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102. スーツケースの予兆と帰国の決意

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。今号から2020年3月16日のマクロン大統領のロックダウン宣言のあとについて書いていきます。

ロックダウンにより空路、陸路がどんどん閉鎖されていくのに伴い、予定よりも帰国の予定を早める決断をしたわたし達。その決断は突発的なように思われたけれど、当時の日記を読み返すと、「スーツケースの音」として、少し前からその予兆を感じていたようでした。


3月11日【学校など教育機関の閉鎖】
学校閉鎖になり、仕事も出勤が必要な人以外自宅で、と指示が出た。そのあたりから街中でスーツケース(を引く人)を見る機会が増えていく。
(みんなどこへ行くんだろう?)。ニュースを見ると、仕事に行けず都心部の狭いマンションに閉じ込められるよりは家族のもとへと動く人が多かったとのこと。

3月14日【生活に必要不可欠な商業施設以外閉鎖が勧告される】
夫が職場でお世話になった同僚とご家族を我が家に招いて、手巻き寿司を振る舞う。そろそろお開きにしようかという頃、「今から4時間後にレストランなどが全て閉まる」と一人が言った。(3月16日は私のお誕生日ディナーのつもりだったのに…。それにしても、急過ぎない?何が起こっているの?)
生活に必要不可欠な商業施設以外は閉鎖されるが、食料品や衣料品など生活に必要不可欠なものを扱うお店は引く続き営業とのこと。


3月15日【生活に必要不可欠な商業施設以外閉鎖】
街中は規則を守って、営業しているお店とそうでないお店とまばら。マルシェは普通に開いていて、たくさんの人がいつも通り買い物を楽しんでいる。公園には子供たちもいるし。フランスのパリのニュースは大袈裟なのでは?いつもとグルノーブルの街の雰囲気はあんまり変わらないし、人も楽しそうにしているし…。でもさっきからやっぱりスーツケースを引く人が多い。みんな田舎に帰るのかな?。明日の夜、大統領から外出制限が出るらしいが、それについて新しい発表があるという噂をニュースでみる。17時以降外出禁止になるのかも?と。


3月16日【私の誕生日・マクロン大統領からのロックダウン宣言】
明日の正午から外出禁止令を発動すると大統領のテレビ演説がある。(でも、フランス語で何を言っているのかさっぱりわからない…。違反者には罰則があるらしいが、その拘束力はどれくらいあるの?)。
明日、グルノーブルアルプ大学で知り合った日本人留学生を招いて食事会をする予定だったが、「残念だけど今回はやめておこう」と彼に連絡。
その後あたりから、わたしの住むマンションはみんなバタバタゴトゴトと動いている感じがあり、エレベーターが何回も行ったり来たりしていて、人が動いている感じがしました。スーツケースを引いて出ていく人や、大量にゴミを捨て始める人がいる。(なんか変。なんかおかしい)。


3月17日【外出禁止令発動】
朝、窓を開けると街中をスーツケースを転がす音が響く。夫に偵察してきてもらったが、人は少ないものの特筆して変わったことはない様子。周りの日本人に聞いても確かにそうみたいだ。でも、「何かおかしい」。
日本にいる家族からは「早く帰りなさい」というメッセージが連日来る。日本ではフランスの外出禁止令のことが結構ニュースになっているらしい。日本のメディアは大袈裟だしなぁ…。とは思いましたが、やはり早く帰った方が良いと帰国を決める。

夜、急いで荷造り。ゴミを捨てがてら、家の前に恐る恐る出てみたら、いつもは縦列駐車でパンパンな通りにスペースがある。やっぱり人々が移動を始めたんだなと思い至りました。ニュースを見たら、パリなどの主要駅が人でごった返していて、長距離バスやTGV(長距離列車)の本数は減ってきている。私たちが予約していた列車はWebサイトでチェックすると「突然なくなることがあるが悪しからず」というような注意書きがありました。(フランス語なのでよくわからないが)。ここで、予約していたパリへの鉄道代やパリのホテル代、シャルル・ド・ゴール空港発の航空券代など全部捨てて、一番近いリヨン空港までレンタカーで走って、パリのシャルル・ド・ゴール空港を経由して帰るというルートに変更することにした。(陸の移動は止まっても、飛行機は最後まで残ると聞いて)。

当時の日記より(一部編集)

言語がわからない土地で暮らすと、こういうとき自分が圧倒的に情報弱者であることを思い知らされる。しかし外の情報に頼れない時、何か変だな、おかしいな、という違和感や直感めいたものが冴えてくる。その形にならない違和感をスーツケースの音として拾っていたのは、はじめは「早く安心できる場所に帰りたい」という過去からの疼きのように感じられて、「わたしの妄想かな?」とやり過ごすのだけれど、途中から「早く帰りなさい」という未来からのはっきりとした明示に聞こえてきて、帰国の背を押した。結果的にそのおかげで間一髪、日本に帰ってくることができた。

そしてまた、帰国の背を押してくれたのは、周囲の人の助けがあったから。その辺りの話を、次回から書いていきたいと思う。

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