〜第5章〜 アルバム全曲解説 (10)B面-4 The Carpet Crawlers
B面4曲目のこの曲(*1)も、Grand Paradeと同様、ロンドンのアイランドスタジオに戻ってから、急遽追加された曲です。曲は主にトニー・バンクスとマイク・ラザフォードによって書かれ、印象的な歌メロはピーター・ガブリエルの手によるものです。ピーターは、ロンドンの義父母宅にこもって、そこにあった古いピアノを使ってこの歌メロを完成させたのだそうです。急遽追加で作られたにもかかわらず、これほどの名曲が誕生するというのが、彼らの神がかったところですね。この曲はイギリスでは Counting out Time の次のシングル盤(*2)としてカットされ、それよりも売れたという実績があります。
そしてこの曲は、Grand Parade of Lifeless Packaging とはまた異なるピーター・ガブリエルの主張を盛り込んだ曲のようなのです。Grand Parade は、消費文明に対する彼の批判的スタンスだったようですが、この曲は、既成宗教に対する批判的な内容だと言われています。これまでキリスト教との関連がずいぶん取り沙汰されていましたが、むしろピーターはこの曲のわかりにくい表現の中に、キリスト教などの既成宗教に対しての批判的メッセージを込めているのです。
【テキスト】【歌詞】とその内容
さて、B面冒頭から続いたレエルの回想は、主人公の初体験の失敗談を思い出したところで終わり、ストーリーは再びレエルの物語に戻ります。
場面転換に割かれた文章はたったこれだけです。ドリームドールの工場内部で一夜を明かしたらしいレエルがふと現実に戻ると、「カーペットの敷かれた長い廊下」を発見するとなっています。つまり、やはりこの廊下も工場の建物の中だと理解するしかない状況です。そして歌の冒頭ではこう歌われます。
アルバム1曲目の The Lamb Lies Down on Broadway で出てきた The Lamb ですが、以前アルバムではその後一度も登場しないと書きました。ただ、The Lamb そのものは登場しないのですが、ここで lambswool(羊毛)という形で lamb が登場します。これ以降は lamb も lamswool もどちらも登場しませんので、本当にアルバムで lamb という単語が使われるのはここが2回目で、最後なのです。この lamb の再登場は、この曲には何か重要なメッセージが隠されているという、ほのめかしなのかもしれません。
その廊下のシーンが【テキスト】で解説されます。
insignia(記章)とは、一般的に階級、身分などを表す記章、バッジ、ボタンのことですが、この表現から、直感的にクレタ島のクノッソス遺跡の古代神殿のようなものや、石器時代の洞窟にある先史時代の遺跡などを連想する人もいるようで、そういう意図をもった言葉なのでしょう。
廊下には複数人の人がいるようですが、全員がひざまずいてゆっくりと移動しているわけです。廊下の先には木製のドアがあり、全員がそこを目指しています。ここではまだそのドアの先に何があるかは明確にされていません。ここでレエルはこの世界に入ってからはじめて兄以外の人に話しかけるのです。
というわけです。
ここで最初に押さえておくべきは、この奇怪な光景は、まず女性の「膣内を卵子に向かって移動する精子」がモチーフとなっているのだろうという事です。
廊下の壁の色がred ochre(暗めの赤色)というのが、いかにもそういう色を暗示しているわけです。そして、前曲 Counting out Time では、不完全ながらレエルは最後までフィニッシュしている、つまり「射精」を終えているわけです。すると、次のシーンは、放出された精子が卵子を目指して移動する場面というのは、まさに符号するわけです。だから、ここには廊下を這いつくばって前進するへんな人たち(Crawlers)がいるわけなのですね。そして、そう考えると、この【歌詞】のリフレインが腑に落ちるのです。
つまり、放出されたあまたの精子にとっては、卵子にたどり着いたたった1つだけが受精して、胎児となりやがて外に出て行くことが出来るわけです。そういうモチーフなのです。
そして、細かい内容としては、先にも書いた通り、ピーターの既成宗教に対する、疑問や否定的なスタンスが表現されているようなのです。
