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スマホ動線をつけることで罪悪感にもとづく心の癖が見えてきた

2021年11月28日からデジタルデトックスに取り組んでいます。
この期間、毎週日曜日に一つずつ新しいミッションに取り組んでいるのですが、先週のミッション②は「代替動作を設定しよう」でした。

ミッション①「スマホ動線の記録」を分析して、「ダラダラスマホ時間」と「有意義な時間」に選別しました。そして、「ダラダラスマホ時間」の方は他の動作に置き換える、ということをやってみました。

これらのミッションに取り組む上で、ささやかな変化や心の動きをとても大切にしています。急激な変化を嫌う脳に負荷をかけずに進められるように、小さな微調整を行っていっています。


メールやメッセージアプリを開く代わりに自分に「お疲れ様でした」と言ってあげる

わたしの場合は、ミッション①・②の結果、何かがひと段落するたびにちょこちょことメールや、メッセージアプリを開く癖があることがわかりました。一回の時間は数分とごく短いですが、その度にノイズが入るので、チリも積もって長い目で見ると生産的ではないなぁという感じがしました。

そこで、「きっかけ」である『何かがひと段落した時』・・のあとに続くことをお茶を入れる、深呼吸をする、などメッセージアプリ以外の動作を入れてみることにしました。そして、「〇〇が終わったね、お疲れ様でした」と労いのメッセージを自分にかけてあげるようにしました。そうすることで、「このタスクはもう終わりました」と脳に認識してもらうことができます。

これをしないと、無意識的に「あれ、まだやり残したことがあったのではないだろうか」「まだやれることがあったのかもしれない」という疑念が脳の中に漂うことがあります。目の前のタスクは終わっているはずなのに、脳にとってはまだ終わっていないことになっているのです。

わたし達の脳には、やり残した(と脳が認識した)状態で死後を仕事を終えると、ずっとそのことが気に掛かり他のことに取り掛かれなくなるという性質があります。

これをツァイガルニック効果といいます。

脳はやり終えたことよりも、途中になってしまったことや中断してしまったことの方が認識しやすいのです。そこで、「お疲れ様でした」と言ってあげることでやり終えた方へ認識を強く向けてあげます。「ない」から「ある」へ意識を向けてあげるのですね。そうすることで、のちに取り組むことに気持ちを引きずらずに臨むことができます。

でも、予定通りに仕事が終わらないこともありますよね。ツァイガルニック効果を研究しているフロリダ州立大学のロイ・バウマイスター教授によると、そんな時は仕事を終えるときに「これからどうやって仕上げるか計画を立てる」と、脳がこの課題が終わったと認識でき、ツァイガルニック効果の影響を受けなくて済むようです。

何より、つどつど自分を労う言葉をかけてあげられるのはいいですね。お疲れ様って普段人にいうことはあってもなかなか自分に言う機会はないものだと思います。人に言うように自分にもしてあげる。そうすることで結果的に人に使う「お疲れ様」のあたたかさが増してくるのだと思います。


メッセージアプリ、メールをチェックする時間を決める

メッセージアプリはちょこちょこと開くのではなくて、13時半〜14時と言うように一日の中で、開く時間を決めてあげるのです。

「この時間はそのための時間だよ」という枠を与えておくことで、「もしかしたら来ているかも・・」とちょこちょこと確認してしまいたくなる心の働きを穏やかにしてあげることができます。

結果、レスポンスが遅れたためにメッセージをくれた友人とすれ違うこともありますが、よくよく考えてみるとその中でそんなに早急に行動を起こさなくてはならないことって案外ないものです。そしてもし気になるのならば、あまりメッセージアプリを開かない、この時間だったら見ることが多いと言うようによく連絡をとる人には伝えておけばいいことです。


罪悪感のリリースが進んでいる

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スマホの動線をつけていると自分の心の癖が見えてきます。いつもはスマホなどに逃げていた感情や欲求がありありとノートの中に見えてくるのです。自分の行動パターンをよくよく見つめてみると、そこに「罪悪感の補完」のためのものが多いなぁと言うことに気がつきました。何かを埋め合わせるために行動してしまうのです。

わたしは物心ついてから、「何をやってもいつも終わった気がしない」という気持ちを抱えやすい子どもでした。それは「終わっていないから遊んではいけない」と無意識的に楽しいことを遠ざけてしまう傾向があって今もなおわたしの心の中で働いているのです。これは人間関係にも及んでいて、子どもや家族、友人に対しても「この前〇〇してあげられなかったんだから、今日はこれをして埋め合わせを・・」と言うように、かつての「してあげられなかった〇〇」を引きずってそれを埋め合わせるように行動を起こしてしまうことがわかりました。

よくよく考えると、わたしの親(特に母)がそうだったのでわたし自身も無意識的に真似ていたのでしょう。

だから、日常生活の中で「5分間皿洗いをする」というほんの小さなタスクの中で「お皿洗いが終わったね。お疲れ様でした」と労いの声をかけてあげて、一つ一つの仕事が完了したんだよと認識し続けることが大切だなと思う今日この頃です。

きっとその先には、何かの埋め合わせではない、その時にしかない愛情を目の前の人に注ぐという在り方が見えます。



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