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恋愛について色々拗らせた男が「ありふれた人生」を例にスピッツの歌詞の魅力を語る

前置き

こんにちは、あるいはこんばんは。
約一年間も(!)記事を書いてなかったのだが、最近スピッツを聴くことがすこし増えてきたし、書きたい事もできたので書こうかな、と。

「人並みの恋愛をしてみたい」。自分自身、そういった思いこそあったものの、「人を好きになるって、どういうこと?」「彼女ってなんのために作るの?」…僕自身、この20年余りの期間で色々拗らせてしまい、実際に勇気を出して誰か一人の女性と向き合う覚悟もないままダラダラ生きてきた。

そして、最近、恋愛とはなにか、好きになるって何か、愛とは何なのか、そういったことを考える機会が増えたと感じている。


スピッツには恋の歌と捉えられるような曲が多数あり、そこには「卑屈で不器用で、だけど真っ直ぐ、実直な恋愛観」を個人的に感じずにはいられないよ、というニュアンスの文を含んだ記事を以前書かせていただいたが、最近それをさらに強く感じている。

この記事では、特に最近アツい、自分に「刺さる」曲である「ありふれた人生」について書かせてもらう。

なお前回の記事に関して、最近でもちょこちょこ反応を頂けて大変嬉しい気持ちでございます。この記事は前回の記事の内容を踏まえたものになっていると感じるので、できればそちらから読んでくださいませ(ダイレクトマーケティング)。

んじゃ本編。

ありふれた人生

個人的に今一番アツい曲。
「ありふれた人生」。
アルバム「スーベニア」収録。

ありふれた人生を探していた
傷つきたくないから
君といる時間は短すぎて
来週までもつかな

ああ 心がしおれそう 会いたい
もう待てない これ以上待てない
そして今日もまた 眠れない

「ありふれた人生を探していた 傷つきたくないから」

傷つきたくないから探していた「ありふれた人生」とは何か。早速歌い出しから、想像や解釈の余地に富んだスピッツイズム溢れる表現である。

個人的な解釈として、「ロマンチック、ドラマチックな恋愛とは無縁な、退屈で『ありふれた人生』」なんじゃないか、と思えた。

人と深く向き合うこと、人を好きになったり、愛することは、時に自分を傷つけることになる。

思いを拒絶されたらどうしようか。
自分の隠したい部分、ダメなところを知られ、嫌われたらどうしようか。
自分が想っている人は、自分とは違う人を想っているのではないか。

誰か一人に対する思いを受け入れてほしい、自分だけを見てほしいというエゴは、自分を傷つけることも多い。

自分はそういったところが怖くて、恋愛を避けてきたんじゃないか、と最近思うようになった。個人的に、人と向き合うのは勇気と覚悟がいることなのだ。だから、僕は「ありふれた人生を探していた 傷つきたくないから」。


そんな歌い出しに続く、「君」への実直な思いを綴った歌詞。

「君といる時間は短すぎて 来週までもつかな」
「心がしおれそう 会いたい もう待てない これ以上待てない」

どえらい破壊力である。この気恥ずかしくなるほどの素直で真っ直ぐな思い。「来週までもつかな」という表現も可愛らしくてよい。非常に。


さらに2番では、うまくいかない日常からの逃避のような表現が見られる。

空回るがんばりで許されてた
現実は怖いな
逃げ込めるいつもの小さな部屋
点滅する色たち

ああ 時々 聴こえる あの声
もう待てない これ以上待てない
文字を目で追って また始めから


「空回るがんばり」。僕は人よりも頑張ってないと思うことが多々ある。自分の中では少し頑張ってるつもりだが、人からしたら大したことのない努力量だろう、と思えるくらいの頑張り。幾分僕は怠け癖があり、面倒くさがりである。

それでも別に生きていける。現実に許されている。

「点滅する色たち」。個人的には液晶画面が思い起こされた。僕はゲームが好きだ。引きこもってゲームばかりをやっていた。自分のやるべきことにも目を向けず、人と向き合うこともせず。

「逃げ込めるいつもの小さな部屋」。自室がまさにそうであった。自室で誰かが作った創作物に没頭する。それは逃避と言っても差し支えないだろう。

「時々聴こえるあの声」。「あの声」は「君」の声のことだろうか。日常で時々聴こえる君の声。君がいないときも心のなかで反芻したりして。

「文字を目で追ってまた始めから」。僕は自分の考えていることを文字起こしし、読み返すことが多い。最近は特に、恋や愛ってなんだろう、そんな無駄な事ばかり考えて、時間をいたずらに消費している。
この歌詞からは、自分の書いた文字か、相手の書いた文字かはわからない。今ならLINEのようなツールで文面を見返すことなんて、よくあるんじゃなかろうか。あるいは、自分の書いたラブレターの文面を読み返しているのかもしれない。ここにも見る人によって解釈の余地があると思ふ。


そして間奏を経て、ラスサビの最後に初めて現れるキラーフレーズ。

ああ 会いたい 夢でも会いたい
もう待てない これ以上待てない
わかっているけど 変われない

「わかっているけど 変われない」

ああああああああわかる。変われないんだよな、人って。
このままじゃダメだと思っていても。


この曲の要素としてある「自分が傷つきたくない思い」「君への実直な思い」「変われないダメな自分」。そしてそれらを表現することばの組み合わせの全てがもうパンチラインで、お腹いっぱいである(そもそもこの曲に限らず、スピッツの曲にこう言った要素が含まれるのが多く、その要素に共感できて仕方ないので僕はスピッツの曲が大好きなのだ)。


さて、ここまで自分本位に解釈をしてきたが、人によっては歌詞に対して全く違う捉え方、共感の仕方ができるだろうとも思う。そこがスピッツの歌詞の凄いところなのだと個人的には考えている。自分の解釈とか正直どうでもよくて、一番大事なのはここ。

歌詞の奥行きや、想像・解釈の余地や、共感性。
それらを生み出す表現の巧さや豊かさ。
そして、その表現を平易な言葉の組み合わせで巧妙に紡ぎ出すセンス。

個人的にこのへんが、「スピッツの歌詞はすごい」と言われる所以の一つだ考えている。


最後に

今回は、今一番個人的に好きな曲、マイブーム曲である「ありふれた人生」をとりあげ、どういうところに共感できるのかや、歌詞の自分なりの解釈を踏まえ、最後にスピッツのどういうところが好きで、すごいと感じているのかを(少々無理やりではあるが)言及させてもらった。

スピッツ以外にも好きな曲、バンドというのはもちろん存在するが、その中でもスピッツだけが単なる曲、「聴き物」を超えて特別好きになったのだ。単純な曲としての良さ、そしてメロディに乗せる歌詞の言葉選びのセンスや根底にある世界観・価値観。そのすべてが奇跡的に噛み合ったバンドは、個人的にスピッツの他に存在しない。

私事ではあるが、最近就職活動の真っ最中であり、心身ともに疲れることが多い。そういった現実から逃避する手段の一つとして、自分の考えていることに関して文字起こしし、文を書きたいという欲求があるため、これからも定期的にスピッツに関する記事を書こうかという思いがある。短めのやつ。

自分の「スピッツの曲に対する思い」を自分で再確認するとともに、記事を読んでくれた誰かに、スピッツの魅力が少しでも伝わったりして、「スピッツ、いいかも」と思ってもらえたりしたならば幸いである。…ちと思い上がりすぎか。

拙い文ではあるが、よければお付き合いくださいませ。
ではまた。




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