人に友達付き合いがある事すら許してもらえないのか…
カヲル君に性欲が有るかか無いかでいえばあるんだろうし、あわよくばシンジ君とアナルファックのひとつもかましたいであろうとは思うんだが、しかしどうも「常時賢者モード」て気がするんだよね俺は。「まあいろいろ画策すればヤれなくもないだろうが、そこまでガツガツしてないし、シンジ君はいつ見ても痛々しく傷ついててそれどころじゃないだろうし、だから今は優しくする事だけ考えよっか」程度のポテンシャルなんじゃないかなあ。それに多分カヲル君のあの余裕は多分ヘテロもホモも両方相当経験の蓄積あっての事だと思いますよ。だってゲンドウの上位互換みたいな存在でもあるもの(今回判明した)。

シンエヴァ自己解釈考察【⚠️ネタバレ有り】 渚カヲルくんの2つの呪縛について
https://fusetter.com/tw/JTqRPhw4#all
この「2つ」についてはまず異論ないでしょう。カヲル君は暁美ほむらだった……!!これだけわかったような事をベラベラと喋る雰囲気キャラであるからには、世界のロジックを全部把握していると思いきや、実はそんなんでもなくて、庇護するべきシンジが目覚ましい成長を遂げると、初めて自分の至らなさを知る、と。そう、いつも「わかった」という事は過去形でしかやってこない!円環から逸れてシンジのいないホームからレイとともに別の路線へと旅立つ事によって、初めて彼にも祝福が訪れるのです!


次。シン・エヴァ感想リンク(闇編)。

「キモチワルイ」 シン・エヴァンゲリオン感想・考察
https://note.com/wakari_te/n/n0ba0c462e025
わたくし、よくよく人格が薄っぺらいのか頭が弱いのか、力ある表現に触れると「お、俺もそう思ってました!」とコロッと宗旨変えをしてしまう安い人格なのですが(ミームとはそんなものであろう)、今回したたるような憎悪に溢れたこの評論を読み「その通りだ」「まさにそう」等といっとき確信してしまいました。まあ一呼吸置いて再読するとやっぱりさらに思い直し「そうは言っても俺ここまでの圧は無えわな」「ちょっと辟易してまうな」などとリミッターがかかりました。染まりっぱなしというわけでもない。
 さて全体的には好意的な批評が多い中「そこまで世の中綺麗なもんじゃなくて、もっと辛辣というか否定的な感想が当然あるであろう、それはどのような形になるのか?」と思っていました。その中でも相当怨嗟にあふれた一編。確かに一理あります。そしてこれを書かざるを得ないどうにもならない内圧は伝わります。
また「シン・ゴジラ」を希望の虚構を断じる冴えた批評眼は、つらいけど刺さります。現実がぜんぜんそれとは程遠いから。
というところでこれ。この方はまさしく阿修羅の裔。あらゆる慰めから訣別しています。この方の筆鋒は確かに苦痛に溢れた不快なものではありますが、的外れだったり解像度が甘いとも思えず、書かれるべくして書かれた力ある評だと今は思います。
ただ、初見の僕自身の感慨が、「希望を持ちたいが故の「進んで騙されたい」さもしさ」だったり怠惰さだけではないという妙な確信があります。
なので、かなり相容れないものだなとどうしても思ってしまいました。
(いかん、リンク集のつもりなのに俺が語ってしまった)


追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」
https://note.com/kotorigeika/n/nad89dd308a22
もう一つ相当に批判的なレビュー。悲憤とはこういう事か。
ものすご毒づいてはいるのですが、この方はキレっぷりが芸になっていると思いました。
どうにもならない、しぼりあげる嘔吐のような悪意というよりはこの評自体が一つの優れたパフォーマンスであると見えます。わたくしは楽しみました。
表現者は311をどう昇華するべきなのか、という重い問いに対し「勇気を持って無視し、本来あるべき「破」の正当な続編をこそ創るべきであった」というのは相当な説得力があります。わたくしはオウムテロの後、色々な作品がブレブレになった故事を思い出しました。
もう一つ「退屈であった」という醒めた感慨はちょっと意外でした。
この方は実際の筆致よりはそんなに怒ってないのかもしれないですね。



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