『 父 の 日 に 』
父の病室を訪れた。「病院のメシはまずい」としきりに言うので、母は毎日、手弁当を持ってやって来た。そこへ私が合流したわけだ。
父はいつもベッドの上で本を読んで過ごした。もともと、動よりも静を好むところがあったので、じっとしているのも大して苦にならないように見えた。上げ膳据え膳のこんな生活もたまにはいいかな、、ぐらいの入院生活だった。
誰もがそう思っていた。
昼になると、食事が配膳される。母は病院食の横にお弁当を並べ、好きなものだけでも食べるように声を掛ける。食欲も湧いてこないのだろう。どちらにも手を伸ばすことはなく、母の作ったおにぎりを「食え」と、私に差し出した。せっかく作ってきてくれたのに、食べれなくて母に申し訳ないと思ったのか、私をもてなそうとしたのか、今となっては分からない。その時、私はさほどお腹もすいてなかったが、素直にひとつ掴んで食べ始めた。
「美味いか?」
「うん」
「そうか、うまいか、、お前はいい子になるぞ」
これが、、父と私の最後の会話となった。
父には、おにぎりを頬張る私が、幼い子どもに見えたのだろうか。
苗代のころ、辺り一面の田んぼは満々と水を湛え、蛙が忙しなく鳴いている。玉葱が収穫を急き立てるように、土をもちあげている。そんな季節だった。
もう、随分前のことだが、つい最近のことのようにも思える。
私は、父の日が来るたびに、しつこいほど父を思い出している。
父は細身で背が高くて、黒縁のメガネをかけていた。毎朝、ポマードでキッチリと整髪し、背広姿で出勤していく。幼心にカッコイイと認識し、そんな父を、誰よりも自慢に思っていた。
普段の父は、どんな様子だっただろうか…
兼業農家ということもあって、父は休日も忙しい。母の段取りで田畑や山林に出かけた。
そもそも父は、体力で勝負するタイプの人間ではなかった。本を読んだり、時には、映画鑑賞をしたり… でも、農家に生まれ育ったからには、、そして、嫁いできた母が申し分のない頑張り屋とあっては、、じっと座っているわけにはいかない。
仕事が休みの日は、ゆっくりしたいはずなのに、田舎に住んでいると、そう言うわけにもいかないのだ。
ワラビにゼンマイ、菜種の収穫。筍掘り、お茶摘み、それから田植えに稲刈り。やれ、山の手入れだの、一斉清掃だの、季節は待ってくれない。まだまだある。次々に巡ってくる。栗拾い、銀杏拾い、柿ちぎり…
母は、父在宅の日祝日を、どんなに待っていたことか。アレもコレもソレも、ぜーーんぶ頼みたいと、父を当てにしていた。
労働に不向きの父も、ここぞとばかりに「任せとけ!」と、ナタやカマを担いで山に行くのだ。母の手弁当と単行本を携えて。
山仕事で汗を流したあとの休憩タイム。涼し気な木陰を見つけて腰を下ろし、母の用意したお弁当を広げる。おにぎりを頬張りながら、リラックスして本を読む父の姿が、在々と目に浮かぶ。
夕方、ひと縛りほどの焚き木を背負って帰ってきた父は、フーっと大きな溜め息をつきながら荷を下ろした。「疲れたやろ?」と母。冷えたビールで労ったという。
今では『森林浴』などと言って、誰もがマイナスイオンを求めて訪れるらしい。
お父さん、空気がおいしいですか?鳥のさえずりが聞こえますか?
父は、読書のほかに、もうひとつ趣味を持っていた。
魚釣りである。
釣りに適した条件が整うと、馴れ親しんだ近くの川に行き、釣り糸を垂らしていた。
種を蒔き、苗を植え、実るまでに長いスパンを要する家業とは真逆で、魚釣りは、その日の内に結果が出る。なにがしかの釣果があれば、豪華な夕食にも繋がる。楽しみと自給自足の一石二鳥である。
ウケという道具に、うなぎが掛かったこともある。アユが捕れたこともある。スッポンが捕れたときは、大喜びで職場に持って行った。
のちのち、当時の同僚が話してくれた。バケツに入れて蓋をし、朝から宿直室の隅に隠していたそうだ。そして、仲間内で連絡事項を回覧する。
『本日、17時30分より
島原(小料理屋)にて
スッポンの葬式を執り行う』
葬式とあっては、参列しないわけにはいかない、と同僚だちが集まり、スッポン料理に舌鼓をうった、と聞かされた。
家では見せることのない父の顔が、そこにあったと思う。
父は、大正生まれの九州男児。
一家の大黒柱として威厳を保とうとするあまり、時には実直に、時には荒々しく、感情を露出することがあった。しかし、私たち三人の娘には優しかった。優しいといっても、ネコっ可愛がりではない。穏やかに褒めたり諭したりした。「カツオーーー!」と大声で怒鳴るカミナリオヤジの存在も必要であるが、父には怒鳴るほどの腹筋もなく、取り敢えずは、ど真ん中を突くような一言で解決しようとした。
教訓は至極簡単。他人のフンドシで相撲を取る的なことだ。先人の言葉を借りて、私たちを諭した。
『天網恢恢 疎にして漏らさず』
いつも決まって、老子の言葉を投げ掛けた。
天の張る網は広くて、一見、目は粗いようだが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば、必ず捕らえられ、天罰を被る。そういう意味らしい。
小さい頃から聞いた。
悪いことをしなくても聞いた。
意味が分からなくても、繰り返し聞いた。
聞いているうちに覚えた。
難しい漢字を使って、スラスラ書けるようにもなった。
父はこの言葉が好きだったのだろう。私もいつの間にか、この言葉が好きになっていた。
悪事を企むことはなくても、しばしば心が乱れることがある。 他人の生活を羨む‥‥他人の成功を、素直に喜んであげられない‥‥ひがむ‥‥ひねくれる‥‥
そんなとき、父の顔が浮かぶ。そして、足元を明るく照らしてくれる。
父は教壇に立っていた。
もしかすると、出会ってきた何百人、何千人もの学生たちの、誰かの心の中にも残っていて、彼らの未来に不安や迷いがあったとき、、
足元を照らしてあげているのかも知れない。
生きていると、人の嫌なところが目につくものだ。見なくていいのに、目が行ってしまう。気になって仕方がない。つい文句を言いたくなる。それは、人と人とが深く関わって生きている証拠だろう。
母も少なからず、父の些細なことが気になり、愚痴をこぼすことがあった。しかし、私などには到底、真似のできない、尊敬と感謝の気持ちで、父に接していた。
私は父に、ちゃんと「ありがとう」が言えただろうか。
今年もまた父の日が近づいている。故郷に帰って、父の好きだった三日月山を眺めながら問う。
「お父さん、
私はいい子になっていますか?」
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