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【SDGs勉強会レポート】パラ陸上競技・やり投げの若生裕太選手をお迎えして考える「豊かな人生とは」


1. はじめに

こんにちは!
ラバブルマーケティンググループでSDGs推進を担当している相澤です。
今年の夏(7月~9月)は全国的に平年より暑いようで、危険な暑さに注意が必要ですね。
水分補給をしっかりして夏を乗り切りましょう!

さて今回は、パラ陸上競技・やり投げで活躍されている、若生裕太(わこうゆうた)選手をお迎えしてお話をうかがいましたのでその内容についてお届けします。

1997年5月生まれの若生選手は現在26歳。小学校から高校まで野球に没頭し、大学で体育教師を目指していた20歳の時に、難病である「レーベル症※」を発症しました。
それまで何不自由なく生活をしていた若生選手でしたが、突然発症した病気とどのように向き合い、パラアスリートになったのか。その過程や当時の思いについてお話しいただきました。

レーベル症(レーベル遺伝性視神経症)
細胞のなかでエネルギー産生を行う、ミトコンドリアという器官の遺伝子の変異により、 網膜の一部の細胞が選択的に障害される病気です。男性に多い疾患で、発症すると数週間から数ヶ月の間に、両眼の視力低下、中心部の視野欠損が起こります。2015年の調査では国内で患者数約10,000人前後と推測されています。

プロフィール
若生裕太(1997年5月25日生まれ)
パラ陸上競技 やり投げ(日本記録保持者)
2018年6月からやり投げの競技者として始動。2019年から数々の大会で優勝し、日本新記録や大会新記録を生む。

【主な実績】
2019年 日本記録を更新し、国際大会で銀メダルを獲得
2020年 再び日本記録を更新し、強化選手に選ばれる
2022年10月 「兵庫陸上競技秋季記録会」にて再び日本記録を更新
2023年日本パラ競技選手権大会
60m03 日本新記録

その他の主な戦歴はこちらをご覧ください

2. 野球選手になるのが夢だった

小学1年から野球を始め、とにかく野球に夢中だったそうです。中学校ではリーグのアジア大会に出場し、その後は甲子園出場校である、都内の野球強豪校へ進学。部員134名を率いるキャプテンにも選ばれたとのこと。

一方で、”野球選手になる”という夢は、自分の実力では無理だという現実に気づき、高校卒業後は体育教師を目指して大学へ進学したそうです。

3. レーベル症の発症、新たな夢

体育教師を目指しながら、野球サークルにも参加し楽しく大学生活を過ごしていた若生選手ですが、大学2年の秋、野球をしている最中にある異変に気づきました。

「簡単なボールが取れない」「ボールが当たらない」

片目がぼんやりとして見え、次第に視力が落ちていき、半年後には両目とも1.50から0.01まで視力が低下。病院で検査したところ、難病である「レーベル症」と診断されました。

どんな見え方をしているのか、というと、中心の視界が黒く欠け、周辺の視界がぼやけているそうです。(以下、イメージ参考)

障害を負うことになり、当然深く落ち込んだり今後が不安になったりしたそうですが、そんな状況から新たな夢、そしてパラアスリートへどのようにして辿り着いたのでしょうか。

4.前を向いている姿を見せ、恩返しがしたい

「ごめんね。なんで私ばかり、いつも迷惑かけるんだろう」

責任を感じた若生選手のお母さんからの一言でした。レーベル症というのは母系遺伝といって母方から息子に遺伝するという複雑な病気だそうで、こんな風に母親に言わせてしまったことについて、当時は悔しくて、悲しくて、怒りにも似た感情だったといいます。

この言葉をきっかけに、前を向いている姿でもう一度スポーツで恩返ししたいという思いになり、「東京パラリンピックに出場する」という新たな夢ができたとのこと。

お話し中、何度も「恩返しがしたい」というワードが若生選手から出てきました。

「視覚障害を発症してから、家族や友人、色んな方のサポートや出会いがあり、その度に人の温かさを感じています。また、パラリンピック出場という新しい夢を見つけることができ、それを応援してくれる仲間がいて、このようにお話しさせていただく機会もいただいている。人生がより豊かになったと感じています。だから、競技を通じてみなさんに恩返しがしたいんです」

そんな風に、常に前向きな発言をされる若生選手。素晴らしいです…!

5. 障害は個性

北京大会に出場した際、パラ陸上の様々な選手と1週間程滞在していたそうで、そこで選手たちがそれぞれのハンデに対し、自分ができることで支え、助け合っている光景を目の当たりにしたといいます。例えば、義足の選手が目の見えない若生選手に対してバイキングのメニューを教えてくれたり、逆に若生選手は体が丈夫なので、麻痺がある選手の荷物を持ってあげたりと、自然と協力しあっていたということです。

「障害は個性である」というのは、パラ陸上でいろんな選手を見て感じている。と若生選手はいいます。

当社からも、若生選手へ、「どんな困りごとがありますか?どのように障害がある方へサポートするといいでしょうか?」といった質問がありました。

「健常者でも、自分の事について色々聞かれるのが嫌な人やそうでない人がいるように、障害がある方も性格や障害の重さは様々。それこそ個性があります。まずはコミュニケーションを取って相手に寄り添うことが第一歩ではないでしょうか」と、ご回答いただきました。

確かに、障害があるかないかではなくまずはコミュニケーションを取って相手を知るというのは当然のことですね。業務においても同じことが言えるのではないでしょうか。

6. 人生すべてポジティブ要素

東京パラリンピックへの出場を目指していた若生選手ですが、大会選考前にスランプに陥ってしまいパラリンピック出場を逃してしまいました。相当挫折したそうですが、考え方をポジティブなプラス要素に変え、今は新たな夢を掲げています。

「2024年パリ パラリンピック金メダル」

そのために、やり投げ以外でも様々なトレーニングを行っている若生選手。
競技だけでなく、自分のメンタルを上手にコントロールし常に前向きに振舞っているように感じました。周りの人たちに感謝をしながら過ごしている姿は見習うべきところがたくさんありますね。

7. おわりに

世界で戦うアスリート選手からお話をいただく機会があるなんて、とても貴重な体験でした!と、当社代表の林から若生選手にお伝えしたところ、「こちらの方こそ、みなさんの前でお話しできる機会をいただけて嬉しく思います」とおっしゃっていました。

障害のことを知っていただき、応援してもらって逆に元気をいただくんです。そう言われ、私を含め、お話を聞いた社員のほとんどが心を打たれました。また、障害の有無に関わらず、前向きな若生選手の考え方に対して勇気をいただいた気がします。

”豊かな人生とは何なのか”

人それぞれのストーリーがあり、苦しみや痛みは必ず誰しもありますが、多様な考え、環境を受け入れ、自分だけでなく周りの人に感動を与えられるように過ごしていきたいと思います。

今後の若生選手のご活躍、社員一同応援しております!



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