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「本の感想」トラウマなんてないと思っていた私のトラウマは___【発達性トラウマ】

皆さんは、自分自身に「トラウマ」はあると思いますか?

私は、1年とか2年前であれば、周りが「これトラウマなんだよねー」という話をしているとき、「トラウマ?そんなのないなぁ」と返していました。

そもそも、ここで言うトラウマが何を指すのかを私はわかってませんでした。

このノートでは、そんな私が「これがトラウマか…」と知るきっかけになった一冊の本を読んでの感想的なお話と、私のトラウマを振り返るようなことができればと思っております。
良ければお付き合いください。

今回のお話の糸口となってくれた本とは

その名も

みきいちたろうさん著

発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体 【自分を責めてしまいがちな方へ】

というものでございます。

トラウマと言われると「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」や「複雑性PTSD」

或いは「パニック障害」のイメージが私にはずっとありました。

それらは日常でさえままならないほど、過酷な闘病生活…といったようなイメージ。

だからこそ、日常に異変のない自分はトラウマなんてないと思っていたし、発達性トラウマという単語に「おへ?」となったわけです。


あなたにおすすめ!的な項目から偶然見つけ、「よっし…いつか読むぞ」と意気込んでみたらあらびっくり、Amazonさんでプライム会員になっていれば無料で読めるではありませんか…。

というわけで早速ポチッと押してみたら、発達性トラウマによって起きる症状とやらに思い当たるフシがあっちらこっちらに存在している…。


「あれ、もしかして自分、トラウマ持ってた?」

いやー…自分でもびっくりでしたね。

電子書籍だとどうにも集中ができずに飽きてしまう私。比較的短いことと共感の力で2日足らずで読み切っちゃいました。

総まとめにするにはまだ、私の咀嚼が足りないので、そんな大したお話はできないんですが、

これまでにいくつか、愛着障害解離性障害自傷アダルトチルドレン等々、自分にとって何か当てはまるものを感じる著書を読んできた中で、

「ここ当てはまるし、これも当てはまる…。

だけど、症状とか合併症として私は鬱になってたりするわけでもないし…やっぱり違うのかしら…ただ親のせいにして逃げてるだけ?」という、煮え切らない思いがずっとありました。

しかしこの本を読んでいると、その数々のパズルがパチパチと当てはまっていくのを感じて、

もしかして私はトラウマを持っていたのでは…?

と、自然に腹落ちしてくるのを感じました。

この発達性トラウマというのは、複雑性PTSD(長い期間で繰り返し起きるような、慢性的トラウマからくる症状)の原因となる、子供時代に負った慢性的トラウマを指すそうです。

ので、大人の生きづらさを探っていくと、この「発達性トラウマ」がよくあるようで、複雑性PTSDとするか、発達性トラウマによる症状とするかなどの見立てがあるそう。

発達性トラウマ、というか…トラウマによって発達障害のような症状を呈することがあるため、実際のところ、訪れた人が悩んでいる原因は、発達障害なのか、それとも愛着障害なのか等々、確定として診断することは専門の人でも難しいのだとか。

故に発達性トラウマは「第四の発達障害」とも本書では呼ばれています。

なんだか同じような言葉がポンポコ渋滞してしまったのですが、本書のお言葉をお借りすると、

大人である、子供であるなんてことは関係なく、強く、もしくは持続的にストレスを受けるとトラウマになり得る…ということでして

トラウマがあるからと言って弱いとか、ないから最強!なんていう単純なものではなく、トラウマ自体、誰しも持っていておかしくないということです。

本書を読んでいて、私の中にあった「これがトラウマでしょ?」的なイメージもきれいに覆されました。

これを読んでいてくれている方も、

なんとなく生きづらいなぁとか、でも私は精神疾患とかないんだよなぁ…みたいに、なんとなく気になるし、発達障害なのか…?と思ってみたりもする…なんていう

どことなく煮え切らない思いがあるのであれば、
一度は読んでみて損はないのかなと思います。

私のような飽き性ですぐに内容が飛びがちな人間でもサクッと短く、その上でくり返し同じ内容のようなお話をしてくれる分、スムーズに読めた印象もありました!

