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~ノストラピイムスの大予言~ これからの暮らしはのんびりとしたものへと変貌していく

今日は選挙の投票日だ。
自分たちの未来を選択しよう、みたいなことをよく聞くけれども、まずはさっき牛乳こぼしちゃって脱いだ服を洗濯しよう。


今日は真面目に未来の暮らしについて考えてみたい。

これまでの日本人は、経済発展にともない、利便性の向上を希求し続けた。
もっと便利に。もっと豊かに。もっともっと向上したい。ほっともっとの弁当食べたい。おっとおっとお金が足りない。ちょっとちょっとランチが買えない。

そのために我々日本人はせっせと働いてきた。汗水流して。ときには鼻水流して。またあるときは水道の水流して。そのまま忘れちゃって。気づいたら水浸しで。

より利便性を求める姿を象徴しているのが【24時間営業の店舗の増加】だろう。
コンビニの数を見てごらんなさい。90年代以降、どこもかしこもコンビニになっていったように思いませんか。
「あら、あそこのスーパーなくなってコンビニになってる」
「あ、あそこもコンビニになってる!」
「え!? ここもコンビニになってる!」
なんて会話が毎日のようになされていたものだ。
まるでコンビニとコンビニに挟まれた建物は、オセロのようにひっくり返ってコンビニになってしまうかのような急激な増加だった。

その勢いはコンビニだけにとどまらず、スーパーやディスカウントストア、ジムなんかまで24時間営業ときたものだ。しまいには24時間営業の人間まで現れて「俺さ、昨日寝てないんだわ。一睡も」というだからどうした的なわけのわからない自慢をしたり顔でしてくる人も増えた。

だがしかし、この勢いはいつまでも続かない。
誰だって全力でいつまでも走り続けられない。目一杯、息をとめて走ってはいずれ限界がくる。いつかは止まり、はあはあと喘ぎ、酸素を体内へ取り込まなければ生きていけない。ついでにアルコールでも取り込まなければやってられない。頭の回転がどうとか理由をつけて甘いものも取り入れなければならない。願わくば、普通に働いているだけでは得られるはずのない大金を、なんかよくわからないけど、税務署とかもみんな納得する理由で急遽、財布の中に取り込まなければやっていられない。

最近の世の中の風潮として、あれだけ盛り上がっていた24時間の営業が減ってきているように感じる。サービスの縮小化が始まったのだ。

かつてのサービスの拡大、利便性の向上は、人民の民意に基づき、イケイケドンドンの風潮の中で推進されてきた。
今回のサービス縮小は、望んでそうなったわけではないのかもしれない。
少子高齢化による人手不足。サービスを持続、展開していくための人員が足りないのだ。人の手の代わりに犬や猫、ネズミなんかに引っ張ってもらおうにも、衛生面で叩かれ、炎上する可能性が大だ。

最近では、郵便局が土曜日配達を休止したように、サービス縮小の波は我々の生活のすぐそばまできている。
間違えて手紙を食べちゃったらいけないから、私は郵便局で働いたことがないからわからないが、サービス縮小への批判は届いているのかもしれない。だがしかし、そのくらい気にしないよって人の方が多くなってきているのではないだろうか。※こんなこと書いたら、わたしが白ヤギさんだということがバレてしまうので、ここは後で消すこと。

以前の経済発展期に起こった押し寄せる民意からの拡大、向上の流れとは反対に、今回のサービス縮小は、時代の大きな波に無理やり進むべき方向を決定づけられているように感じる。時代様が「急ぐなよ、へいへい、ゆっくりいこうぜ。ていきっいーじー。ふっふー」とおっしゃっているかのようだ。

きっと縮小自体は決して悪いことではないのだ。みんながゆとりを持ってゆったりゆっくりと過ごせる時代が、もうすぐそこまできているのかもしれない。


なので、今現在追われている人、急いでいる人は時代に逆行している。
「そうはいっても」と反論しようとしたそこのあなた、はい、逆行。いい撮影スポットだと思ってカメラを向けたそこのあなた、そういうときに限って、はい、逆光。

思いきってゆっくりしちゃおう。
上司に怒られたら言い返しましょう。「だって時代がきつきつなことはやめようって言っているから」ってね。


これからの生活は自らスローライフを選択するのではなく、世界が、環境が、時代が、スローライフを押しつけてくるのかもしれない。

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