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137. 引っ越したい夫、残りたい妻

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日に更新のフランス滞在記をお届けします。
今号は、コロナ禍で隣の市に引っ越しをしようと夫婦で話しあった時の話。
当時切り落としてしまった当時の感情は、一体今のわたしに何を教えてくれるのだろう?


2020年4月。
3月にフランスから帰ってきたら、これまで賃貸として借りていた里山の家から引っ越すことが決まっていた。フランス滞在中にこの家の大家さんが急遽され、里山の家は、売りに出されることが決まったのだ。

2018年。
静かでのんびりとしたこの土地の持つ雰囲気に惹かれ、さまざまな縁に導かれるようにこの里山へ引っ越してきたわたし達。それ以前に(まだ新婚ほやほやでしたねぇ)暮らしていたつくば駅近くのマンションの更新期限が2週間後に迫っていたときのこと。

夫婦で気に入っていた筑波山麓の里山に「いつか、このあたりに住めたらいいね」と言っていたら、友人の紹介からあれよあれよという間にこの地でたまたま空き家になっていた一軒家の大家さんにつながって、夢の里山一軒家ライフがはじまったのだった。

当時、まだその家は亡くなったおじいさんが暮らしていた時の状態そのままで、大家さん家族とわたし達夫婦で荷物や家財道具を運び出し、大掃除をした。

引っ越し当日はトラックを借りて、自分たちで荷物を運び出し、縁側に荷物を並べていった。

家の前には立派な梅の木があり、背後の山からはウグイスの鳴き声が響いていた。その声を聴きながら春の日差しの下、庭にテーブルを出して、一緒に手伝ってくれた若い人たちとおにぎりや桜の塩漬けの入った卵焼きや唐揚げを食べた。

そうそう。その晩は、お仏壇だけまだ運んでなくて(お坊さんが魂を移す儀式をまだなさってなくて)、「わたし達は決して悪いものではありません。このお家に大事に住まわせていただきます!」と手を合わせて、ドキドキしながら眠りについたっけ・・・。

元々母屋(今はつくば市内の公園に移築され展示されている)のあった庭は広々としていて、引っ越したらのんびりと畑でもやろうかと言っていた直後。長きにわたるつわり、夫と子供の生活リズムの違いに悩んだり、アトピーが酷い娘の背中をさすってほとんど眠れない夜を過ごした時期もあったけれど、この地はわたし達のすべてを包み込んでくれた。小さな小さな我が子をこの自然も人々もおおらかで優しい環境のなか育んでもらえたことは、わたしにとって人生の大きなギフトだと思っている。

正直、わたしはまだここにいたかった。
でもきっと、ずっと住んでみたかった憧れの地・フランスでの経験は、新しい場に移るわたしの背中をそっと押してくれるだろう。そう期待を寄せつつ気持ちに折り合いをつけようとしていた。

しかしだ。
まるで逃げ帰るようにフランスを脱出し、帰ってきたら帰ってきたで2週間家族以外の人との交流が絶たれた。なんじゃこりゃ、である。
自粛期間の間、わたしはひたすらこの里山の自然と交流していたのだが、その時間が「やはりまだここに居たい」という想いをいたずらに強めてしまった。そこで、わたしはダメ元で大家さんの奥さまに電話をした。

「こういう状況なのでなかなか動くのが難しくて・・。もう少しここに住まわせていただけませんか?もし新しく住みたいとおっしゃる方がいたらすぐにお引っ越しますので」

そうお願いすると、小さい子どもがいたからだろう、奥さまは「それは大変。しばらく住んでいていいよ」と言ってくださった。

一方その頃。
夫は慣れないテレワーク環境のなから何とか仕事を進めようと頑張っていた。インターネットの接続が良くない中で、家族が騒がしくて集中できない環境の中で、家族の生活を支えなくてはと必死だったのだと思う。

パソコンデスクを縁側に引っ張り出して、衝立を立てて簡易的な仕事部屋を作り、彼はそこで一日中ミーティングをしていた。時々、そこから漏れ出る音を聞きながら「普段、彼はこんな風に仕事をしているのか」と不思議な気持ちになった。朝見送ってから帰ってくるまで間のブラックボックスの中身ってこんな風になっていたんだな・・と。

彼が仕事を終えた頃合いを見計らって、先ほどの大家さんの奥様とのやりとりを共有した。そして、「こんな状況だから、今は動かない方がいいと思う。大家さんの奥さまもまだここにいて良いって言ってくださっているし」とコロナが落ち着くまでしばらくここに居たい、今は引っ越したくないという意向を伝えた。

しかし彼はゆるがなかった。
「いや。無理だ。ここではとても仕事ができないよ」

それから話し合って、結局はつくば市へ引っ越すことを選んだ。でも、どんな風に折り合いをつけたのか、どんな風に自分の気持ちを納得させたのかはよく覚えていない。

結果的に、里山からつくば市に引っ越してよかったと思う部分もたくさんあった。かけがえのない出会いもたくさんあった。けれど、わたしの心の中には、「納得していない」「わたしはここに居たかったのに」という想いが未だにくすぶり漂流したままだったのかもしれない。

内省をしたりして、それに触れてみると一番最初にやってくるのは怒りだった。わたしは時々、日頃の生活の中でなんでこんな理不尽なことで夫に腹を立てているのだろう?と思うことが度々あるのだろうけれど、その時の感じはこの怒りにとてもよく似ている。

もしかしたらあの時の(そこに付随した)漂流物は出る場所を探しているのかもしれないな、と時を経て気づく。

そして、怒りの背後には「仕方がなかった」という諦めと共に、悲しみが横たわっているような気がした。

一体、わたしはずっと、どんな悲しみを抱いてきたのだろう?
あの時、わたしは何を諦めてしまったんだろう?
あの時わたしが大切にしたかったものって何だったんだろう?


3年の時を経て、いま家族でもう少し自然が豊かなところへ引っ越そうか、という話題が出てきている。その折にあの時のことを思い出しているというのは決して偶然ではないと思う。

あの時から自分が一生懸命抱えてきた感情はなんなのかはまだはっきりとはわからないけれど、今後の行動選択の大きな原動力となることを、はっきりと自覚している。

やっぱりこうして「ふり返って書く」というのは、自分の記憶の中の漂流物や時を供養する大きな力があるようだ。

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