実際の症例は出てきますが、難しくなく、身近なものも多いので、当てはまる方も多いと思いますので、私のように「トラウマはなし!」と思っていても、意外にご自分が悩んでいることと合わさるのではと思います。

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ここからは、本書を通して「これが私のトラウマなのかぁ」と感じた私のお話をさせてください。

今回はこのお話がメインというか、

なんというか、
参考例の1つとして消化できるのではと言う気持ちと、自分の感想の整理の一環です。

私の過去のノートでもお話をしていますが
私は「脳性麻痺」を持って生まれ、そんな私を父は受け入れることができなかったらしく、父とはまともな会話をした記憶がほとんどありません。
(離婚が決まり、母が知り合いに愚痴っている際「この人が生まれたとき、(父)はなんで俺の子供が障害者なんだ」と言った」という話を聞いた)

目が覚めて部屋を出れば、父に
「うわっ、起きてきた」なんてわざとらしく嫌な顔をされたり

当時抱えていた合併症の斜視を揶揄われることを始めとして、歩き方についてをいじり、笑われたりなんてことも当たり前。

姉とはやるような日常会話さえ、私には振ってくれず。

医療費養育費等はきっちりと協力してくれるがために、「父に嫌われている」ということを伝えると「そんなことない!」と言われることも多かったですが、親戚の中には「お姉ちゃんとあなたへの対応が違うものね」と認めてくれる人もいるほどには、わかりやすく差別化されていました。

私はずっと、そんな状態で10年近く、いや、単身赴任続きの父だったので、一般家庭に比べれば圧倒的に会うことも少ないですが、会えばいつもそんな感じでした。

だから、父が家に帰ってきたときの私は、
どうにか父に何も言われないようにと息を潜めていたなと今なら思います。

今なら、という言葉を使ったのにも理由がありましてですね。

私自身、当時の記憶がまったくないんです。
まったくないというか、ゼロに近いんですね。

うちへ帰ってきて、

あんなおみやげ買ってきてたなぁとか、
あんなこと言われたなぁ…
こんなこと姉には話してたなぁ…

みたいな記憶がちらほらほらあるだけで、
明らかに、物心ついてからの記憶から考えると空白だらけなんです。

それに気づいたのも割と最近です。

例えるなら、考えることさえしていなかったような感じでした。

友達と「小さい頃何が好きだった?」と話をしていて「好きなものー?………なんだっけ」って感じで、自分が胸を張って好きだと言えるものがパッと出て来なかったんですよね。

「えっと、しんちゃん?アンパンマンにドラえもんとか?」と返してみたものの

「いやいやそれはみんな通るでしょ!!他は?」
と言われた私の返しはこう。

「ない。」

自分でも「あっれー?」ですが、考えてみてもそれ以外に思いつかないんですよねぇ。

なんていうのから、それこそ解離というか…生きてた実感がしないんです。

「生きてた?」って自分で思うんです。

それ以降、当時は気づかなかったけれども、
今思うとまぁまぁストレスがかかっていたんだなと言う時期の記憶が曖昧であるということに気づきました。

(不登校≫登校再開≫文化祭は紆余曲折ありつつ楽しく過ごせたものの、体育祭練習ではメンタルぷっつり号泣≫なんだかんだ無事卒業と思いきやその前に離婚≫紆余曲折あって高校入学という期間も、高校一年二年の記憶がごっちゃです)

自身に意識を向けていくようになってから

こういった事象の他にも、

これは本書の作者さんが実体験をおっしゃっていて「これもだったんだ」と驚いたのですが、

感情が出したいときほどうまく出ない

ということにもしばしば気が付きました。

私自身としてはすぐに笑っちゃうし、ツボの浅い、所謂ゲラ的な人間です。怒るときは普通にブチ切れますし。(小4のとき同級生を涙させてしまった)

故に、私は人に対してうるさくしすぎというか、話しすぎ、騒ぎ過ぎでさえあるんじゃないかと感じ、

それら、コントロールが出来ない感情という物をいらないだとか、邪魔だとか、とにかく感情を疎んでいました。

しかし、とある時、

私をよく見てくれているとある方から
(仮にAさんとしましょう)

「楽しそうでよかった」と言われたら「あぁ、そっか、自分嬉しかったんだ」と変にしみじみしてしまったり、

Aさんへ、自分なりに精一杯の笑顔と感謝で「ありがとう」と伝えたいのに、当人を目の前にしたら途端にしどろもどろになってしまって、喉元にまで来ているはずの声が突っかかって出てこない…なんてことが起きたんです。

「あれ、なんで?」と自分でもわけがわからず何日も考えました。しかし謎は深まるばかり。

結局わからなかった私は後日、
Aさんへ「どうやら感情を出すのが苦手なことがあるみたいです」と自己紹介を訂正。

その後により顕著に感じたのが、
自分にとって嬉しい言葉や泣いちゃいそうになるくらい染み渡る言葉をかけられると、途端に「スンッ」としてしまってうまく反応ができないということ。

