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シン・エヴァと視線の物語(見終わったら、2周目前に読もう)

シン・エヴァンゲリオン劇場版映画みてから読んでね。。2周目を見る前にチェックしたい、考察ポイントの答え合わせ。

見る前のやつに言えることは、「しっかり事前にトイレに行って、飲み物は注文するな」それだけだ。

下記は、上映前の予想note。


視線の話

エヴァQに続いて、シン・エヴァは「視線」の物語でした。よかった!理解が間違ってなかった!

設定を追いかけるよりも、みなの視線をおいかけ、誰の視線がいつ交わったか…を見ると、楽しく見れると思う。

エヴァQが「大人がシンジと目をあわせない断絶の物語」だったのに対し、シン・エヴァの序盤は「シンジが他者と目を合わせない断絶の物語」。中盤以降が「シンジが他者と目をあわせようとすることで、交流が蘇る物語り」。

エヴァQでは、物語り全編をつうじて、大人がまったくシンジと目を合わさない。シンジの孤立と、大人の視線がリンクしてる。ミサトはバイザーを被り、ゲンドウはゼーレマスクをし、アスカは眼帯をつけてシンジをガキと罵り、リツコは終始背中をむけている。唯一目をあわせてくれる(意思疎通できる)冬月は、だが大人としての主体性を放棄している。

ところが、シン・エヴァンゲリオン序盤になると、この構造が逆転する。

シン・エヴァの序盤は、セカイ系の枠を超えて、他者性と客観性の物語として展開される。客観的にシンジをみる物語だ。

ネルフとヴィレ以外の世界に初めてスポットライトがあたり、この世界にはほかの生き残った人々も、生活も、笑顔も、シンジに救われた人々もいる…ことが語られた。あらゆる大人がシンジと目を合わせようとし、彼を労る。

優しい世界が逆説的に明らかにしたのは、「シンジのほうだって、一方的に対話を拒否し続けてきた」という現実だ。Qにおいては、大人はシンジと目を合わせてこなかった。しかし、実はシンジこそが誰とも目をあわせかったのだ…村の大人達の声や視線を遮断しているのは、徹底的にシンジのほうだ。ここでエヴァQにおける視線の断絶は、必ずしも大人のせいだけでなく「シンジ主観での身勝手な被害者意識」だった可能性が判明する。

(たぶんエヴァQ時系列カットされてるけど、ミサトさんはWILLEの船室でガン泣きしてるし、背中をむけたリツコは泣きそうな顔をしてるし、ゲンドウパパは深夜に1人でピアノを弾いているのだ。でも、映画はそれをすべてシンジに都合の良い主観の被害者意識でカット編集したもの!)

そんなふうにエヴァQ、シン・エヴァを解釈すると…あらゆる表現が、登場人物の視線に象徴されていることが見えてくる。


ミサトさんと視線

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最も精神的に近しい大人だったミサトさんは、ヴィレの指令としてバイザーをかぶり視線と意思疎通を遮断。(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q、庵野秀明 (監督) 、00:13:40より引用)。

大人としてもミサト指令がミサトさんに戻るときは、バイザーがないとき。Q序盤で一瞬だけバイザーが外れた時の台詞「なにもしないで(いい)」は、怖そうに見せてるけど、ミサトの心からの親心。

エヴァ9号によるシンジ強奪時は、半メガネ、半本音。「ここにいなさい」「エヴァは壊さないと」「(辛そうな顔で)レイはもういない」。どれも、本心。両目を見せて会話できないのは、失われた14年のカジの喪失や、綾波3rd,4th,5th,6thとの遺恨などがあると思われる。

それ以後、心をみせなかったミサトさんも、カジJrの話をきっかけに、心の壁は崩れ始め…

最終出撃の直前に、ミサトのバイザーは剥がれ落ち、本心と共に関係性が復活する。旧劇では、心のコミュニケーションの失敗を、体で誤魔化そうとした(「帰ったら、大人のキスをしましょう」)の関係も、視線と言葉を交わすことで、ついに修復された…と思う。