まず、【テキスト】に登場する monk(僧侶)と sphinx-like(スフィンクスみたいな人)についてです。この monk とは、キリスト教に限定してはいませんが、要するに西洋で支配的な既成宗教の代名詞として登場しているのだと思います。そして、その既成宗教を代表する僧侶は「酔っ払っている」状態で、さらに「あくびを隠して」「夜明けまでにはまだ時間がかかる」と、もっともらしいことを言うのです。この辺が、ピーターの既存宗教は「役に立たない」的な思いを単純に表明した部分ではないでしょうか。そして、その僧侶を「酔っ払ってる」「彼に聞くな」と忠告してくれる「スフィンクスみたいな人」というキャラクターが、それらの既成宗教に影響を与えたと言われるエジプトの古代宗教を表しているのではないかという解釈があります。つまり、現代において支配的な宗教について、ずっと昔の、その大元として影響を与えた宗教が、「これはダメだ」と断じてるという意味だというわけです。
そして歌のイントロは続きます。
これは、中世の神話を背景にした歌詞のようです。サンショウウオは、木の中で冬眠する性質があり、その木を火にくべると中からサンショウウオが出てくることがあるということから、サンショウウオは火の属性を持つ生き物で、さらに火の中で生きることができるという伝承があるそうです。ここでは、その逆に、サンショウウオが得意のはずの火に飛び込んで破壊されているということで、このパートは、Broadway Melody of 1974 の歌詞と同じように、あり得ないことを表現したものではないでしょうか。また、このパートは、歌詞冒頭の lambswool の暖かく心地よい印象から一転して、火のような破壊的なものに変わる事を予感させているという指摘もあります。
この Imaginary creatures(想像上の生き物)というのが何を意味しているのかがよくわかりません。ただ、上のサンショウウオの伝説を踏まえて、人間の観念の中で、実際は存在しない生物が誕生しているということでしょうか…
ここはギリシャ神話のエピソードのようです。ここでの「金のフリース」とは、コルキスにいた翼を持つ金色のヒツジの毛皮のことで、秘宝とされていたものです。ここでも間接的ですがヒツジが出てくるんですね。この「金のフリース」とは権威と王権の象徴であり、ある王様の命令で、これを探す旅に出る英雄の物語があるそうです。「ノミ」というのは、普通の人々を表す比喩で、そういう人は、金のフリース(権威)にしがみつくというような意味で、偶像崇拝する一般の宗教信者をあてこすったものかもしれません。
そして最初のヴァースが歌われます。
【テキスト】では、僧侶とスフィンクスみたいな人以外は some people と書かれていましたが、【歌詞】では床を覆い尽くすほどの人が這いつくばっていると表現されています。ここで、「二度目に見た人々は以前より生命力が増している」というのは、最初に見た人はドリームドールで、生きてるとは言いがたかったので、今度は生きてる人だという意味でしょう。そして、廊下の突き当たりには重い木の扉があると表現されます。(ちなみに、この廊下で這わずに立っているのはレエルだけというシーンです)
そして、この部分がまた聖書のエピソードを背景にしたフレーズです。新約聖書マルコの福音書10章27節には、イエスが「金持ちが天の御国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方が簡単だ」と述べるというエピソードがあります。そして、ここでは、その「針の穴(=目)」がウインクしていて、貧しい人にとっても天国の門が閉ざされていることが表現されています。この部分は、既成宗教が貧しい人々に救いを与えていないのではないか、というピーターの考えが表明されているのだという指摘があります。
そしてリフレインです
heed their callers を「呼びかけに応じる」と訳しましたが、要するに「(ここから)出るためには中に入らなければならない」というのは、誰かが呼びかけている内容であり、彼らはそれに従っているというわけですね。これは神が呼びかけているのか、それとも自らの内面から出てくる「本能」のようなものなのか、そういう含みを持たせた歌詞なのだと思います。
カーペットを這う者たちの顔が全員同じ方向を向いていて、それは天井の方を向いています。つまり扉の先に上に行く階段があることを暗示するような歌詞ですが、これも、「全員の顔が同じ方向を向いている」という、宗教信者への当てこすりっぽい歌詞ではないかと思います。「上を向く」というのも、神のいる天上界を見ているという解釈もできると思います。
これは、光を求めて上に上に伸びていく植物に例えて、上を目指す、よりよい生活を目指す人間のことを示しているのだと思われます。
