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1978年最大の音楽的事件:サザンオールスターズの登場!

 サザンオールスターズのデビューシングル「勝手にシンドバッド」が発売されたのは1978年6月25日のこと。ちょうどわたしが大学に入学して浮かれはじめたころのことなんです。ご存じのように、この曲はかなりのヒットとなり、サザンオールスターズはテレビの音楽番組などによく出演していました。短パン、ランニングにヘアバンドみたいなのをした桑田佳祐がテレビで歌ってるのをよく見た覚えがあるんです。

 本当のことを言うと、このときこのバンドには全く興味を覚えませんでした。「勝手にシンドバッド」の曲自体に拒否感はなかったし、まあまあいい曲だとは思っていたのですが、世間の多くの人と同じように、わたしにも彼らはコミックバンド的に見えていて、どうせ長続きしない一発屋だろ?みたいに思っていたのです。ちょうどこの頃、世良公則&ツイストというバンドが結構ロックぽい歌をヒットさせていて、世の中的には、そっちのほうが「本格派」というイメージがあったたと思うんです。わたしもその一人でした。(といって、熱心に世良公則聴いたわけじゃないのですが…)

 ところが、 8月25日に最初のLP「熱い胸さわぎ」が発売されて、このアルバムを買った友人がいたのですね。わたしがわりとロック好きなことを知っていたその友人が、このアルバムをわざわざ貸してくれたのですよ。このときも、「えー、サザンオールスターズ?? あんまり興味なんだけどなー」というのが最初のリアクションだったと思うのです。しかもその友人は、ロックファンと言うよりは、吉田拓郎の熱心なファンだったのですよね。だからあまり期待してなかったというのもあったんですが、このときの彼はかなりこれを熱心に勧めてくれたのですよ(ホントすいませんw)

今でも思うのですが、このジャケットは「あんまり」だと思うのですよねw。当時友達から貸してもらったときも、このジャケット見て「あまり期待できないな」と本当に思いましたので…

 ところが、こうして全く期待もせずに聴いた「熱い胸さわぎ」にすっかり参ってしまったわけなんです。いまさらわたしが言うこともないでしょうが、桑田佳祐は、それまでどうにもロックに乗りにくかった日本語を見事なまでにロックのリズムに乗せて聴かせるということを「発明」したわけで、そんなもの今まで一度も聴いたことがなかったわけなのですよね。それに、わたしが何よりも感じたのは、それまで聴いたどの日本語のロックバンドより歌詞がいちいちすばらしいことだったんです。まあ、内容はそれこそ、ヤりたい男の心情みたいなものが多いわけですが、それが当時のわたしにぴったりだった(笑)

改めてアルバムを聴いて、歌詞をみて、いろいろと驚くわけなんです。

今何時? そうねだいたいね
今何時? ちょっと待ってて
今何時? まだはやい
不思議なものね あんたを見れば
胸騒ぎの腰つき

勝手にシンドバッド / サザンオールスターズ

 この歌詞を噛みしめるとですね、ほんとに彼女とヤれるシチュエーションになったのに、まだベッドに誘うのは早すぎる、でもヤりたい(笑) 腰つき見るだけでああムラムラ…という歌詞ですよね。こういうくだらない妄想みたいなことを、こういう日本語で表現して、しかもロックの歌詞として歌うということをやるミュージシャンを、とにかく人生はじめて体験したわけです。

さらに、この曲ですよねえ。ぶっ飛んだのは。

女呼んでもんで抱いていい気持ち
夢にまで見た rug and roll
女なんてそんなもんさ

女呼んでブギ / サザンオールスターズ

しかも、これに続くフレーズで、モテ男の話が出て、その挙げ句に、こうやって落とすんです。

本当の気持ちは
女呼んでもんで抱いて

女呼んでブギ / サザンオールスターズ

 女にモテるイケメンに嫉妬しつつ、とはいえどうせお前も一皮むけば…みたいな、こじれた感情を歌ってるわけだとわたしは理解したわけです。もちろん歌詞の中にはなんだかわからないフレーズも散りばめられてたりするので、いろいろな解釈ができるような感じになっているわけですが、こういう歌詞の書き方って、洋楽の人たちがよくやる手法だと思うのですね。逆に言うと、そういう歌詞を「日本語」で歌う人がついに出現したということだと思うのです。こうして、たった1枚のアルバム、それもファースト・アルバムを聴いただけでそれまでの意識が全部ひっくり返って「こりゃとんでもないバンドが出てきたな」と思った次第なのです。

 アルバムを通して聴いて強く印象に残ったのは、桑田佳祐という人は、洋楽全般、とりわけブルースへの理解度が半端なく深いのではないかということなんです。これも、なんかそれまでの日本のロックバンドにあまり感じたことがないことだったのですね。もちろん、日本のロックバンドはみんないろいろな洋楽に影響されながらロックをやっていたのは十分分かっていて、そういうバンドをずっと聴いてきたわけなのですが、ここまで洋楽を消化して栄養にして、そのうえで日本人としての音楽を創造したバンドというのは、歴史上初めてだったのではないかと思うのです。そして、よりによって、大学に入って親元離れて、人生で一番ウカれてる年に、そういうバンドに出会ってしまったわけなのですね(^^)。