感情が出ないのは愚か、
その言葉をもらったときの私は、無意識ながらに心のシャッターを完全閉鎖。

感情を心まで通さないので、
自然と「はい?」みたいな顔になってしまっていたようです。

その言葉をもらった夜なんかに一人になって初めて、突然涙が出てくるなんてことはしょっちゅう。

自分も最初は戸惑いましたが、Aさんの言葉が嬉しかったんだと自覚し、自分の中で噛み砕き、何日も経ってやっと「Aさんがこの間言ってくれたこと嬉しかったです」とお返ししてみると、Aさんは一言

よかった。反応がなかったから良くないこと言っちゃったかと思ってた

私は「ほんとに違います!!」とその瞬間全否定。

Aさんいわくやっぱり私はすんとしていたそうで。そりゃ勘違いもしてしまうわぃ…てな具合です。

こんなふうに、感情が出づらい、表現しづらい、自分の感情がわからないなどという状態も、この発達性トラウマに起因するのだとか。


もっと早く知りたかったよ!!!と…正直思いました。

少しゾクッとしたのは、この感情が出づらい等のお話の前に出てくる、ログアウトという志向のと話。

本書では「自己を抑えて理想の状態を目指すこと」と表現されているのですが、思い当たるフシがあるったらないんです。

所謂自分の推しがいて、その推しの考えや行動に救われたりすると、半ば脳死で「この人のようになりたい」故に「自分が邪魔」と思ったことがあったんですよねぇ…どれだけ自分の感情が嫌いなんだって気さえしますが。


うまく説明はできませんが、

中学時代、走馬灯のごとく嫌な記憶を瞬間的に思い出し、所謂フラッシュバック的な状態に初めてなった時、パニックでその場を逃げ出したり、

強烈な疎外感や孤独感、自責に加えて先生の悪気のない言葉が他責に感じ、頭がパニックになり、まるで風船のように弾けて涙が止まらず抜け出したなんてこともありました。

平和なところで言えば、離婚となり、父と離れた今、母と姉と過ごしながら「自分はずっとこんなふうなことをしたかったのかな」となんだかしみじみしてしまったりなんてのも時折ありますけどね。


喜びや楽しさ、ポジティブなものはまだしも、ネガティブな感情はとにかくコントロールができないので嫌いなんです。この認識がそもそも良くないとは思いつつも、

誰かにイライラしすぎて吐きそうなくらい気分が悪くなったり、泣きすぎて頭が痛くなったり、しゃっくりが上がったりなんて…

人がそれほど泣いていても自分はそんな相手にどうすればいいのかわからないしでパニックになるだろうし、とにかくコントロールができないことが嫌すぎるんですよね…。だから自傷に走ってしまった節もありますし。

もうとにかく、ここに上げているもの以外でも、読んでいて多数「これもそうなのね…?」と言いたくなる事象があって、少しだけ、こう…唇を噛みしめるような感じでしたね…★



父と離れ、自分に気力割ける時間が増えている今は19という年齢も相まって、いろんな人から「自分で決めなさい」と強く言われたり、「自分で決めていいの」と諭されたり、とにかく「自分」という言葉を使われるわけです。

「自分」ってなんだよ!!知らねぇよぉ!!!」なんて言いながら日々やっている私ですが、
結局のところ、調べていて行き着く精神疾患を含めた事柄全て、根源には「父」がいて、

すべてを総括した結果、

私のトラウマは父です!!!
たまに夢に出てきて、目が覚めて泣いてるもんね!!!薄々わかってたよ!!!!

というのが結論です。(やっぱりこうなる)
(父自身も理由があっただろうし、誰かが100悪いとは思っていませんが)

また1つ腑に落ちる材料を見たおかげで、なんだか1つ、コマを進められたような気もします。

しかし一人には限界があるわけでして…
カウンセリングを受けてみたいという気もするけど、脳性麻痺の私がそんなことをバレずに一人で遂行するにはまだ時間がいる…。

孤独な戦いはこれからも続きます。
(これも人生である。なんて思えるほど今はまだ元気なり。)

ここまでお読みいただきありがとうございました。

お読みいただいた方の、何かの糸口になっていたらこのノートにも意味が生まれますし、私としてもとても幸甚です。

ではまた。

(今回お話した本はこちらから)

https://a.co/dMudAlZ

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