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8月8日 あなたの存在意義は何ですか


私は昔からポエムのような、
このような文章を書くことが好きです。

インスタのストーリーは文字多めで呟く感覚で更新する事が多かったです。

履歴を見返すと、
数年前、人生に光を見出そうと必死で
周りから見れば輝いていただろう時代に残す文章は
明るいことを言っているようで、世の中への恨みつらみそんな温度を感じる文章ばっかりでした。

でも最近、決して輝いてるだけではないけど、地に足をつけた幸せを見つける事が出来るようになった今では
日々の幸せや感謝にフォーカスしたことをよく書くようになった気がします。
一見こっちの方が病んでるかもみたいに見えるかもしれないけど、とても穏やかな気持ちで書いてる。


ふとスマホをイジってる時にセルフラブ系のオンラインサロンの広告文が目に入った。
「私が私でいることで世界が変わる気がする、そんな気持ちの人が増えたなら...etc」

みたいな文を見かけた時に、
何故か懐かしい気持ちを感じました。

多分、同じようなことを数年前の自分も言っていたと思う。必死に自分の存在意義を見出そうとしていたと思う。

この広告が間違えてるとも思わないし、内容を見てないのでどういう意図が込められてるかも知らない。否定する気もない。

でもパッと見の印象で受け取る限り、数年前の自分と重なったのです。

自分を認めるということは、この世界への自分の存在価値を認めることだと思ってた。

でも、どこかで自分が存在してようがしてまいが世界は変わらないという虚無感もあった。

だって、極論生きることに意味なんてないのだから。
そんなの分かりきってるじゃない。

絶対的に意味が無いという訳ではなくて、意味付けしていくことに意味がある訳で、そもそもは意味はなくて。

歴史に名を刻む人々のお陰で今があるのは揺るぎない事実であっても、居なければ居ないなりの今があった訳だし。

他者と交わる世界線に価値観を置くと、一時的には爆発的なパワーを得ることは出来るだろうけど、どことなく虚無と無力感と常に戦っていかなければいけない。

数年前の自分が戦っていたものってこれだったのかもしれないと、ふと気がつきました。

『私が誰であろうと、世界にはちっとも影響なんてない。そんな自分を愛しているし、でも、やっぱり理想の世界の為に何か小さな事でもやり続けている私でありたい。』

自分の無力さを受け入れて、愛せたからこそ、
今の穏やかな自分を手に入れられたような、そんな気がします。

問いといてなんですけど、
私には存在意義なんて、ないです。

もしあなたにとって私に存在意義があるとするのなら、それが存在意義です。それ以上も以下もありません。

私は日々幸せと感謝を拾いながら、未来を創造していくことが楽しいので、生きてます。それだけです。私にとってはそれで良いのです。




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