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等身大の自分を、認めてあげる。

私はまだ、何者でもない。
ただ、夢が無駄におっきくて、やりたいことも無駄にいっぱいあるだけだ。

自分の思い描く理想像に、
いち早く辿り着きたくて、
必死で何者かになろうとしている自分がいた。

最初は良かった。
「その若さで、すごいね」
周りから頂いた言葉や、がむしゃらにもがいている行動量に、安心していたからだと思う。

自分は大丈夫だ、このまま進めば
何者かになれて、やりたいことも全部叶えられるようになる。

そう思ってた。

だけど、やりたいことや、自分のやれそうなことがぼんやりと見えてきた今、中途半端に見えてしまってきた今、分からなくなった。

自分は何になりたいのか?
何をしたいのか?
誰を幸せにしたいのか?

ここ最近、「すごい大人」と話す機会がたくさんあった。
自分の強みを活かし、誰かを幸せにしている、すごい大人たち。
“実績”がある大人たち。

わたしはこういう人になりたいんだ。
こういうことをしたいんだ。
あれもこれも成し遂げて、この人を幸せにしたいんだ。

そのすごい大人たちに、そう話しても
「結局何がしたいの?」「何になりたいの?」と思われていただろうし、自分自身でもわからなかった。

霧をつかんでるみたいな、そんな感覚だった。
思えばずっと、そうだったのかもしれない。

これを書こうと思ったのは、
自分がそういう状態だったことを認識して、今どうすべきなのかがやっと分かったから。
何者かになれるわけでもないのに、何者かになろうとしている自分に気づいたから。
今自分には何が必要で、どういう心持ちで、どういう状態になれるまでこれを続けるべきなのか。
今ぼんやりとやりたいと思っていることは自分がどうなったら実現できそうなのか。
それがこれもなんとなくだけど、やっと見えてきたからだ。

等身大の自分

悩み、もがき。

やりたいことが山ほどある。
誰と仕事がしたいとか、
誰かとおもしろいことをぶちかましてやりたいとか、
こういう事業をやってみたいだとか、
ほんっとうにいろいろある。

それは、自分に少しだけスキルや知識がついたから、
「できそうなこと」が急に増えたんだと思う。

でも、「できそうなこと」は「できること」じゃない。
1%の可能性のある未来に期待して、ワクワクしたって
実現性が全くない。

そんな状態で、人を巻き込むことなんてできないし、
自分が誰かの人生を負うことなんてできないし、
事業を始めるときや、万が一失敗した時に担保できるお金もない。

中途半端にできることが増えたから、
やりたいこともぼんやりとしか定まらず、
そのまま夢だけ広がっていっていた。

変な自信はあった。
私ならなんでもやれちゃうんじゃないか。
この理想は、今でも手を伸ばせば、努力すれば、もしかしたら叶えられるのではないだろうか。

夢は無責任だ。
なんとだって言えてしまう。
いつのまにか目標と夢の違いを履き違えていっていたみたいだ。

「あれもやりたい」「これもやってみよう」
今やっているマーケティング以外のことにもたくさん手をつけようとしていた最近。
自分は何者なのか、なにを目指しているのか、自分自身でもわからなければ、誰にも伝わらない。

「結局なにがしたいの?」

なりたい像はあるし、やりたいことも成し遂げたいこともいっぱいある。
でも、全てに現実味がないのだ。
なぜかって、自分自身が今いる場所が、向いている方向がぼんやりしているから。
目の前のことすらはっきり見えていないのに、未来のことなんてはっきり見えるわけがない。

大きな夢を語って、「やれそうなこと」を並べて
なんとなくそれに向かってちゃんと走れている気がしている自分がいた。

「結局なにがしたいの?」

なにがしたいんだろう。どうなりたいんだろう。
今なにをすべきなんだろう。

そこにいる、弱い自分。

なにもできない21歳の若造の自分。
プロフェッショナルだと自信を持って話せることも、実績もない。
あるのは今までの人生で手に入れた中途半端な経験だけ。

まだまだ未熟なんだ。
できないことしかない。
実績で信頼を勝ち取ることができないから、若さと行動力を武器にするしかない自分。
そんな自分を、やっと受け入れられた気がする。

等身大の自分を、受け入れられてやっと、目の前のことに打ち込もうと思えた気がする。

認めてあげる

やりきる、極める。

まずは、極めること。
やると決めたこと1つできないで、他のなにができるんだ。

自分を磨く。
スキルを磨く。
日々の練習にすら追いつけないで、なにが試合で点を取るだ。

その意味がやっとわかった。
少しできないと、「向いてないんだ」と諦める。
私には他の場所があると逃げる。

その環境が合っている合っていないを見極める力は少しだけついた。
だから、あとは「ここでやる」と決めたらやりきることだ。

今までそういう経験をしたことがあまりにも少ないから、こうなってるんだと思う。

スポーツを10何年もやっていた人や、
諦めそうになっても、死ぬ気で頑張ってやり遂げた人。
私は心からそういう人たちを尊敬していた。
けど、憧れていただけだった。

やっと分かった。
やり遂げてやっと「やった」と言えること。

成果を残す人は、たくさん準備をして
まず自分のスキルを磨き、
実践で経験を積んで、
やっと結果が出て実績となる。

私はとことん磨けているのか?
がむしゃらに向き合って、
やれることを全部できているのか?
そのやっていることを本当に自分のスキルにしようとしているのか?

全部、NOだった。

極めた先に、やりたいことへの道が現れる。

「私はこれができます」

まっすぐ相手の目を見て、自分に自信を持ってその言葉を発せられるのは、
本気で物事を極めた人だけだと思う。

その揺らがない自信があれば、
きっとお客さまに対して物怖じせずただ純粋にサービスの良さを伝えられるし、仲間もお金もついてくる。

極めた先の自信がなければ「やれそうなこと」は一生叶わない。

仲間が欲しい。
あれもやりたい。
これもやってみたい。

そんな夢を謳う前に、まずは自分を磨くこと。

私はこれができる、あなたはなにができる?
こう言えて初めて仲間をつくる資格があるのだと思う。

身近な、大切な人と仕事がしたい。
そんなのは、ただの弱い自分の夢物語だった。

まずは自分からだ。
その先で、また同じことを思えば、そうする。
今はただ、自分を極めることしか考えちゃいけないのだと最近強く思った。

中途半端な自分と、いい加減おさらばするために。
今の恵まれすぎた環境を精一杯活かしきろうと思う。

余計にむさ苦しくなったなあ、自分。
21歳もあと少し。
若いのに、とハードルを下げてみてもらえるハンデを使えるのもあと少し。
今のうちに、自分を磨こう。

飲み会も、
背伸びしたブランド物も、服も、コスメも
ガジェットや便利なものも、
+αの何かは、今は要らない。

「あの時あんだけ極めたから」と自信を持っている自分に会えるように、
今はやるしかない。
今はそれが私の嗜好。

やるぞ!!!

<この日記を生み出した、最近見ている熱すぎるコンテンツ集>

+今更すぎるけどワンピースを見始めました
(今回の記事はほぼワンピースからインスパイアされた…笑)

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