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あるときは「私」、またあるときは「僕」や「俺」。そしてまたあるときは「ぼくちゃん」。さてその正体とは―。

皆さんは自分自身の一人称に関して真剣に頭を悩ませ、夜も眠れないと感じたことはあるだろうか。私はない。きっと誰もない。

自分で自分のことをなんと呼ぶのか。
これはアイデンティティの確立に関わる重要な問題であり、確固たる自意識を構築していくためのうんちゃらこんちゃらで、自己と他者との境界を築くうんちゃらこんちゃらである。

一般的に、大人になると男性も女性も「私」という人称を使うことが多い。
子供の頃、「うわー! こいつ自分のこと「わたし」って言ってるー!」と騒ぎ立てていたあの少年も、今では立派な社会人として「私としましては」「私にお任せください」「あれ、私のお茶だけ少なくない?」とすっかり「私」人称になじんでいる。

では、なぜ、子供時代には男女を区別するかのような人称の違いがあるのだろうか。
男の子なら「俺」か「僕」か「拙者」
女の子なら「あたし」か「あちき」か「わらわ」
これらの中から半ば強制的に選べと言われているかのように、みな一様にそれらの一人称を使用する。

考えてみれば、海外言語では一人称に性差別をつけるようなことはないのではないか。
英語の「I」、中国語の「我」、ガッチャン語の「くぴぽ」

我々日本人も性差別のない一人称を用いていくために、本日はここに【一人称屋さん】を開店します。お気に入りが見つかればぜひ使用してみてください。

・「余」
こちらは「余は秦の始皇帝なり」などと言うときに使えそうな「余」です。なんだかすごく高貴な香りが漂います。言い方としましては、できる限りの低い声で空気のこもったような話し方をすると貫禄が出るかと存じます。日常で使う際のサンプルですか? ドライブスルーで注文するときを想定してみましょう。「むむむ……。余はテリヤキバーガーじゃ」ですね。あ、全然テリヤキではなくても問題ないです、はい。「むむむ……」はあったほうがいいかもしれないですね、はい。あ、こちらの「余」、お買い上げですか? え? キープ? ですよね。まだ他にも各種取り揃えておりますので、こちらへどうぞ。


・「吾輩」
あ、やっぱり笑っちゃいます? 猫じゃないんだからって。けっこう言われるんですよ。でも、よく考えてみてください。猫、しゃべりませんから。ここ、意外と盲点なんですよ! 猫、しゃべりませんから! すみません、同じことを二回も言ってしまいまして。で、こちらの「吾輩」なんですけど、使い勝手は悪くないかと、吾輩は自認しております。ほら! 今、試しに使ってみましたけど違和感ございませんよね? え、ある? 吾輩はプライベートでもたまに使用することあるんですけど、大概ウケはいいんですよ。ただ、ちょっと難しいかなと感じますのが、どうしても語尾に「である」をつけたくなってしまうというところですね。え? 猫に引っ張られているですって? 何をおっしゃる! 猫に引っ張られるなんて大きなカブじゃあるまいし!


・「我(われ)」
有名な「我思うゆえに我あり」でおなじみです。これなんかもTPO問わずに使えて非常にいいかと存じます。ちょっと試着してみます? では、こちらのセリフをどうぞ。「我のカイワレを割れたお皿へ。追われに追われて我は壊れる」いかがです? めっちゃ「われ」っていう音出てきましたよね? え? だから何? いえ、特に意味はないですけど。


他にも和装のときに似合いそうな「それがし」や国際社会を意識した「ミー」なんてものもあります。あ、あと、店頭販売ではなかなか売れないんですけど、ネット注文で一番多いのは「ぼくちゃん」あるいは「ぼくちん」です。なんでしょうねぇ。やっぱりどこか恥ずかしいんですかね。甘えん坊さんみたいに聞こえますからね。でもいいと思いますよ? 「こちらが売上報告書でございます。ぼくちゃんの印はすでに押印済みです」「悪いが、ぼくちゃんにも例の資料のコピーを頼む」いいですよね?


といったところで本日は閉店のお時間となりました。またのお越しを、小生、心よりお待ち申し上げております。

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