『ネコッカワイガリ』
姪っ子が赤ちゃんを出産した。
久しぶりに見る赤ちゃんは、とっても小さくてカワイイ。泣き声も「オンギャア、オンギャア」と可愛らしい。やれ、ミルクだ!オシッコだ!プッ、あっ、おならしたー!!!!と、何をしてもカワイイ!のだ。
姉夫婦も、ジィジ、バァバのデビューとなり、にわかに生活が一変する。全てにおいて、ベイビーファースト、赤ちゃん中心の生活になった。
休日が近づくと浮き足立つ。仕事こそやってはいるものの、それ以外のことは手につかない、という感じで孫のところにスッ飛んで行く。
聞き上手で頼り甲斐のある姉も、心ここに在らず、といった表情で、何を言っても「うん、うん」と、ほぼ右から左に聞き流したような相槌に変わった。非常にわかりやすい。そして、赤ちゃんの写真を見ているときの至福の顔といったら、この上ない。これもまた、わかりやすい。
孫は子ども以上にカワイイらしい。
孫を持った経験のない私には知り得ない感情だが、いささか、想像はできる。
姉は言う。
「孫はいいよ。ただ、ただ、無条件にカワイイ!可愛がるだけで、なぁんにも責任がないもんね!」と。
…どこかで聞いたような台詞…
無責任な誰かが、冗談まじりに言ったのだろう。
本当にそうだろうか…
それで良いのだろうか…
赤ちゃんのうちはいい。パピーウォーカーみたいに、思う存分、愛情を注いで、安心感を与えればいい。
オッパイ、オムツ、ネンネの三拍子を整えてあげればいいのだ。
泣いたら、お腹が空いたか、お尻が濡れて気持ち悪いか、眠たいか、、である。
そのうち、知恵がついてくる。言葉は話せなくても、意味は理解できるようになる。
そうしたら、出番である。
寝っ転がってモゾモゾしていた生き物が、立ち上がり、世の中の景色を見るようになったら、躾が始まるのだ。
良し悪しを知らせ、マナーを知らせ、節度を知らせていかなければならない。
アリガトウ。ゴメンナサイ。チョウダイ。ドウゾ。ドウモ。バイバイ。
言葉より先に、仕草を真似る。「スゴイね。エライね。カッコイイね」と言われれば、褒められたことがわかり、また褒めてもらいたくて頑張ることを覚える。
経験することで、言葉や感情、表情が豊かになっていく。
そうやって、日々の積み重ねで、人格が形成されていくのだ。
親なら、身内なら、誰しも、生まれてきた赤ちゃんの幸せを、笑顔を、望まない者はいない。
生んだ責任、、
可愛がった責任、、
途中で投げ出すことはできない。
子どもは、いつだって、何歳になっても、例え、干渉されるのが煩わしい時期にきても、とにかく、見ていてもらいたいのだ。
子どもの意志を尊重するのと放任は180°違う。いつも関心を持って話しを聞いてあげることが大事だ。
ネコッカワイガリも、充分に育児参加している。可愛がる姿は、傍から見ていても微笑ましくて心地よい。
パパもママも、ジィジもバァバもヒイバアバも、伯母や叔母も、、、
家族みんなが、子どもの未来を応援している。家族みんなが、同じ方向を向いているのだ。
ネコッカワイガリも、新米パパ、ママの育児不安を取り除き、子どもの成長を促進するように思える。
姪っ子の赤ちゃんも、大家族でドタバタしながらネコッカワイガリの環境の中で、無事、お誕生日を迎えた。
全身で愛情を受けながら1歳を迎えた。
ネコッカワイガリにも意味がある。
子どもの笑顔や豊かな表情を見ていると、ネコッカワイガリも悪くないな、と思ってしまう。
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