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非日常と、日常。
家はない、でも居場所はある。
今年の2月、
私はホームレスになった。
厳密に言えば、
住所は実家にあり、住む場所はADDressというサービスを使っているので、全国どこでも泊まり放題なのだけど。
キャリーケース1つあれば、私の暮らしはどこにいても完結するようになった。
もっというなれば、パソコンとスマホとお金があれば世界中のどこでも生きていけるようになった。
そんないわゆる『旅暮らし』を始めてから
毎日違う景色を見て、
いろんなものを食べて、
たくさんの人と出会い、
数え切れないほどの新しい「何か」に出会うようになった。
自分の家があるということ
自分の住所があって、毎日帰れる固定の場所がある”ふつう”の生活の場合。
朝、干しておいた太陽の香りがする布団を楽しみに、
「今日は疲れたから、友達にもらった入浴剤でゆっくりお風呂に浸かろう〜」とか、
「新しい食器買ったから、今日は張り切って料理しよう」とか、
そんなことを考えながら帰る『日常』がある。
何か話したいことがあれば、
「今日空いてる?」で飲みにいけるおなじみの友達が近くにいる『日常』がある。
「会いたかったから来ちゃった」
なんて、突然だいすきな彼氏が家に来る『日常』がある。(妄想)
でも、”ふつう”じゃない生活になってから
淡々と続くゆるやかな1日の中に
ほんわかな幸せという、小さな刺激、がある
そんな『日常』ではなくなった。
『非日常』が、わたしの『日常』
3日後に帰る場所も決めてない。
1週間後にどこの土地にいるかもわからない。
明日の晩御飯は、
1人で食べているのか
現地の友達と食べているのか
急遽決まった何かの会に参加しているのかわからない。
飲みすぎて、泊まる予定じゃなかった場所で寝ているのかも。
「人とたくさん関わる生活、しんどいな。」と思えば、海の近くの静かな拠点を探してふらっと1週間居座ってみたり。
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「ガッツリ仕事して、会いたい人に会いまくりたいな。」と思えば、アクセスのいい便利な都会の拠点で過ごしてみたり。
その時の気分で、明日を決める。
そんな刺激まみれの『非日常』が、わたしの『日常』になった。
もちろん、この生活は望んで手に入れたもので、
一瞬一瞬がとても楽しくて、
毎日が目まぐるしくて、
とても充実しているし、
21歳の今の私にはぴったりだと実感している。
『日常』のありがたさ
もうすぐ家を無くしてから3ヶ月が経つ。
『非日常』な『日常』にもだんだん慣れてきて、
じわーっと感じる”あること”がある。
それはいつでも帰れる居場所があることへの感謝だ。
居場所、というのは、家というカタチあるものではなく
大好きな家族、
大好きな友達、
大好きな恋人のこと。
今どこにいるかわからない、
いつ会えるのかなと思えば
「明日会える?」の連絡が来る。
そんなふらふら生きてるわたしを、
いつでも受け入れてくれる大切な人。
大好きな人と会った時、
『非日常(あたりまえじゃないこと)』と『日常(あたりまえ)』が交錯する。
毎日違う人と出会い、
新しいことを知り、
刺激され、頑張ろうと意気込み
また新しい「何か」を知る。
そんなあたりまえじゃないことしか起こらない毎日を過ごしていても、
あたりまえに「ただいま」と言える居場所がある。
何もかもがあたりまえじゃない『非日常な日常』を送っているからこそ
あたりまえに帰ってこれる居場所があることに
心から感謝するようになった。
安心して「ここに居場所がある」って言える環境って、なんて貴重で、ありがたいことなんだろう。
”ふつう”な生活に、あたりまえ、が溶け込んでいるあの『日常』を過ごしていたらわからなかった。
『非日常』があたりまえ、として日常になり
『日常』だったことが、あたりまえじゃないことに気がついた。
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あたりまえ、をより大切にするために。
大好きな友達と
美味しいご飯を食べながら
近況を話し合ったり、
思い出話に花を咲かせたり、
今日も楽しかったね。なんて言い合ってお別れして。
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大好きな家族と
久しぶりに会って、
ママの作ったご飯を食べて
酔っ払いのパパの愉快な話を聞いて
かわいい弟としょうもない話で笑う。
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大好きな恋人に
「そろそろ会いたいから行くね」
の一言で会いに行って
やっぱりこの人といるときが一番自然体でいれるなと感じて。
そんなふうに、大好きな人たちの存在を思い知れば知るほど
「この時間をもっと長く、そして頻繁に作り出せるように。もっと喜んでもらえるような「何か」をプレゼントできるようにもっともっと努力しよう。」
と強く思う。
そして、
『非日常な日常』の中でも
「この景色を一緒に見たいな」とか
「この美味しさ共有したい!」とか
「この人に会わせたいな」とか
どこに行っても大好きな人の顔が浮かんでくるようになった。
あたりまえ、に私を迎え入れてくれる
大好きな人を
もっともっと大切にしよう。
そのために、『非日常な日常』を
強く、一歩一歩噛み締めて生きていこう。
いつか、居場所が家に。
今はまだこの生活を楽しんでいたいと思う。
仕事やプライベート、人との付き合い方にもメリハリが出るし
刺激が多すぎて毎日が明日の活力になる、そんな日々だから。
でも、いつかは
今の”あたりまえに帰れる場所”が
自分のお家になっていたらいいなと思う。
自分のお家に大切な恋人がいて、
いつでも会える場所に友達や家族がいて。
おなじみの居酒屋さんとか、
記念日や家族との大切な日に必ず行く小さなレストランとか、
食器を買うならここ、とか
美味しい野菜は必ず歩いて5分のあそこのスーパーで、とか。
淡々と続くゆるやかな1日の中に
ほんわかな幸せという、小さな刺激、がある
”ふつう”の生活を紡ぎだせるようになりたいなと思う。
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ただいま、がいえる居場所。
友達、家族、恋人を例に挙げたけれど
もちろん会社の人だってそう。
会ったことないけれど繋がっている人だって、
いつか属していたコミュニティの人だってそう。
これから出逢う人だってそう。
家がなくたって、居場所はある。
「ただいま」がいえる。
「おかえり」がかえってくる。
「ただいま」を言える相手を大切に。
「おかえり」と迎え入れてくれる顔を、自信を持って見れるように。
今日も精一杯生きるんだ。
大好きな人、いつもありがとう。
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