そういう思いで読むと、ちょっとこういう部分も、何か宗教への批判に思えてくるのですが、自由を求めて信仰しているのに、実は制度化された既成宗教の中に自由など全くないということを暗に示しているのかもしれません…
これは明らかにアメリカのDCコミックスのスーパーマン(当時はまだ映画化されていなかった)のことで、「温厚な(Mild mannered)」とは、変身する前のクラーク・ケントを示しているそうです。そして、彼の超能力は、惑星クリプトンから採取されたクリプトナイトという物質で無効化されるのです。この一節からはちょっと宗教的なメッセージを受け取ることは難しいのですが、これは何でしょうね…? もしかして、スーパーマンたる「神」にも何か弱みがあるというような暗示でしょうか…
最初の2行の処女の話は、これもまた新約聖書、マタイによる福音書にある、「十人の処女たちのたとえ」にひっかけた表現でしょう。「体が輝く」というのは、賢い処女が油を用意して灯火を絶やさなかったというこのたとえ話の連想から来る言葉ではないかと思います。続く4行は、ちょっとフライング気味に次の曲である The Chamber of 32 Doors の内容が記述されている部分だと思いますが、ここの「収穫の祝宴がキャンドルに照らされる」という意味の言葉は、明らかに祭壇をイメージさせるもので、救いを求めて進む信者の目的地を意味しているのではないかと思います。
最初の2行は、聖書の引用では無いようですが、恐らく「傷つきやすい存在が、危機に怯えている」ようなイメージを喚起する言葉ではないかと思います。そして、次の4行の「水くみ壺(pitchers)」の話も、特定の聖書のエピソードの引用ではないようですが、「水を求める人々の話」は聖書にはよく出てくるテーマなのだそうで、そういうところから婉曲的に宗教のことに触れているのではないかと思います。さらにeager pack(熱望する群衆)という表現は、宗教的な用語を使わずに、信者のことを表しているのではないかと思います。そして、彼らは水をくむのですが、その壺のひび割れから漏れた水が、地面の砂を固めて終わってしまうということだと思います。つまり、危機に怯えた人々が熱心に信仰していても、ひび割れた壺から水が漏れてしまうわけです。熱狂的に信仰していても、その宗教はあまり人々の役に立っていないのではないかという事をたとえたのではないかと思います。
そして最後のリフレインの直前に、この何だか全くわからない歌詞が来るわけです。ところが、今回このフレーズについては、苦節50年wようやくなんか腑に落ちる解説ができそうです(^^)
そもそも前提として、イギリスのカントリーサイドに生まれた人であれば、必ず親から教わる、「マス(trout)を素手で捕まえる方法」なるものがあるのだそうです。
本当にこんなことでマスを素手で捕らえることができるのかはわかりませんが、どうもイギリスではポピュラーな話なんだそうです(*3)。この知識があれば、この歌詞は、単に「くすぐって魚を捕る」という程度の意味として、読み飛ばせる感じになるのです。
ところが、元の話は、マスを捕まえる方法なわけですが、ピーターはここで敢えて、別の魚トゲウオ(stickleback)を登場させるのです。これが韻の関係であることは明らかなのですが、このためにここでもう一つの意味が生じるのです。そもそも、stickleback とは、イギリスの川に生息する淡水魚で、背中に棘があり、これが繁殖期になると大きくなることから、男性器の暗喩として使われることがあるらしいのです。tickler とは、「くすぐる人」「くすぐり棒」のような意味です。つまりここで「男性器をくすぐったら大きくなる」みたいな韻を踏んだダジャレが成立しているわけです。これが第二の意味です。(以前AIが教えてくれたのは主にこの意味でした)
そして、さらにもう少し深くこの状況を考えると、「ちょっとくすぐられて」快感を得たはずの魚は、捕まえられてしまうという、最悪の結末を迎えているわけです。この曲の【歌詞】の文脈の中でこれが採り上げられているということが、「世の中の騙されやすい大衆」のことをほのめかしているのだという指摘があるのです。つまりこれが第三の意味になります。
ひとつの歌詞をほじくっていくと、次々と別な意味があらわれるという、「三段逆スライド方式」みたいな作りの歌詞なのです(笑) おそらく、このアルバムの歌詞は、他にも至る所にこういう仕掛けがされていて、まだ気づいていないものや見逃しているものがたくさんあるのではないでしょうか?