 こうして、すっかりサザンオールスターズに注目してしまった訳ですが、彼らは、同じ年の11月25日にはセカンドシングル「気分しだいで責めないで」をリリースします。この曲もかなりのヒットになるわけですが、世の中の彼らを見る目はまだそれほど変化してなかったように思うんです。ところが、翌79年3月25日に、いよいよ「いとしのエリー」が発売されて、世の中の評価がひっくり返るわけなのですよね。当時ヒットしてた世良公則&ツイストとサザンを比べて、「どっちが本物だ」みたいな論調の報道がけっこうあったのですが、「いとしのエリー」が出たことで、サザンをイロモノ視していた人たちが、一斉に黙ったのをリアルタイムで経験したというのは、これまた実に痛快で面白い経験だったわけです。

 そして、すっかりサザンオールスターズが大好きになったわたしは、その後もかっこつけてフュージョンやジャズを軸に聴きつつも、けっこう熱心にサザンオールスターズを青春のBGMとしながら、一方でたまにやってくるジェネシスファミリーのアルバムを買うという事になっていくわけです。

それにしても、大学時代に聴いたサザンのアルバムは、どれも甲乙つけられないほど好きです。やっぱり一番は、最初に衝撃を受けた「熱い胸さわぎ」かもしれないのですが、この時代のアルバムはこれ以降も全部好きですよ。

10ナンバーズ・からっと 1979

最初にリリースされたとき、歌詞カードに記号だけで文字が書かれてない曲が何曲かあったのですが、そのうちの1曲が「ブルースへようこそ」ですね。歌詞カードなしにこの曲を聴いて、最初何を言ってるのかまったくわからなかったのですが、これが男同士のセ○クスを歌っていて、そのコーラスが「あ〜あ〜みそがつく」と言ってるということに気づいたときの衝撃は忘れられません(笑)

タイニイ・バブルス 1980

エンディングに印象的な曲を置くというのは、プログレの人たちが特に好きな手法ではないかと思うのですが、エンディングの「 働けロック・バンド」 が秀逸でしたね。ここまで来て、初期のTV番組での扱いを自虐的に嘆いてみせるなんてのは、やはり彼らじゃ無いと出来なかったのではないかと。

ステレオ太陽族 1981

1曲1曲の粒が揃ってきたというか、完成度がかなり上がった感じがして、ここに来て押しも押されぬトップミュージッククリエーターとして完成した感じがしたんです。そろそろ就職を控えたわたしには印象深い1枚でした。

ここまでは大学生の時代に聴きました。この先は社会人になってから聴くわけです。

NUDE MAN 1982

綺麗 1983

人気者で行こう 1984

KAMAKURA 1985


 ちょうどわたしは、大学を卒業して社会人になった1982年、NUDE MANがリリースされた頃に出会った女性といろいろあって、結局KAMAKURAがリリースされた後に結婚することになるわけです。男子校出身の男が、やっと大学時代に共学の環境になり、まあちょっとは女性と絡むようになり、その青春時代の甘酸っぱい(だけではなかったけど…笑)BGMがそのままサザンオールスターズの歴史なんです。そして、今もわたしの傍らにいる女性と付き合っていた時代のBGMも(主に)サザンオールスターズだったということで、デビューからKAMAKURAに至るまでの歴史が、そのまんまわたしの関わった数少ない女性の思い出とともにあるわけです(^^)。そして、こういう付き合い方をしたからなのか、「意味の分かる日本語の歌って、沁みるよなあ…」という経験を与えてくれたのも、サザンが初めてだったわけなのです。

 残念ながら、本当に彼らが「国民的バンド」と呼ばれるようになる、KAMAKURA以降は、実はそれほど熱心に聞いてなかったのですが、桑田佳祐というミュージシャンについては、やはり尊敬するというか、言葉ではなかなか表現できないほどの敬意をもっています。やはり彼の言葉の力は凄いと思うんですよね。4つ年下のわたしですが、相変わらず深くココロに刺さる歌をうたいますよね。同年代のスーパースターとして、いつまでも活躍して欲しいとココロから願っている一人なのです。

一度もサラリーマン経験などないはずの桑田佳祐が、どうしてこんなにも勤め人の心に刺さる言葉を紡げるのか。あらためて、彼は天才だと思うのでした。

 もう一つ、以前から感じていて、最近TVで何回か拝見して、「ああ、やっぱり」と思ったのが、原由子さんの存在ですね。やっぱりサザンオールスターズの音楽成分には、不可欠なメンバーであり、彼らが夫婦であり続けたことが、サザンオールスターズがここまで長い間第一線のバンドとして続けてこられたことの理由ではないかと思います。やっぱりこの二人が同じ大学の音楽サークルで出会ったことは、レノン、マッカートニーがリバプールで出会ったことと同じような奇跡であったのだという思いを最近強くしていたりするのです。



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