鈴原(妹)

まだ18歳ぐらいかな、大人ではない彼女は、ヴンダーで唯一目をあわせてくれる相手。周囲の塩対応のせいで埋もれがちですが…彼女の「DSSチョーカー外すの無理」「シンジさん、もうエヴァ乗らなくて済んでよかったね」「エヴァにはのらんで」などは、嘘のない正直なセリフだったことがわかる。


リツコと視線

終始背中をむけることで目を合わせようとしない。目をあわえせてくれたときは、の「綾波はいなかった」とあわせて、父のテープを返してくれました。ここは真摯な対応だった。リツコさんの場合、視線をあわせないのは遺恨よりも、ゲンドウパパの面影をみたくない側面が強そうです。髪超バッサリしてるし。ある種、エヴァで冬月さんと並んで救われなかった。ゲンドウさんは、↓になっちゃったし目を合わせるどころではない。


パパと視線

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肉体的にもっとも近しい大人だったゲンドウは、劇中でもっとも視線を閉ざした外見。そのバイザーの下もアレな感じで、もっとも視線を交わすことのできない、コミュニケーションと距離のあるキャラだった。(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q、庵野秀明 (監督) 、00:53:25より引用)。

そんなわけでパパの顔は、サイクロップスのパロではない。

ただ、向き合うことをきめたシンジと対決(対話)をかさねるうちに、少年時代のゲンドウは「少年時代のシンジ」のミラーと明らかに。そして、青年期のパパは、「序〜破のシンジ」のミラー。ユイを失ったゲンドウパパは、「Qラストのメンタリティのままオトナになったシンジ」のミラー。

そんなパパの回想シーンは、ほぼ絵コンテなのだが…ユイの顔が思い出せない。自分の顔を失うと同時に、ゲンドウの心のユイの顔も失われた。ユイの願いとゲンドウの願いが根本的にすれちがった結果か。

シンジにとって父を克服することと、自分を克服することは、完全に合わせ鏡であった。ラストで父の視線は再生し、シンジくんと和解を果たせた。パパンも見失ったユイを、シンジの中に再発見する。シンジくん、パパを克服。オトナになる。


あわせてQ以降、ゲンドウとミサトさんも、鏡合わせの関係であったことが判明し、ちょっと新鮮で驚いた。ゲンドウは肉体的に最も近しい大人、ミサトは精神の距離で最も近しい大人。ゲンドウはうまく父親になれず、ミサトはうまく母親になれなかった。ゲンドウはユイを失い、ミサトはカジを失う。ゲンドウは息子との対話に至り、ミサトは息子との対話に至れなかった。


アスカと視線

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エヴァの呪縛により半分(精神)だけが大人になったアスカは、視線が片目だけ隠されている。大人側として一方的な理不尽をぶつけるが、半分はまだ子供なので最低限のコミュニケーションはとってくれる(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q、庵野秀明 (監督) 、01:29:44より引用)。

Q序盤の再開は、怒りを押さえきれず速攻で退席しましたが… シン・エヴァ見終わったあとだと理由が判明。アスカは「エヴァ参号暴走時に、助けてもらえなかった」という心の傷を持つ。そんなアスカに開口一番で「綾波助けたんだけど何処?」と聞いてしまったのは、不幸な事故。そりゃブチ切れる。

最終決戦前の別れ際のセリフで、「アスカが片目だったコンセプト上の意味」が開示。そして左目の眼帯が外される。

そんな半オトナとして固定され、それゆえに片目だけが隠されたアスカも、最終的にはシンジと視線をかわせた。海エンドが無事回収。シンジとアスカの対話は、旧作の「気持ち悪い」エンドを超えて、恋心の卒業という形で救われた。

