並田睡

なみた ねむ、22歳。水曜日と週末に、新鮮な私をお届けします

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最近の記事

ぱさぱさのカルボナーラを食べていると、望まぬ習い事を始める羽目になるという教訓

今日は、授業がひとつもない”全休”の1日だった。 ということで、朝から洗濯を回し(、さらには掃除まで終えたかったのに惰眠を貪っていたせいで12時から活動開始と相成り)ました。 非常に私らしい休日の幕開けである。 13時過ぎから、友達に誘われて料理教室にてケーキを作る予定なので、ブランチとして何か作ることにした。 私はカルボナーラとハンバーグが大好きで、レストランに行ってこれらがあれば、どちらかしか食べない。どれだけ安いチェーン店に行こうが、この2品に失敗はないのだ。逆

    • エドシーランを聴きながら掃除する蒸かし芋、彼氏が欲しい話

      並田睡22歳、彼氏が欲しいです。 10月のハロウィンが終わり、街は一気にクリスマス気分である。 我が街のショッピングセンターも、電飾が至る所に巻き付いている。 まだクリスマスは1ヶ月先だというのに、ようやく秋が来たばかりなのに。 「クリスマスは彼氏と過ごしたいんだよねぇ」が最近の口癖である友達といると、私まで釣られて「だよねぇ」なんて思ってしまう。 彼氏は、いるに越したことがないからだ。 私も夜景が綺麗な場所に行ったり、ディズニーランドに行っておそろいのカチューシャ

      • 寒暖差で風邪を引かないように

        水曜日、今日はnoteを書かねばならぬ日である。だけど、書くことがなんにもない、なので、ふつうに日記を書きます。 KAT-TUNは「ギリギリで生きていたい」とうたっているが、私は、しっかり生きていたいのに、何故かいつもすべてがぎりぎりになる人間だ。 それゆえ、noteの書き溜めなどもあるはずがない。自分で週2回は更新する!と決めた癖に、いつもひいひい言いながら書いている。 今日も、そんな私の生きざまそのもののような1日であった。 ほんとうは8時に起きなければならない今

        • アフリカゾウか、人間か

          感傷的になる瞬間は、思いもよらずにおとずれる。 いちおう、人間も動物の括りに入るはずだが、私は嗅覚がほんとうに、バカである。 人間に生まれて、心底よかったと思う。 もしも、私が野生動物であるならば、成◯(◯中には任意の動物)となるまで生きながらえることはなかっただろう。 ドラマや小説で、「あ、冬のにおいだ」とか「もうすぐ雨の降るにおいがする」とかいうセリフが登場するが、共感できた試しはない。 もうすぐ雨が降る感じは、低気圧とともにやってくる頭痛で分かるし、冬が来る感

          不定形のまま、揺らいでいたい

          大学生になって、1週間のほんとうの長さを知った気がする。 1日、24時間の中での心の揺らぎ。それを1週間分積み重ねると、日曜日には、知らない感情を抱いていることがある。 たった1週間で、こんなにも心象が、認識が、世界が、変わるなんて知らなかった。 実家から出て、1人暮らしを営んでいると、自然と心の形態変化にも敏感になってしまう。 その変化自体に戸惑うことも、ままあることで、いま、私はまさにその状態にある。 夏休み前は、さんざん「彼氏が欲しい」「恋愛をしたい」と言って

          不定形のまま、揺らいでいたい

          近視で生きたい この世界

          私は、そこそこな近視である。去年、左目の視力は、0.1を切った。 私は、大変なズボラであるため、キラキラと輝くべき女子大生であるにもかかわらず、基本的にすっぴん×メガネで通してしまっている。彼氏ができない理由の二乗なのかもしれない。 そのうえ、髪も地毛のまま、まっくろときたものだから、Xで揶揄される“芋女”やら“オタク”にきっと自分も該当するんだろうなあと、たまに哀しくなる。 高校卒業後の3年間、毎日、ジャージ、手間を減らすためのベリーショートで予備校に通っていたため、

          近視で生きたい この世界

          登れない塔に梯子をかけたい

          とんでもない趣味を始めてしまった、と思った。 趣味って、行き過ぎれば全てやばくなるので、これも、そのうちの1つに過ぎないのである。 しかし、22年という比較的短いこれまでの生において、私が経てきた趣味の中ではもっともヤバいものであると思う。 この“ヤバさ”の端緒を与えてくれたのは、新聞である。皆さんのヤバさはどこから? 私が実家で購読していた読売新聞を読み始めたのは、今から12年前の2012年。 ロンドン五輪が開催されており、「内村選手がかっこよくて、競技してる写真

          登れない塔に梯子をかけたい

          持続可能な幸福論

          今日が水曜日でよかった、と思った。 大好きな松村北斗が出ているドラマ「西園寺さんは家事をしない!」の昨日放映された回はまだ見ていないし、大好きな高見沢さんが「笑ってコラえて!」にゲスト出演するし。まだ幾分か救われる部分がある。 今日が、1週間の楽しみが枯渇している金曜から週末とかだったら、もっと心は沈んでいたに違いない。 7月、周囲でぽこぽこカップルが成立しまくっている。 まだ私は、友達に猫をかぶり、去り際には高音の「ばいばい」を送っているというのに。 大学生になっ

          持続可能な幸福論

          暇を持て余してこんなことをネットという大海に放つ自分へ、早くどうにかなってくれ という気持ちではあるけれども、誰に話そうと日記に独りごちていようと、一向にムシャクシャするだけなので、noteに書こう。 私にとって文章を書くことは、一種の逃避であり、それはすなわち、動かせない現実の救いである。 いま、私は大変幸せな毎日を送っている。 学生の1人暮らしだというのに1LDKの新築マンションをあてがわれ、理系学生のはずなのに授業はかなり楽、朗らかではあるが、確実に陰キャである

          結局、『ひみつの嵐ちゃん!』を観ている

          1人暮らしが始まって、丸2週間が経った。 実家にいて、1人暮らしのひの字もなかった頃は、あれほど憧れていた生活のはずなのに、1人暮らしが現実味を帯びてくると、途端に嫌になった。 実際、始まってみても、嫌で仕方ない。 朝起きてカーテンを開ける時も、夜寝るために電気を消す時も1人きり。冷蔵庫の身じろぎする音さえ、はっきり聴こえてしまう。 そんな漠然とした寂しさや虚しさが、私の奥深くに眠っている赤ちゃんを呼び覚ます。思いもよらなかった自らのひ弱さや、怠惰な性、果ては末っ子気

          結局、『ひみつの嵐ちゃん!』を観ている