そして曲は、再びあの印象的なリフレインで終わるのです。
結局、これまでも聖書のエピソードを下敷きにした表現が多々ありましたし、この曲にもそういう部分があるわけですが、ここで表現されているように、ピーター・ガブリエルは当時、制度化された既成宗教に対する批判的スタンスを持っており、これがアルバム全体を通したトーンとなっているのでしょう。そしてこれは、ヒッピー文化におけるカウンターカルチャーの基本的態度と合致するものなのです。そして同時に、カウンターカルチャー的に、東洋の宗教、特に「チベット密教」への憧れや期待のようなものが底辺に流れているように感じます。そういう部分を感じさせる曲なのです。
なぜこれほどわかりにくい表現をしたのか?
それにしても、アイランドスタジオの段階で急遽追加するほど、ピーター・ガブリエルにとって大事な主張が込められていたはずなのに、「何故これほどわかりにくい表現をしたのか」という疑問が残るわけです。まあ、例の【テキスト】の「謎の前書き」のように、元からそういうトーンであったと言ってしまえばそれまでなのですが、それにしても、この【歌詞】は普通に読むとほぼ意味不明でありながら、その不可解な文章の下に、極めてわかりにくい形で、既成宗教に対する強い批判を隠しているという、かなり特異な構成となっているのです。
このことを合理的に説明する、ひとつの仮説があります。それは、ピーター・ガブリエルが、特にアメリカで絶大な影響力を持つ福音主義キリスト教徒に干渉したくなかったのではないかというものです。
1966年、ジョン・レノンのジーザス発言(We're more popular than Jesus now 僕らは今やジーザスより人気がある)の後、アメリカのバイブル・ベルト地帯での反発が引き金となり、レコード焼却やラジオ放送禁止に至るような大騒動が起こり、ジョンは釈明に追われたわけです。The Lamb の数年前には、ジェスロ・タルの全米でヒットしたアルバム Aqualung 内の曲に教会批判的な歌詞があり、ビートルズのときほどではありませんでしたが、同じような騒動が起きているのです。いずれもイギリス人がアメリカで批判を受けた事例なわけで、アメリカで売ることを至上命題としていたこの作品で、間違ってもそういうことを引き起こしてはいけないという考えから、ただでさえわかりにくい歌詞を、さらにオブラートに包むようなことをしたのではないかというわけです。
さらに、イギリスではこの曲は、Counting out Time に続くシングル第2弾としてリリースされたのですが、アメリカの配給元であったアトランティックレコードは、この曲ではなく、タイトル曲の The Lamb Lies Down on Broadway を第2弾シングルに選んでいるのです。この関連の証言などは残されていないのですが、やはりアトランティックレコードも、危険な橋を渡りたくなかったのかもしれません。(もちろん、ただ単に「アメリカじゃこんなわけ分かんねー曲売れねーよ」みたいなノリだった可能性も否定できないのですが…w)
【音楽解説】
この曲のバッキングの、いかにもトニー・バンクスのエレキピアノのフレーズは、タイトル曲のブリッジ部分のアルペジオを参考に作られたものではないかと言われています。ちなみに、このアルペジオは、タイトル曲のちょうど2倍の速度になっているそうです。
そして、これもまたタイトル曲のイントロ同様に、かなりトリッキーな運指をしているのですね。
ところがトニー・バンクスは、アイランドスタジオで、急いで作らなければならなかったこの曲について、後にこのように語っています。
この曲の「スタート地点」は、The Lamb Lies Down on Broadwayの[2:35]頃からのバッキングアルペジオではないのかなと思うのですが、トニー・バンクスの記憶ではその関連性はあまり意識されていないのでしょうか? これはちょっと不思議なコメントに思えますね。
