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安曇野いろ「霧の中」

 濃霧が立ち込めた朝。母の通院のため、東山の麓、明科へと向かう。
少し進むだけで川霧が濃さを増し、白い靄にすっぽりと包まれた。
あれ? この道でよかったのだろうか? 不意に心もとなくなる。
目印になるものが何も見えない。
ただでさえ、東へ向かうふたつの道を取り違えそうになる時がある。霧の中で、不安だけが増していく。
 いいのだ、この道で。そう言い聞かせながら運転する。
狐に化かされたり、妖精や魔法使いの罠にかかるのはこんな朝ではないかと思う。安曇野の伝説の主人公「八面大王」は、妖術を使って朝廷の兵を翻弄したという。妖術というより、雷や霧など自然の力を最大限に利用した科学的な才の持ち主だったのかもしれない。
 明科は北アルプスからの川筋が集結する場所。乳川、中房川、犀川、高瀬川、穂高川、烏川、万水川と、場所によって呼び名を変えながら集まってくる。そのために、川霧がどこよりも深い。
 やっと信号の青い光が見え、橋があらわれた。この道でよかったのだとほっとする。
 「不思議だ。霧の中を歩くのは。どの木にも他の木は見えない。
みんな一人ぼっちだ」人生とは孤独であることだ、とヘッセは詩の中で謳う。霧の中にいる心細さと不安は、そのまま人生の不安と心細さにつながるものだと、この詩を読んで教えられた。中学生の時だ。
 あれから、何十年も経つ。何度も霧の中に身を置いた。
霧の中では、ほかのだれにも遭うことはない、けれど、自分自身との遭遇を果たす。不安で孤独な自分自身と。だが、やがて霧が引き、あたりは明るくなる。色と光が戻った世界。ああ、わたしは、孤独ではなかった。たくさんのものとひととに囲まれて、支えられて生きているのだとしみじみと悟る。


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