結局、『ひみつの嵐ちゃん!』を観ている

1人暮らしが始まって、丸2週間が経った。

実家にいて、1人暮らしのひの字もなかった頃は、あれほど憧れていた生活のはずなのに、1人暮らしが現実味を帯びてくると、途端に嫌になった。

実際、始まってみても、嫌で仕方ない。

朝起きてカーテンを開ける時も、夜寝るために電気を消す時も1人きり。冷蔵庫の身じろぎする音さえ、はっきり聴こえてしまう。

そんな漠然とした寂しさや虚しさが、私の奥深くに眠っている赤ちゃんを呼び覚ます。思いもよらなかった自らのひ弱さや、怠惰な性、果ては末っ子気質まで、痛切に思い知らされている毎日だ。そして、うっかり、夜泣きまでしてしまう。ほんとうは、4人きょうだいの長女なので、同じく長子である竈門炭治郎が私を見れば、この体たらくに驚いて、呆れると思う。

1人暮らしをしている土地は、私の地元からは、陸路よりも空路の方が、タイパはもちろんのこと、コスパも若干いい。そのせいで、帰省のハードルがすごく高い。万が一、堕ちたら絶対に死んでしまう乗り物に乗って、実家に帰らなくてはいけない。無事に往復できたとしても、帰省ごとに私の寿命が半年ずつ縮んでしまいそうだ。

こんなにも怖がりではなかったはずなのに、ここで1人暮らしをする決定をした前後の時期から、異常に怖がりになり、そのために、ものすごく消極的になってしまった。

5年前の私は、アメリカに留学してみたくて堪らなかった。アメリカを夢見て泣いた夜だってあったのに、今の私は、先輩が誘ってくれた飲み会に行くのも怖い。中2の頃、親戚の叔母さんに連れられて渡韓し、夜22時までソウルをうろつき回っていたのに、今の私は、用心深すぎて21時には家に帰っている。

私が1人暮らしを始めた理由は、進学のためであり、それはすなわち、数年の浪人生活を経て、念願が叶わずとも、ようやく始まる私のキャンパスライフのためであった。

受験に追われている最中、私には行きたいところも、やりたいことも、観たい映画もたくさんあった。

それなのに今、私は、ベッドの上で、『ひみつの嵐ちゃん!』の無断転載ばかり観ている。

懐かしさと共に、アルバムを開くようにYouTubeを開けて『ひみつの嵐ちゃん!』を観るのではなくすべてが守られていた小学生の頃と同じ感情を抱きたくて、心の拠り所を求めるように、『ひみつの嵐ちゃん!』を観ている。

『ひみつの嵐ちゃん!』が悪いわけではまったくないけれども、この状態は、結構よくないと思う。

積極性を失うあまり、自分の半径30センチのところでなんとか生きようとしてしまっているではないか。

いま、私は、なにか刺激を求めるのが怖いのだ。
もっと言うと、刺激を求めた先で、不意に自分の心が動かされるのが怖い。

受験生であった期間、緊張の連続だった日々に精神的に磨耗してしまったせいだろうか。それこそ、少しでも強く踏みしめれば割れて、死の湖に堕ちていく、薄氷の上を歩いて生きているような気がしてしまう。自分がいま生きていて、1時間後も生きているだろうということに確信が持てない。

まだ慣れない大学で、少し心を開きあっている友達と楽しく過ごしていても、自分は次の瞬間にでも死んでしまうのではないか、となんとなくいつも怖くて、気も漫ろだ。

その心の振幅に、いつか疲弊しきってしまうのではないか、と恐れている自分がいる。

だから、また『ひみつの嵐ちゃん!』を観る。

観ているのか観ていないのか、ぼんやりした意識の中で、単に、嵐がいれば楽しかった過去の自分と邂逅する。

そんなふうに、私は、新しい季節を、ひたすら過去に凭れかかって過ごしていた。

浪人をしている間に、現在からはずいぶん離れた次元で生きるようになってしまってから、それが癖になっているのだと思う。

そこへ、引越しを手伝いに、遠い実家から母が訪ねてくれた。我が母は、とても愛にあふれた、パワー系マザーである。

今回、母は、逞しい想像力を持ってネガティブなパラレルワールドを生み出し続け、勝手に気を落としている私を現実へと、引き戻しに来てくれたっぽい。

夏には22才になってしまう私に、懇々と小学生レベルのありがたいお説教をしてくれた。

父も、叱り→あたたかい言葉を掛けて安心させ→励まし→「頑張れって言ってもな、人間、あかん時もあるんや。そんな時は、SOSを出しなさい」というアフターケアまで、LINE電話を用いて遠隔で完璧に施してくれた。

おぉ、なんと暖かい愛。

私は、22にもなるというのに恥ずかしながら思春期を引きずっており、「親となんて、話しても分かり合えないよ」なんて嘯いていたが、そんなことは全くなかったと分かったのも、非常にうれしかった。

それでも、私の不安が雲散霧消したわけではない。私は、ネガティブの天才であるから、「また情緒がおしまいになってしまったらどうしよう」などと新たな不安に襲われてもいる。

今日のお昼すぎ、母は帰る。

その後、また私はちょっと泣いて、またちょっと『ひみつの嵐ちゃん!』を観るかもしれない。

それでも、明日は。

ずっと観たかった映画、『君の名前で僕を呼んで』とともに、夜を過ごしてみようと思っている。

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