いずれにしても、わたしにはこのトニー・バンクスのアルペジオが、なにかゆっくりと前進するもの、キャタピラーがゆっくり動いて行くようなイメージを見事に作り出しているように聞こえており、この曲もこのアルバム特有の「情景を音で表現する」曲の代表的なものであると感じているわけです。
ちなみに、この曲は彼らのライブでもかなりの回数演奏されてきましたが、ピーター脱退後のライブではイントロの部分はカットして演奏していましたね。
そして、もう一つどうしても強調したいのは、やはりスティーブ・ハケットのあの、幻想的とも言えるギターのカウンターメロディなのです。オリジナルのミックスでは案外奥に位置していていあまり目立たないと言えばその通りなのですが、やはりこの曲の印象を決定づけるもう一つの重要な要素は、このギターにあると思うのです(後のSeconds Out収録のライブバージョンの方が印象強いと思いますが…)。スティーブ・ハケットは、このアルバムについては、かねてから「自分は罪のない傍観者だった」みたいな、ちょっと引いたコメントをしているのですが、本当に良い仕事していると思うんですけどね。
そして、ここではかなり抑え気味のドラムプレイをしているフィル・コリンズですが、一方バッキングボーカルには、フィルの声もはっきり聞き取れるわけでして、彼らが2022年のジェネシス最後のライブコンサートにおいて、アンコール最後にこれを選んだというのも、何か分かるような気がするのです。まさに、ガブリエル時代というか、5人組だったジェネシスを象徴する曲であるわけです(*4)。
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【注釈】
*1:どういうわけか、この曲のタイトルは、以下のように様々な表記があります。
Carpet Crawl
Carpet Crawlers
The Carpet Crawl
最初にリリースされたUK盤のLPには、The Carpet Crawlers と記載されていますので、ここでもそれに準じました。恐らくこれが本来ピーター・ガブリエルが書いたタイトルそのものなのだと思います。Carpet Crawlというのは、ドイツの7インチシングルの記載のようで、これは明らかなミスではないかと思います。でもイギリス盤でも、Seconds Outでは、The Carpet Crawl と表記されたり、リマスターCDでは、The がとれて、ただ Carpet Crawlers と表記されていたりして、やはりピーターがいなくなったあとは、けっこういい加減なんですね(笑)
*2:この曲のシングルは、1975年4月にイギリスでシングルカットされました。B面は、Evil Jamとクレジットされていましたが、これは The Waiting Room のライブバージョンのことです。このシングルはイギリスでは1stシングルである Conthing out Time を超えるマイナーヒットとなりました。シングルカット用として意図され、レエルのストーリーから切り離しても意味が通じる曲であった Conting out Time に比べて、この曲の歌詞はストーリーの中にあってもほとんど意味の分からない難解な内容であったのに、こちらの方がヒットしたというのはなかなか皮肉な結果だと思います。
*3:YouTube で tickling trout と検索すると、それらしい動画がいくつか出てきますので、実際こういう漁の方法はあるようです。現在の動画では、サバイバル技術のひとつという扱いが多いようですが。
*4:1999年、ジェネシスのメンバー5人が再び集結し、The Carpet Crawlers 1999 が再録されました。これは、当時発売されたTurn it On Again : The Hitsというコンピレーションに収録されたもので、ここでは、ピーター・ガブリエルとフィル・コリンズのツインリードボーカルを聴くことができます。プロデュースは、トレヴァー・ホーンでした。
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