「命のみなもと」
「雪のひとひら」
ポール・ギャリコ著
矢川澄子訳・新潮社
命について考える時、決まって「雪のひとひら」の話を思い出す。これは女の一生の物語でもある。女と限定しなくてもよい、命すべてについての物語だと、私はそう解釈して読む。
美しい結晶を持つ〈雪のひとひら〉は、空で生まれ地に舞い落ちてくる。舞い降りながら彼女は思う。わたしはどこから来てどこに行くのだろう。どちらを向いても自分と同じ姿をしたきょうだいたちが大勢いるのにどうしてこんなにさびしいのかしら、と。そう思ったとたん、彼女は誰かに見守られているのを感じ、満ち足りた安らかな思いになって地上に降り立つ。そりに轢かれたり、雪だるまの中に閉じ込められたり、様々な目に遭いながら冬を過ごす。そして春、雪のひとひらは川の一部になって流れ出す。留まることのない旅の始まりだ。美しいものを見たり危険をかいくぐったり。やがて彼女は、運命的な出会いをする。同じ流れの中から〈雨のしずく〉がおずおずと声をかけてきたのだ。「きれいだなあ、きみは。ぼくと一緒に来てくれるかい」。この時からふたりはもはやふたりでなくひとりだった。あまりにしっくり溶け合ってしまったために、あたかも同じ頭で考え、同じ声で語り、同じ心で生きているようにさえ思えた。そのうち、ふたりの間には四人の子どもが生まれる。だが、一家は町へと流れ込み、そこで火事と出くわす。火は消し止めたものの、いつも彼女を雄々しく守ってくれた雨のしずくは、命絶えてしまう。傷心の雪のひとひら。慰めてくれたのは子どもたちだった。だが、その子どもたちも、やがて散り散りになって去ってゆく。再びの孤独。雪のひとひらも自分自身の終わりが近いことを悟る。
擬人化された雪のひとひらの生い立ちを、ギャリコは美しくさらさらと綴ってゆく。ひとり生を受け、恋を知り、新しい命を育み、別離を味わう。最後はまたひとりで消えてゆく命。人生の流れに身をまかすひとつひとつの命は、まさにうたかた。方丈記の一節――朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るゝならひ、ただ水の泡にぞ似たりける――が思い起こされる。
雪のひとひらのように、私も思う。人は何処から来て、何処へ還るのだろう。命のみなもとは、海だろうか、空だろうか。遥か遠くにある海と空とが交わる場所であろうか。どこであろうとも、その生まれた場所へと私たちはいずれ還ってゆくのだろう。
終焉の際に、雪のひとひらが感じたのは、生まれた時に感じたのと同じ思いだった。誰かに見守られているという安らかで満たされた気持ち。命果てる時、彼女はそのひとの声を聴く。
『雪のひとひらの耳にさいごにのこったものは、さながらあたりの天と空いちめんに玲瓏(れいろう)とひびきわたる、なつかしくもやさしいことばでした。――「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」』
世の中を変えるような大きなことを成し遂げた人にも、ただつつましく生きた人にも、同じようにその人は声をかけてくれるだろう。「ごくろうさまだった。ようこそお帰り」と。温かく迎えてくれるその声に、きっと切ないほどの幸福感を覚えることだろう。
信仰を持つには至らないこの私でも、時折、祈りたくなることがある。授けてもらったこの命を、最後までしっかりと使い切って、穏やかに命のみなもとに還ることができますように。
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