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〜第4章〜 The Lambの内容 (4)謎の前書きとその解釈

さて、第4章のしめくくりとして、インナースリーブを埋め尽くしているあのストーリー(以下【テキスト】と言います)の謎の冒頭(前書き)部分についての説明をここでしたいと思います。この後の【テキスト】と歌詞については、次の第5章で、1曲づつ記事化するつもりですが、この部分は歌に含まれていない一節ですので、ここで書いておくことにしました。


それにしても本当に訳の分からない書き出しなのです。このアルバムをはじめて手にした高校1年生のとき、LPに翻訳がついていなかったので、英語の辞書を片手に読み始めてみたことがありますが、最初の2文で、即絶望したのを覚えています。昔そういう経験をされた方、結構いらっしゃるのではないでしょうか? 「意味の分からない単語はひとつもないのに、何を言ってるのか完璧にわからない」という英語の見本みたいな文章なんですよね。

ところが、ここにカート・ヴォネガット・ジュニアの「チャンピオンたちの朝食」(の「まえがき」部分)という補助線を持ってくると、これがちょっと意味が分かるような気がしてきたのでした。ここでは、そのスジwにそっての解釈をご披露します。

そもそもここでの1人称 " I " とは誰?

Keep your fingers out of my eye.
君の指で私の視線をさえぎらないでくれ。

While I write I like to glance at the butterflies in glass that are all around the walls.
私は、執筆している間、周囲をガラスで囲われた中にいる蝶を眺めるのが好きなのだ。

【テキスト】

さあ、冒頭の2文です。一応わたしなりの日本語訳をつけてみましたが、これでもまるで意味不明です。そもそも、いきなり出てきた、1人称の " I " とは一体誰なのでしょう? これがこの文章の鍵となるわけですが、ここで考えられるのは、 write(執筆)という言葉があるとおり、これは、いきなりここから始まる物語の作者が出てきたという理解で良いと思います。

すると次の疑問は、「作者は誰か?」と言うことなのですが、皆さんご存じの通り、この文章の作者はピーター・ガブリエル本人であるわけです。そう解釈するのが普通なのですが、それじゃちょっとストレートすぎて面白くないとピーターが思ったのかどうかはわかりませんが、ここにはもうひとつ、いわゆる神(創造主)と人間の関係みたいなものが、ダブルミーニング的にかぶせてあるのだと思うのです。だからわざとわかりにくい書き方をしているのではないでしょうか。つまり、作者=ピーター・ガブリエルであることは揺らぎない事実なのですが、虚構における作者と登場人物の関係というのは、創造主である神と人間の関係と相似形であるのです。なので、ここではそのどっちともとれるような言い回しをあえて使っているのではないかと思うのです。

これは、文学的にはメタフィクションと言われる手法で、虚構である作品の中に、作者本人が登場するというものです。マンガではギャグ作品などによくありましたが、小説では筒井康隆がそういう手法の作品を何作か書いています。ピーター・ガブリエルが当時熱心に読んでいたカート・ヴォネガット・ジュニアの作品、「チャンピオンたちの朝食」、「スローターハウス5」もこの手法を採っており、ピーターもそれにインスパイアされてこういう文章を書いたのではないでしょうか。

Keep your fingers…は引用だった

それにしても冒頭の1文は、なかなか謎だったのですね。

Keep your fingers out of my eye.
君の指で私の視線をさえぎらないでくれ。

【テキスト】

これまで海外では、下記のような解釈をした人がいて、これはファンの間では結構広く知られてはいたのです。

As you open up the gatefold album cover of The Lamb Lies Down On Broadway to read the narrative, you hold it in such a way that your fingers are in the eye of one of the characters on the cover picture, who then tells you to remove them.
The Lamb Lies Down On Broadway のゲートフォールド・アルバム・ジャケットを開いて物語を読もうとすると、指がジャケット写真の登場人物の目に入るように持つことになる。その人物が指を外すように言っているのだ。

The Annotated Lamb Lies Down on Broadway

まあピーター・ガブリエルが、もしアルバムジャケットのデザインを見て、最後の最後にこの前書き部分を付け足したのだとしたら、こういう考えもありえるのかもしれませんが、ちょっと解釈として無理があるような気がします…。

一方、この Keep your fingers out of my eye. は、実はH.G.ウェルズの SF 作品「透明人間(The Invisible Man)」からの引用だったのです。

