容姿が変わって見えてきたもの〜なりたい自分はありますか〜
人は、変われるのか。
変われるならば、どこが、どう変われるのか。
心理学を日々哲学含めて追求したい欲求がある。
なんていうことはない。
人間は変われるのか、変れないのか。
そんな単純な問いなので、
あえて需要のなさそうなこの記事をnoteとして、完走させてみようと思う。
さて、みなさんは変わりたいと思ったことは一度はあるはずだ。
勉強が出来るようになりたい。
スポーツが得意になりたい。
人気者になりたい。
異性同性にモテたい。
これは若い時、特に強く思うのではと浮かぶ項目だ。
願望項目のステレオタイプでもある。
さて、私の場合はどうかというと、
容姿、美醜のことについてだった。
美しくなりたい。
人前に出て、せめて人並みの容姿で人間をやってみたい。
ずっとそんな、報われない思いを抱えて生きてきた。
そもそも解決方法は、あるにはある。
整形手術だ。
私の70代の身内に、若いうちに顔にメスを入れてしまった叔母がいた。
都会ぐらしの間に、整形手術を受けたのだ。
若い頃は術後、美しかったのだか…
歳を重ねるに連れ、彼女は年々、顔が不自然に崩れはじめている。
そして、費用の問題もある。
私はしがない英語講師。
美しさを追求するために、数百万も払う価値観は持ち合わせない。
さて、人生ある時ふとした奇跡が起きる。
わたしは2015年初春、全くの暴走状態にあった。
手のつけられない双極性障害で、人を睨んでばかりいた。
と、どうだろう。
睨む=上目遣いが固定化した結果、なんと目が二重になって固定した。
ついでに30kg痩せた。
躁鬱になると、基本食べない。
過食で太った体は、病気前よりもスリムになっていた。
そして、それから急に顔が変わりだした。
つきものが落ちたというのか、とにかく、顔が変わるだけで人間はこんなにも明るく前向きになれるのかと驚くほど痛感した。
まず、おしゃれが楽しい。
服のサイズも7〜9号。
その前までは15号を着ていた私だったのに。
そして、急に人生で初めて容姿を褒められ出した。
当然二重になると、メイクの仕方も幅も広がる。
鏡の目の前の人を見て、数ヶ月は誰これ?を繰り返した。
その時すでにアラサーである。
若くもなく、健康でもないが、容姿を褒められることは、何て心にエネルギーをもらえるんだろう。
そう、思った。
そして、一時的に痩せてリバウンドするかと思われた身体は、身内の5回連続の入退院の看病と、独身の伯母の看病、葬儀がトドメとなりさらに痩せた。
この間一年半。
20回くらいは栄養点滴に通った。それでも太らず、体はスレンダーを維持していた。
とまあ、こう書けば美醜の問題は解決だと思われるかもしれない。
実際には歯を矯正したいが医師には歯が健康すぎて難しいと言われているし、何より私も世の誰もが、若さを永遠に保つことは出来ない。
つまり、いつかはこの手に入れたお気に入りの容姿を失う日が来るということ。
私にはその時、何が残るのだろう。
実際、ただ今臨終の気持ちで断舎離して暮らし、あまり物欲には支配されなくなってきた。
けれど、果たして自分がこれから手に入れる知識や財産だけで心豊かな自分になっていけるのかは、どうも怪しい。
何もかも、自分一人だけのためにやっているからだ。
英語は仕事。食べるため。
その他の語学も、所詮人を助けるまでには到底繋がる可能性までは伸びていない。
人のために、何かしたい。
私は変わりたい。
美とか教養とか、そういったものでなく、もっと社会的なこと。
身近な人を助けられること。
自分が幸せと感じるとき、そうじゃない人が必ず要ることを最近特に思う。
自分の何を変えたら、誰の何が変わるのか。
難しい。
難しいことは、分かっている。
けれど、奇跡的に与えられたこの容姿の時間を、私は感謝して過ごすことにしている。
答えはまだ見つからない。
けれど、生きていく中で考える時間はあるはずだ。
ひとつひとつ、夢をかなえる。
私に、自分に、周りに感謝するしかない。
とにかく、今を生きるべし。
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