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祈り、呪い、あるいは願いとしてのイチゴ ~出会い喫茶潜入してみた~

出会い喫茶にて「イチゴでどう?」と、慣れた調子で隠語をさらりと使いこなし金額交渉をしてきたフランス帰りの哲学科の教授に、持論とデカルトと「文学部唯野教授」さながらの出世競争話を40分近くも射精後に聞かされ、限りなく虚無に近付いた夜がある。ちょうどお店を辞めていた時期である。

婦人科と歯医者へ行くために家を出た帰り道に好みの大衆居酒屋に吸い込まれ、二千円でホッピー二杯と揚げ出し豆腐、茄子のおひたし、梅水晶で楽しく酔った。気分よく街をフラフラしてたらお手洗いに行きたくなりカフェか一人カラオケか何でもいいけど何でもよくないなあとか考えてたらたまたま良いロケーションにあった出会い喫茶キラリ、ここの設備はマンガ喫茶並みに揃っていて女性無料である。

運試しのような気持ちで、風俗業界に足を踏み入れたあの日以来数億年ぶりに立ち寄ってみることにした。身分証の提示や書類記入などを済ませお手洗いに行ってから女性用ブースに入ったら二人から声がかかった。一人目は金額について触れなかったが、二人目の教授が提示した金額は風俗を始めた頃とまったく同じだった。たったそれだけの理由でその人に付いて行くことにした。ホッピーのベースに使われるキンミヤ焼酎がまだ効いていた。
家業の手伝いをしながら親の庇護のもと呑気に暮らしてる設定にしてソープ経験は隠した。バブル崩壊で経営が傾かなければありえた話だからそこまで嘘くさくならない自信があった。

その教授はプレイもそこそこに、「イチゴ」の娼婦におのれの哲学を時々フランス語をまじえながらマシンガンのようにまくし立て、不自然なほど目をキラキラさせた。彼いわく宇宙の外側には愛があるらしい。行為よりそっちが目的かと感じさせるほど切迫した話ぶりであった。名前を聞かれたのでさほど愛着のないM性感時代の源氏名を伝えた。ありあまる熱量を無遠慮にぶつけてくるこの人を1ミリも受け入れたくなかった。終電が迫り風呂場に入ってもドアの向こう側で一人で喋り続けていてなんだか背筋が寒くなった。


それだけまっさらに信じられるものがあるなんて良いな、情緒は思春期の中学生男子っぽかったなとか思いながら、交換したLINEを帰りの山手線で静かにブロック削除した「Merci」「ありがとう」と送られていた。メルシーくらい幼稚園児でも全盛期の里田まいでも分かるわ。

出会い喫茶の客は、行為が限りなく恋愛の延長線上にあると信じるためのお布施として一万五千円を払っているんじゃないかとぼんやり思った。それを「イチゴ」と言い換えるのは自分を誤魔化し部分的に思考停止するためであり、「イチゴ」は私に付けられた値段じゃないような気がした。誰に支払われたのかよく分からない一万円札と五千円札が急に忌々しくなり、コンビニのATMにその二枚のお札を吸い込ませ、まったく無機質な数字に変えた。
脳裏にいるその男の面影を黒く塗りつぶすような気持ちでストゥージズを最大音量で再生し、駅から家までの道のりをゆっくり歩き始めた。





100円でもヤル気に直結するので本当に感謝でしかないです。新宿ゴールデン街でお店番してたりします、詳しくはTwitterから。