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1978年 EL&P死す!: Love Beachの衝撃(笑)

  1978年というのは、わたしにとって人生最大に浮かれていた年だと思うのです。直前の旺文社模試のC判定を覆して、奇跡的に現役で第一志望の地方国立大学に受かってしまい、親元離れて一人暮らしをはじめた年なんです。浮かれるなといわれても、無理な相談です。まあ許してください。

 そんな年、まだときどき読んでいた音楽雑誌で衝撃の情報に触れるのです。それがEL&Pのこのアルバムなんです。まあ、このジャケットをご覧あれ。

 EL&Pを知ってる人で、このアルバムジャケットに衝撃を受けなかった人はいなかったんじゃないかと思うんですよ。「おまえらビージーズかよ!」ってツッコミが世界中から入ったと思うんですよね。いくらわたしが浮かれていたといっても、さすがにこのジャケットは、受け入れられなかった(笑)

 5年前には、こんな感じで一世を風靡したというのに、
5年後の彼らに一体何が….(笑)という感じですよね。

 もちろん今は、このジャケットに至るコンテキストは知ってますよ。もともとEL&Pのメンバーが、レコーディング中からやる気がなく、もう解散が秒読みだったこと。そのため、レコーディング後はそのままレコード会社に丸投げして、アートワークなどにメンバーが全く関わってなかったこと。レコード会社はレコード会社で、「もうプログレの時代じゃねーんだよな」とかいう勝手な感じで、適当な写真をチョイスしたこと等など。でも、当時はそんなことほとんど分からないわけですよ。そして、ある日突然EL&Pのニューアルバムがリリースされて、このジャケットに、あのタイトルで世界中のファンがのけぞったんですねぇ。

 もともと、EL&Pについては、77年のWorks(邦題:ELP四部作)が全然刺さらずに、Works Vol.2(邦題:作品第二番)にいたっては、ついに初めてEL&Pのアルバムを買わなかったという状況になっていたので、結局このアルバムも買わなかったわけなんです。(買うわけないですよね、これをw)

 ということで、実際このアルバムを初めて聞いたのは、2000年代に入ってからだったと思うのです。すいません。今聞くと、まあさすがというか、そんなに聞けないものじゃないんですよ。それどころか、Worksという変なアルバムを挟んでしまったので一貫性がないのですが、これはこれで、78年という時代を考えると、それなりにプログレからの転換を模索している音に聞こえるのですよね。

アルバムのタイトル曲 Love Beach が、ポップな路線を狙ってるのはよくわかるんですよね。それにしても、We can make love on love beach なんて歌詞よく歌うよなあ〜、グレッグ・レイク正気か…とか思っちゃうんですよね(笑)

 一方他のプログレ勢ですが、この年はこんなアルバムがリリースされています。

Tormato / YES

77年の前作Going For The One(邦題:究極)に比べてもさらにポップで短めの曲が多くなっていますね。これも間違いなく時代の雰囲気をかなり反映したイエスの新境地だったのだと思います。

And Then There Were Three(邦題:そして三人が残った) / Genesis 

こちらも、イエス同様短めの曲が多くなったジェネシス。今までのプログレとはちょっと違う路線をとりいれつつ、やっぱりトニー・バンクスのジェネシスならではのセンスもきちんと残っていて、プログレ+ポップのハイブリッドみたいな路線に変わっていく最初のアルバムですね。

U.K. / UK

ジョン・ウェットンとビル・ブルーフォードという、最後のキング・クリムゾンメンバーの2人と、これまたプログレ方面では名の知れた元ソフトマシーンの変態(失礼、これは褒めてるんですw)ギタリスト、アラン・ホールズワースが集結したスーパープログレグループとして、かなり話題になったんです。わたしも買いました。かすかにその後のエイジアにつながる感じもあるように思いますが、どちらかというとまだ時代の変化にさらされる前のプログレっぽい感じが凄く強くて、正直それほどハマらなかったのですよね。

