〜第5章〜 アルバム全曲解説 (11)B面-5 The Chamber of 32 Doors
アルバムのB面最後を飾るこの曲(*1)は、Counting out Time 同様、ピーター・ガブリエルがHeadry Grange のリハーサルに持ち込んだ曲のようで、これも詩・曲ともにピーターの作の曲のようです。それだけに、アイランドスタジオで急遽作られた Carpet Crawlers と違って、この曲は最初から The Lamb のストーリー内で想定されていたシーンだと思われます。ストーリー的には、B面トップの Back in N.Y.C と対をなす曲で、Back in N.Y.C でマッチョにイキっていたレエルが、ここでは心の底から助けを求めるようになるのです。
【テキスト】【歌詞】とその内容
【テキスト】では、あの廊下にいたmonk(僧侶)と sphinx-like(スフィンクスみたいな人)に出会った次にすぐこう語られます。
この廊下で、這わずに立っているのはレエルだけで、彼は Crawlers に関係なく自由に動けるのです。そして、彼らが目指す木の扉を構わずにくぐり、料理が置かれた祭壇のようなものには目もくれず、その先の螺旋階段を一気に駆け上がるのです。するとそこは、半球に近い形の、たくさんの扉がある部屋だったのです。
その部屋には、大群衆がいて、騒々しく叫んでいるのです。その叫び声から、ここには32の扉があり、外に通じているのはたった1つしか無いということがわかるというわけです。ちなみに、新入り(recruit)に「アドバイスや命令」をする人々というのが、ピーターのチャーターハウス時代の数々の「嫌な」経験を踏まえているのではないかという指摘もあるのですが、さてw?
ストーリーは、この後レエルを案内する謎のキャラクターが出てきて、これがC面冒頭の Lylywhite Lilith で歌われるわけですが、ここでも【テキスト】で表現される情報は案外あっさりしていて、レエルの心情などは、ほとんどが【歌詞】で表現されるわけです。
ちなみに、場面としては、あのドリームドールの工場建物内のシーンが続いているわけですが、どうもそろそろレエルがどこにいるのかというのはあまり意味がない展開になっているように思います。この後のC面、D面のシーンでどんどんとそうなっていくわけですが、この曲の「螺旋階段」を登るシーンが、それまでの工場からまた次元の違う世界に移ったことを示しているような気もします。
そして【歌詞】では、冒頭【テキスト】と同じ情景が歌われた後、レエルの心境の吐露が始まるのです。
jugglerは、本来は手品師という意味が一般的ですが、ここでは「詐欺師」と訳してみました。もともとそういうニュアンスがある言葉です。さらに、jugglerとは、タロットカードの「魔術師」を表す言葉でもあるそうです。ここでは、世の中の「金持ち」と「貧乏人」が二項対立的に対峙して、彼らがそれぞれ自らのルールを持って世の中をコントロールしていると思っているが、一方、彼らとは別に、裏で不正な権謀術数により、世の中を操っている存在もいるというような意味合いかと思います。
【歌詞】としては、前の曲より格段に分かりやすく、平易な言葉で書かれています。そして、このときのピーター・ガブリエルの置かれた状況を少しでも知っていれば、この言葉はレエルというキャラクターを借りて吐露した、ピーターの本心であろうことは、ほぼ間違いないだろうと思えるのです。
そして、「どの選択肢を選んでも、事態は何も良くならない。元の場所にもどってしまう」と、現状から逃れられない苦しみを訴えつつも、最後に、「自分の道は自分で見つけなければならない」と覚醒し、その覚悟を歌っているというわけです。
そしてここで、また宗教的なイメージが出てきます。今度は、priest (司祭)と magician(魔術師)です。司祭は、やはり The Carpet Crawlers に出てきた僧侶(monk)と同様に、既成宗教の代名詞として登場しているのでしょう。そして magician は、より秘技的なもの、例えばユダヤ教のカバラなどを匂わせるものらしいのですが、いずれにしても、ここではそういう宗教的なものが、様々な「教え」と称して、一般の人にそれらを売り込んでいるというようなイメージが歌われているのではないかと思います。前曲の文脈を考えれば、ここでも「問題の解決に既成宗教は役に立ってない」という意味合いを挿入していると考える事もできそうです。
先の歌詞で、自分の前に金持ち、後ろに貧乏人というのがありました。このとき、前後の人々はそれぞれが自分なりのルールを持った社会人なわけです。今度は、左に母親、右に父親ということで、世間の人との関係ではなく、自分の家族の関係が取り上げられているわけです。以前レエルの両親については、「自分に乗っている」という表現がありましたが、それ以外に両親の話はなく、ここで急に出てくるのはちょっと唐突な印象を受けますが、やはりこれは、レエルというよりはピーター・ガブリエル本人の話である可能性が高いのだと思います。
聖書には、キリストが 「父なる神の右に座す 」とあるそうで、自分の左側は神の場所というイメージもあるようですが、一方で、自分の右側に位置する母親が上(正しい側)で、左の父親が下(間違っている側)という見方もあるのだそうです。日本では、右大臣と左大臣は左大臣の方が偉いとされているので、逆のようですが、どうも伝統的な西洋の見方では、右側の方が偉いというか、正しいという解釈もあるようです。実際ピーター・ガブリエルは、母親っ子だったらしく、それを「夢見がち」で「軟弱すぎる」と感じた父親が、権威主義的な全寮制の学校(チャーターハウス)に入学させたという、彼の生い立ちが背景にあるようなのです。そして、優しかった母親(*2)が善良で正しい方に立つというイメージが、この後の Lylith や Lamia 等のキャラクターにも通じているのではないかという指摘もあります。