He extended his hand; it seemed to meet something in mid-air, and he drew it back with a sharp exclamation. "I wish you'd keep your fingers out of my eye," said the aerial voice, in a tone of savage expostulation.
彼は手を伸ばしたが、空中で何かにぶつかったようで、鋭い叫び声とともに手を引いた。「私の目に指を近づけないでほしい」。その空中の声は、怒りもあらわな口調で言った。

Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway

これは、透明人間に手をぶつけて怒られるシーンの会話です。これがウェルズの「透明人間」からの引用であるということは、まさに、これを喋っている " I " は、見えない存在だということです。つまり作中の人物レエルからも見えない存在(作者)、一般の我々からしても見えない存在(創造主)なんです。ピーターは、そういうイメージでこれを引用したのだと思って、間違いないでしょう。かつてWatcher Of The Skiesでアーサー・C・クラークの作品の引用もしたピーターですので、ここでもSF作品からの引用を行ったのでしょう。

あと、2文目についてはそれほど深い意味は無いと思います。「作者(=創造主)は、いつも外側からものを見ているのだ」みたいな印象を与えるための文章でしょう。

ここまで押さえると、この先もまあ何とかわかってくると思うのです。

レエル登場

The people in memory are pinned to events I can't recall too well, but I'm putting one down to watch him break up, decompose and feed another sort of life.
記憶の中の人々は、もう忘れてしまった出来事にピンで留められているが、私はそのうちひとりを、バラバラになって腐敗し、そして別の種類の生命を育むことになるのを見るために置いている。

The one in question is all fully biodegradable material and categorised as 'Rael'.
問題のそいつは、すべて完璧に生分解性の素材で、「レエル」とカテゴライズされている。

【テキスト】

最初の文章は、創造主的観点から、いろいろな人を見てきたが、もうほとんど忘れてしまった。そのなかで今ひとりを観察対象にしているという意味でしょう。ここでの「バラバラになって腐敗し、そして別の種類の生命を育む」という表現が、チベット死者の書で語られる、輪廻転生を暗示した表現のようにも感じます。つまり、創造主はそういうサイクルも外から見ているのだということです。

そしてその「観察対象者」がレエルという名前の人物だということです。「カテゴライズ」とか持って回った言い方をしていますが、これがピーター流の言葉のチョイスです。ここでの「生分解性の素材(biodegradable material)」という表現は、日本語にするとこれまたなんともよく分からないのですが、どうも英語圏の人たちの意見は、「限りなく人間を侮蔑的に表現した」言葉という点では大体一致しているようです。つまり、「レエルという人間は本当にどうしようもないただの生き物」であるみたいな言い方だと思って良いでしょう。

Rael hates me, I like Rael,
レエルは私を嫌い、私はレエルが好きだ。

--yes, even ostriches have feelings, but our relationship is something both of us are learning to live with.
そう、ダチョウ(現実逃避者)にだって感情はある。でも、私たちは、2人が一緒に生きる(共生する)ことを学んでいるというような関係なのだ。

【テキスト】

急に簡単な表現になって、「レエルは私を嫌い、私はレエルが好き」と表現されます。メタフィクション的な関係として考えれば、そりゃ登場人物は作者にいいように過酷な経験をさせられるわけなので、作者が好きなわけなく「いい加減にしろ」みたいな感情が必ずあるわけですし、一方作者はどうにでもできる登場人物のことが好きに決まってます。これを創造主と人間の関係に置きかえると、特に、過酷な運命に晒されている人間であればあるほど、神を呪うみたいな感覚はあるでしょうし、神から見れば、どんな人間も等しく下界の存在みたいな感覚を表現しているわけで、簡単ですが案外深いことを言ってる一文のような気がします。

続く一文は、ostriches をどう考えるかということですが、これは単に生物としてのダチョウではなく、もうひとつの意味の「現実逃避者」という比喩表現と考える方が妥当だと思います。これも、一義的にはレエルという人物をバカにした表現ではないかと思います。でも、ここでは作者と登場人物、神と人間には共生的な関係があるということを言っているわけです。お互い「持ちつ持たれつ」みたいな関係にあるということだと思います。これも、メタフィクション的にはあまり不思議のない表現です。ここに、自らの問題をレエルという作中の人物に投影した作品で自らの救いを求めたピーターの意識が込められてると解釈するのは、ちょっと行きすぎかもしれませんが、そんな気もするのです。

Rael likes a good time, I like a good rhyme, but you won't see me directly anymore – he hates my being around.
レエルは楽しい時間が好きで、私は良い韻を踏むのが好きだ。でも、これ以降あなたはわたしを見ることはないだろう。- 彼は私が周囲にいることを嫌っているんだ。