Peter Gabriel 2 : Scratch / Peter Gabriel

前作で、「何がやりたくてジェネシス辞めたんだろう?」の疑問はこのアルバムでも解消しませんでした。ロバート・フリップがプロデュースした本作は、前作よりはすこしアルバム全体のまとまりはあるのだけど、でもやっぱりなんか物足りないアルバムになってしまっていたのですね。この時点ではまだピーター・ガブリエルは、自分の方向性が見いだせてない感じでした。

Please Don't Touch! / Steve Hackett

ついにジェネシスを脱退して、何も気にせずに全力でソロアルバムを作ったんだと思うんですが、こんどは自分の中の音楽性のいろいろな部分を出したら、ちょっと前作より散漫な感じになってしまったように感じたのが、このセカンド・ソロアルバムでした。

 1978年というのは、プログレ勢の目立ったアルバムは本当にこれだけで、明らかにプログレの勢いが衰えてますね。しかし、ここで、ジェネシスは、Follow You Follow Meという、それまでのジェネシスっぽくない甘いラブソングが、全英7位、全米23位というバンドの歴史上最大のシングルヒットとなるわけです。イエスの Tormatoからは、ヒットシングルは出ませんでしたが、やはりこちらもそれまでに比べれば短めの曲が多かったわけです。ジェネシス、イエスに、Love BeachのEL&Pも同じ年に同じような方向性を打ち出していて、これが偶然とはとても思えないのですね。(ピーター・ガブリエルは、まだ自分の立ち位置を模索してるようですし、UKとスティーブ・ハケットに至っては、まったく周囲に影響を受けてるようには見えないのですが…w)

 ちょうどイギリスでは、77年にアルバムデビューしたセックス・ピストルズを中心にパンクムーブメントが沸き起こり、世の中の権威みたいなものに何でもつばを吐くような風潮があったようで、音楽の世界でも、それまで人気だったプログレバンドは、かれらの攻撃の対象になっていただけでなく、評論家なんかも一斉にプログレを過去のものと決めつけるような風潮になったようなのですね。そんな環境のなかで、プログレで一時代を築いた人たちも、みんな自分たちなりの新しい路線を模索していた時期だと思うのです。

 こうして、78年の他のプログレバンドのアルバムは、どれもちょっと小粒感は否めず、さらにジェネシスに至っては、ラブソングがスマッシュヒットしたりしているわけです。こんな年に、EL&Pのこのアルバムのリリースと解散が、世のリスナーに対して「プログレは終わった」というメッセージとなったのは否定できないんじゃないかと思います。そういう意味では、案外罪なアルバムだったのではないかと思うのですが、まあそれも時代の流れなのですね。

 ところが、パンクブームの中心だった当のセックス・ピストルズは、78年になったらすぐに解散してしまうわけで、イギリスにおけるパンクムーブメントはあっという間に終わってしまい、今度はニューウェーブと呼ばれるバンドが台頭してきたり、世界的には映画サタデー・ナイト・フィーバーと、ビージーズの大ヒットでディスコブームが最高潮になっしたりして、時代はどんどんと変わっていくわけです。

 ただ、ジェネシスは、And Then There Were Threeの内容について、パンクを意識したとはオフィシャルには一切発言してないのですね。このアルバムは、フィル・コリンズが最初の離婚に際した頃にレコーディングされていて、フィル・コリンズ不在の中で、残りの二人でほとんど作ったのと、脱退したスティーブ・ハケットの代わりにベースのマイク・ラザフォードがリードギターを弾いたためにスティーブほどのギターソロが弾けなかったという事情で、曲がみんな短くなったと証言しているのです。これが本当だとしたら、ジェネシスはまったくパンクなんか意識せずに、偶然時代にマッチした変化をしてしまったと言うことなのですが….。でも、あの時代のイギリスで、パンクを意識することが無かったとは到底思えないんですけどね。



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