そして曲は再びあの、悲痛な「信頼できる誰かが必要だ」というリフレインをはさんで、また新しい言葉が出てきます。
The Lamb の制作に入る少し前に、ピーターは、ロンドン中心部から西に約180Km程離れた、バースという地に新居を構えていたのです。The Lamb のツアー後にジェネシスを脱退して、しばらく隠遁生活を送ることになる場所がここで、このアルバムの制作中に、やはり都会から離れたい、田舎で生活するのだという意識があったのは間違いないところです。そしてその理由が、こういうことなのです。都会より田舎の人の方が実直であり、変なビジネスマンより、手に職のある人の方が信頼できる。そういう人たちの間で暮らせば、何か変なことに乗せられることはないだろう。そういう意識が、悩めるピーター・ガブリエルの根底にあったのは間違いないのでしょう。
ところが、自分で道を見つけなければと悟ったとしても、やはりどうしても解決策を自分では見いだせない。だから、「誰か助けてくれ!」と叫んでしまうわけです。この展開は主にストーリーをつなぐ必然性から来ているのだと思いますが、やはりピーターが抱えていた閉塞感の表れであるという解釈もあると思います。こうして、ストーリーとしては、B面冒頭でワルである存在証明をしていたレエルは、ここで悔い改めて、心から助けを求めるようなことになるわけです。
【音楽解説】
曲は冒頭から荘厳なメロトロンをバックに、スティーブ・ハケットの泣きのギターでスタートします。ボーカルパートの最初は、早めのリズムで、32の扉の部屋に人があふれ、右往左往し、叫んでいる状況が表現されます。そして、この祈りにも似た歌詞のパートがやって来ます。
このパートですが、ボーカルにはほどよいエコーがかけられて、少し広い空間で歌われているような雰囲気が作られています。そして、このバッキングに、トニー・バンクスのハモンドオルガンのロングコードトーンが使われているのです。これは明らかに、教会の中で神に祈るような雰囲気を意識して作られた音でしょう。
実は、このアルバムの中で、歌のバックにハモンドオルガンのロングコードトーンが使われるというパートは、ここだけなのです。トニー・バンクスは、In The Cage や、この後の Slipperman などでも、かなりパーカッシブなリフをハモンドオルガンで弾いて、リズム楽器的な使い方をしています。他の歌のバックでは、ほとんどハモンドオルガンのロングコードトーンではなく、代わりにメロトロンが多用されているのです。
これはトニー・バンクスが語ったことではなく、あくまで第三者の推測ですが、トニー・バンクスは、ハモンドオルガンのロングコードトーンを、敢えてこのシーンのために、とって置いたのではないかという指摘があります。
これはサウンドではなく、ライティングの演出についての話ですが、後にトニー・バンクスは、「たくさんのバリライトを設置しても、最初から全開で使わずに、ここぞというところだけで一気に使う方が、劇的で効果的だ」的なコメントをしています。こういう美学をもつトニー・バンクスならば、ここぞの「祈り」の場面での効果を劇的にするために、ここでだけハモンドオルガンを使って、他のパートはメロトロンを主に使うという演出を行うのも、あり得るような気がするのです。
ちなみに、このハモンドオルガンのロングコードトーンにおけるコード進行が、19世紀のロマン派音楽においてよく使われたもので、しかもそのコード進行には「偽りの希望」というような意味があるという指摘もあるのです。
そして、都会と田舎の比較のような歌詞のパートが来ると、曲は急に雰囲気を変え、ゆったりとした郊外の風景を思わせるような調子となるのです。
そして、最後にレエル(=ピーター・ガブリエル)が、悲痛な叫びをあげるわけです。
この、祈りにも似た、助けを懇願する歌詞のバックで、曲は再び冒頭の荘厳さの余韻を感じさせるような雰囲気のエンディングを迎えます。こうして、アルバムB面が終了するわけです。
この曲は、それほど難解な歌詞ではありませんでしたが、それだけに、曲を制作するメンバーにもシーンの意図がわかりやすく、それに合ったサウンドを構築できたのかもしれません。また、先のトニー・バンクスのハモンドオルガンの「ここ一発」的な使い方が本当だとすると、すでに Headly Grange のリハーサル時にはある程度形になっていた曲ですから、この初期段階でのこの曲の存在が、アルバム全体のサウンドトーンに影響を与えた可能性は、あるのかもしれません。
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【注釈】
*1:32という数字は、ユダヤ教の神秘思想である、カバラに由来しているのではないかという指摘があります。カバラでは、神による天地創造の象徴を10個の円と22の直線で図式化しました。これを合わせると32になるわけです。そして、この図は、生命の樹(Tree of Life)と呼ばれるものです。生命の樹とは、旧約聖書の創世記(=Genesis)にエデンの園の中央にある木として登場するものが有名ですが、ここではユダヤ教の方が引用されているのかもしれません。
*2:チャーターハウスの級友であり、ジェネシスのFoxtrotツアーまでツアーマネージャーを務めたリチャード・マクファイルは、ピーターがThe Lambの内容の説明を、彼の母親に電話で喋るのを、隣で聞いていたのだそうです。
ところが、書かれているのはこれだけなんですね。ただ、ピーター・ガブリエルが内容を問うた母親に、これは個人的な意味があるのだというような説明をしていたということですので、やはりこういう所からもレエルのストーリーは多分にピーター本人のものであると解釈されるということなのでしょう。
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