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みらいと、いま。

「未来」の理想の自分にすがっていた私が、ただ「今」だけを幸せに生きれるようになった話。

人生の一大決心をした19歳

今からちょうど2年前、私は大学を中退した。
「なんで辞めたの?」
…なんで辞めたんだろう。この質問をされるたびに毎回考える。

さらに遡ること6年前、私はそこそこいい高校に入学した。
偏差値は当時65くらい、周りは海外出身の子や帰国子女ばかり。私は受験前に急に英語の成績が伸びて「英語の推薦入試だけで入れるところないかな〜」くらいのゆるい気持ちで受験したら、まさかの合格してしまった身だった。
どんどんどんどん突き放されていく毎日。でもそのおかげで、周りのみんなに追いつけるよう、「今」できることだけにがむしゃらに取り組む高校生活になった。

文部科学省認定のSGHのイベント「4大陸サミット」でプレゼンをするわたし

ただ、「今」の自分だけを見れていた。
というか、「今」しか見れなかった。「未来」への小さな期待とワクワクがあれば、先のことなんてどうでもよかった。

そんな「今」の積み重ねでできた
濃密で、ただ楽しくて、必死で、苦しくて、でも楽しい
宝物みたいな高校生活。

40人の家族みたいな国際科全員で作り上げた
文化祭での劇
みんなで企画したプロムパーティ

大学を辞めた理由は、それだ。

大学に入ってから「今」に意味が見出せなくなった。

これは単なる言い訳にしかならないかもしれないけれど…
わたしが入った学部は一応大学の中では1番上の学部で、いわゆるトップ大学の滑り止めにして入ってくる子が多かった。というかほぼそれだった。
大学のカラー的にも「大学生活は人生の夏休み」と楽観的に捉えてる子が多かった。

それでいい。
間違ってない。

だけど、わたしには合わなかった。

あれだけ楽しかった勉強が楽しくなくなった。
授業が終わってもなおディスカッションが続くあの環境はもう無くて、
”わかる!”に快感を覚えることもなくなって、
テストのためだけにノートを取り
単位取得のためだけにレポートを書いた。

毎朝目を覚まして1番に思うことが
「なんで起きちゃったんだろう」になった。

別に友達もいた。
バイトも楽しかった。
「楽しさ」はあったことはあった。

でも、一度枯れた花が元に戻らないのと同じように、どんどん「大学に行く意味」が朽ちていった。

分からなくなった。
なんで親に莫大な学費と
一人暮らしの費用を投資してもらって
こんな生活してるんだろう?

留学のため?
就職のため?

そもそも留学もなんで行きたいんだっけ?
なんの仕事をしたいんだっけ?

そんなことしか考えられなくなって、
大学生活に意味を見出せなくなり、
やる気に比例して、出席日数もどんどん減り
成績も評価も下がっていった。
(単位はちゃんと取れてたけど…)

多分、それが11月くらいだったと思う。
辞めたい欲がピークになっていた頃。

高校時代の友人達が、海外の大学に入学し、新しい学校生活を心から楽しんでいるのを目にするようになった。
(海外の大学は9月スタートが多いため)

彼女らが入学するまでに、必死に努力しているのをわたしは知っていた。
IELTSをはじめとする英語資格の取得や、入学に必要なエッセイなどの資料作成、海外移住のための物件探しなど…

だからこそ、ある種夢を叶えた友人たちの輝きが一層増して見えた。

そして、余計に自分がくすんで見えた。

自分だって、目標を持ってこの学校を選んだ。
毎日必死で受験勉強をした。
その当時持っていた夢への第一歩になるであろう最適な学校だと確信していた。
でも、わたしには合っていなかった。

「辞めたい」がどんどん強くなっていく。
だけど、すぐに辞められなかったのは主に2つの理由があった。

  1. それまでの人生で「大きな決断」を自分自身でしたことがなかったから。させてもらえなかったから。
    (やりたいことはほとんどさせてもらっていたし、したい習い事や欲しい物も我慢したことはなかった。だけど、当時パパとのパワーバランスが対等ではなく、いつもパパに決定権があった。)