(ちな、アスカの台詞「綾波シリーズが、シンジに好意を持つように設計されていた」は、暗黙理にアスカが「式波シリーズも同様にシンジを好きになrる設計の可能性」を自覚してしまったということ。だからシンジとくっつけない。アスカの生き様がそれを許さない。(メタ視点でも)シンジと恋愛する前提でキャラ設計されたアスカが、しくまれた運命に逆らいケンケンとくっついた。アスカなりの運命の克服と、子供時代からの卒業ができたよかった)。

<追記>
もう一つ印象的…というか深く驚いたのが。村でのアスカとシンジの関係性。旧エヴァのシンジとアスカの鏡合わせだった。旧劇においてシンジは壊れたアスカを助けず、傍観し、泣き付き、あげくのはてに自慰をしちゃったわけだけど… 

シンのアスカは、壊れたシンジに真逆の行動をとったなと。見捨てず、話しかけ、怒り、荒っぽいけどレーションを無理やり食わせ…と世話をする。これ、アスカが「自分がシンジにしてもらいたかったこと」の裏返しだ…と見ていて感じ入った。

シンジは自分を見捨てたけど…だからこそ、自分は真逆の行動をとる。そういうあり方は、アスカの生き様やプライドを体現しつつ、大人としてのあり方を見せたなと。同時に、態度によるシンジとの卒業・決別の瞬間でもあったなと。


渚くんと視線

子供の渚くんは、視線を遮るものがない。むしろ、Qから続く全肯定マンとして、全編にわたってシンジ君と目を見て話してくれる唯一の人。


綾波と視線

綾波はオトナでないので、視線を遮断してはいなかったが… シン・エヴァでシンジと綾波が明確に視線をかわしたのは、6thとのおわかれのシーンから。ここからシンジが他者とむきあうターニングポイント。

ちな後半の髪の長い綾波…は、14年前にエヴァにとりこまれた綾波(2nd)ですね。エヴァの呪縛下でも髪が伸びるので、14年分伸びてた。なのであの綾波は2nd。あれ「私は3人目だもの…」の綾波だけフラグ回収されてない?

一方でCGデカ波の視線は固定されてて、もっとも精密に眼球を描写していたのに、誰とも繋がっていなかった。リリスが仮面をしてたのも、ゼーレマークが目であったのも、繋がっているのかもしれない。


ユイとの視線

顔すらうろ覚えだったママとも、ラスト手前で目線をあわせられた。どうして初号機に残ったのか、母の思いがついに伝わった。


マリとの視線

最期には、ちゃんと目をあわせて会話できるようになりました。

エンディングの駅には、レイもアスカも渚もいたけど…みんなホームの反対側。視線を交わすことはありませんでした。シンジにとって、すでに別れを告げいく先が異なった人々なんですね。

ただ一人、マリとだけ視線を交換し、二人は実写の郊外へとむかっていかます。


まとめ

視線の断絶を以って、他者との断絶に苦しみ。
視線の断絶は、自分の視線でもあったことを知り。
恐れず視線を合わせて、心の底を打ち明けることに至る。
碇シンジは、父を殺して克服するのではなく、父と視線を交わして和解することを選んだ。
それがQとシンの根底にある構造だった。

旧劇場版のトラウマがあるので、どんな地獄が展開されるかドキドキだったけど…シンジくん、ちゃんと対話できて、選択できて、大人になれた!!!!

エヴァは「大人達の身勝手な事情に翻弄される子供たち」の物語だった。今回はそれが克服され、「大人達の身勝手な事情」が全部オープンになった。一方で、人類補完計画とかそっちは、本題ではないので全部未開示のまま終わらせた。よい閉じかただと思いました。人類補完計画とかガイウスの槍とかは、そのへんは些末なこと

Qで不満をもった人ほど、シン・エヴァしっかり見て欲しい!

25年まったかいがあったよ。
ありがとう&さよなら全てのエヴァンゲリオン!


僕も全ての視線をチェックしきれたわけではないので、上記を意識して2周目の視聴にいってみたいと思います。みんなも2周目行く人は、意識して見てたら楽しいかも。


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