再び「レエルは楽しい時間が好き」と、享楽的なレエルをバカにするような表現ですが、続いて「私は良い韻を踏むのが好きだ」と来ます。ここは、神というより、ほぼピーター・ガブリエル本人の本音ではないかと思います。これまでもそうでしたが、ジェネシスの歌詞というのは、相当に韻を踏むことにこだわって構成されているわけで、そのためにダジャレ的なものも多く、翻訳すると意味不明になるものがよくあったと思います。これは、「ここでもそれやってるぞ」というピーターの決意表明というか、もっと言うと「難解な言葉を使っていても、あまり深い意味ないから、テヘペロ」みたいな、ピーターの照れ隠しのようなものがつい出てしまっているような気もするのですが、どうでしょう(笑)

そして、「もうこの先私が出てくることはない」としてしめくくるわけです。最後の「レエルは私が周囲にいるのを嫌う」というのは、一応この先出てくることがない理由になっています。

またしても謎の最後

So if his story doesn't stand, I might lend a hand, you understand?
だから、彼の物語が成り立たなければ、私は手を貸すかもしれない、わかるかな?

(ie. the rhyme is planned, dummies).
(つまり、韻は計画されたものなんだよ、ばか者が)。

【テキスト】

そして、問題の最後の2文です。ここに来て、これがまた難しいのです。

最初わたしはちょっと簡単に考えていました。「私は手を貸すかもしれない」という表現は、最後に「何かあったらまた出てくるかもね」的な軽口で、よくステージから袖に帰ろうとして、また戻ってくるギャグがありますが、そんなイメージの表現か、もしくは「ストーリーは絶対ハッピーエンドになるんだよ」ということを、ものすごく遠回しに言った表現なのかもと考えていたのです。でも、それだと最後のカッコ内の文章がなんかあまりしっくりこないのですね。dummies の侮蔑表現も、まあ神が下々を見下した表現だと解釈すれば妥当かなとも思うのですが、ここで読者に毒を吐く意味があんまりよく分からないのです。

そしてこう直してみました。dummies は侮蔑表現ではなく、文字通りダミーであるという意味での解釈です。

(ie. the rhyme is planned, dummies).
(つまり、韻というのは計画されたもの、[わたしの]ダミーなんだよ)

【テキスト】

これは参考図書にも挙げた、日本語で読める唯一のThe Lambの研究書「子羊解体新書Vol.1 ツカモトヤシマ著」(*1)の解釈をもとにした訳です。ツカモトヤシマ氏は、この部分は、「だから物語に登場しなくても私は常に物語の中にいる」という意味だと解釈しています。文章の流れとして、

  • 私は韻がすきだ

  • 私はこれで消える

  • でも、何かあったら出てくるかもね、わかる?

  • 韻は、すべて私がそこにいる証拠なんだよ

という流れになるわけなので、どうもこちらの方がしっくりくるような気がします。「わかる?」と投げかけた後に括弧付きでネタバレしたみたいな感じなのかもしれません。(本当はここ、ちょっと自信ないんですが…w)

いかがでしょう。読んでいただいて、以前よりスッキリとストーリーの「まえがき」としてのこの部分の意味とか意義が、ちょっと腑に落ちた感があるようでしたら幸いです。やはりこれはカート・ヴォネガット・ジュニアの「チャンピオンたちの朝食」の「まえがき」部分にインスパイアされて彼が書いたものだとわたしは思いますが、それにしても、あまり褒められた文章ではないような気がします。メタフィクションを採り入れるなら、もう少し文字数に余裕を持たないと、いろいろ読者に伝わらないような気がするのです。この文字数にそういうことを詰め込んだが故に、難解さが増してしまったような気がします。まあ、敢えてそれを狙ったのかもしれないのですが…。結局、ピーターは、作詞家として天才だと思いますが、恐らく小説家としては「普通」な人なのかもしれません(笑) この文章については、英米の文学者みたいな人がどういう感想をいだくのか、是非聞いてみたいと思います。

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【注釈】

*1:The Lamb Lies Down on Broadway リリース40周年を期に、2013年に出版された日本人による研究書(自費出版本)。正直、日本にこんな凄い人がいるのか、と発売当時絶句しました。Vol.2で完結するはずが、未刊となっているのが残念です。実は、これまでの記事でもいろいろ参考にさせていただいているのですが、今回の記事は、下記書籍の研究を本当に参考にさせていただきました。わたしの記事は「研究」といえるようなものではありませんが、この先行研究がなければ、今回のわたしの解釈には到達できなかったと思います。この場を借りて御礼申し上げます。


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