  2. 留学先として選んでいたオランダで学べるチャンスを捨てたくなかったから。

この原因を潰すため、わたしは誰にも相談せず、誰にも許可を取らず「大きな決断」をした。
イギリスの友人に会いにいくついでに
目標の地、オランダへ計1ヶ月のひとり旅に出た。

その旅で、本当にいろんなハプニングが起こった。
そしてそれを乗り越える経験をした。
ゲームで言えば、一気にレベル100くらいアップしたのでは?というくらい成長できた旅だった。

イギリスのロンドン橋にて
アムステルダム国立美術館

それは「自分で」決断して
アクションを起こした結果だった。

わたしにとって初めての「大きな決断」がもたらした結果だった。

そして、気付いた。

大学の力を借りずとも
親の力を借りずとも
わたしはこの地に来れたんだから、

きっとまた、自分の力でここに来て
自分の納得のいく環境で学ぶこともできるはず。

帰りの飛行機でわたしはまた新しく
「大きな決断」をした。

大学を辞めて、
自分の力でオランダへ正規留学する。

帰国直後、退学届を出した。

ここまではよかった。
もう一度言う、ここまではよかった。

大きな夢を語ることしかできなかった20歳

先に結論を言っておこうと思う。
「未来」の理想の自分をゴールに置いて、目線を遠く、走り続けると空回りしやすいということ。

人生は「今」の積み重ね、とはよく言ったもので、楽しくただがむしゃらに生きたい人はみな心掛けるべきことだと学んだ。

「自費でオランダ正規留学を目指す人」という異名を掲げ、わたしはそれを実現できるように日々動き始めた。

まずはお金を稼ぐところから。
契約社員として就職するも、給料から逆算して目標金額までの程遠さに絶望。

マルチまがいのネットビジネスに50万ほど払って足を突っ込むけれど、その仕組みの残酷さを身をもって体感し、即退会。

何か方法はないかと辿り着いた先で体を売ったこともあった。(後悔はしてないしとてもいい経験になったと今でも思う。)けれど、ちょうどコロナの全盛期で売上も全く伸びず、貯金もできず、精神がやられ始めた。

わたしはもともと脳内お花畑人間で、そんなにネガティブな気持ちを引きずることもなく、毎日ハッピーに生きていたのだけれど、

大学生時代に「なんで今日も起きちゃったんだろう」と考えていたあの頃の何倍も、その時はメンタルが崩壊していて

ベッドの上から動けず、何もせず、ただ涙を流すだけの時間がだんだん多くなり、心も身体もぼろぼろに。死にたいとは思わなかったけれど、この先どうしたらいいのか、どう親に顔向けしていいのか、何もかも分からずにただ心の中で「こんな娘でごめんなさい。」と謝り続ける日々が続いていた。


なんで脳内お花畑のハッピー人間が、こうなってしまったのか。

答えはただひとつ。
「今」を見失っていたからだ。

自費でオランダに正規留学を果たし、
あの日の「大きな決断」をやり遂げ、
親への大学を途中で辞めてしまった申し訳なさを払拭し、
最後までやりとげることへの執着を捨てられた

そんな「未来」の自分への希望ばかり考えていたから。

その「未来」の自分への道のりの遠さを思い知らされる度に、どんどん精神がすり減っていたから。

もう一度言う。
人生は「今」の積み重ねだ。

未来ばかり見て、
今の自分を見失っていては意味がない。

今を必死で生きることで、
未来を見るのが楽しくなる。

「先のことはわからない」
その意味を、本当に心から理解した良い経験だったと今になって言える。

「今」を必死に生き始められたきっかけ

みらいと、いま。
その2つをどう生きるかが大切だということに、気づき始めたきっかけがある。

ベッドの上で、何も食べず、お風呂にも入れず、ただ涙を流すばかりだったわたしが変わり始めたきっかけがある。

それがDeLifeだ。

DeLifeとは、株式会社STARTY代表、旅する起業女子の杉野遥奈さんが運営を務める独立特化のWebデザインスクール。

わたしが、正規留学のための資金を「貯める」ではなく現地でも「生み出す」方法を考え始めた頃。

パソコン1つで世界を飛び回るはるなさんのInstagramに出逢い、世の中にはこんな人もいるんだと衝撃を受け、自分もそう生きれたらと彼女が運営するスクールへ入学した。

その時は正直、「Webデザイン」というものはわたしにとって「どこにいても稼ぎ出せる手段」でしかなかった。

だけど、DeLifeで自立を目指し必死で学び続けた3ヶ月半を通して、そんな甘ったれた考えが一気に変わった。

手段、ではなく、目的になった。

共に3ヶ月半学んだDeLifeの仲間

「今」向き合っているクライアント様のために
「今」わたしには何ができて、何が足りないのか
「今」その不足を補うためにできることはなんなのか

何度も何度も自分に問いかけ続ける日々が続いた。

そうやって、「今」の自分と向き合い続けるうちに、あの時描いていた「未来」の自分への憧れはだんだん薄れていった。

オランダに行くよりも、
「今」自分ができることをもっと増やしたい。

もっともっと「今」を生きたい。
そう思うようになった。

それと同時に、3ヶ月半の学びではまだまだ足りず、さらに上のスキルアップを望む自分に気付いた。
Webデザインだけでは足りない。1人のクライアント様をトータル的にサポートできる、絶対的な知識と経験とスキルが欲しい。そう考えている自分がいた。

こんなふうに「今」に夢中になれるようになったのは、言うまでもなくはるなさんと、DeLifeとの出逢いのおかげである。
この場を借りて、最大限の感謝を贈ります。
本当に、ありがとうございました。

憧れのはるなさんとの初対面

今日を好き日に。21歳のはじまり。

そんなこんなで、波瀾万丈な2年間を送ってきた私が次に出逢ったのが(社名)。

この素敵な場に、自分の誕生日である4/1に入社。(そしてこの(社名)の誕生日も同じ日だ。)
自分の人生の中で一生忘れられないであろう最高な誕生日になった。

なぜわたしがこの会社に出逢えたのかは、ちょっと恥ずかしいけれど「運命の巡り合わせ」だと心から思う。

そして、何でわたしがこの会社に受け入れていただいたのかも、同じ理由だと思っている。(小声)

それはなぜか、わたしが言葉で説明するまでもなく、会社が掲げる存在意義を読んで頂ければすぐにわかると思う。

(社名)とは、「日日是好日」の好日からとった言葉です。

文字通り「毎日毎日が素晴らしい」という意味があり、毎日が良い日となるよう努めるべきであり、日々について良し悪しを考え一喜一憂することなく常に「今、この時が大切」と思えるように私たちは考えます。

あるがままを良しとし、受け入れることを大事にし日々を生きていきます。

マーケティングを通して、わたしたちと関わったすべての方たちに「今日も好い日だった」と言われることを目指し日々仕事に取り組んでいます。

公式ホームページより抜粋

わたしが歩んできた2年間の総まとめみたいな“想い”だった。

インターンとして関わらせていただいてから1ヶ月半、入社してから1週間経った。
(社名)を見つけた瞬間の衝撃と、一瞬で抱いた愛は今も変わらず覚えていて、そしてこれからも忘れないと思う。

そんな会社と共に迎えた誕生日。
21歳になったわたしは、「今」を心から楽しんでいます。

いま、を積み重ねたのがみらい、だとしたら。

人生には「今」がたくさんあって、
ちいさな「今」もおおきな「今」も
ぜんぶぜんぶ繋がって
「今」この時まで続く線になっている。

「今」この時は、昔の「今」を生きるわたしにとっての「未来」で、
それがどうなっているのか、過去の自分には到底知り得なかったこと。

そして、同様に、今この瞬間のわたしは、「未来」の自分がどうなっているのか全く分からないし想像すらもできない。

それでいいのだ。
それでよかったのだ。

大きな夢を抱くことも、何か大きなことを成し得ようと志すのも決して悪いことじゃない。
だけど、そのためだけに、その理想の「未来」のためだけに生きていてはいけない。

「今日も好き日だったなぁ」と
目をつむって眠りにつく毎日を
丁寧に重ねて生きていこう。

改めて、ここに辿り着くまでの「今」を一緒に創り出してくれた大事なひとたち。
そしてこれまで育ててくれた大好きなパパとママ。
本当に、心から、ありがとう。

今日も最高の1日に。

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