短編小説 「カゲとかけっこ」
(約6400字)
「よーい、ピッ!」
先生の笛の音が鳴って、ぼくたちはいっせいにかけだす。
一緒に走る友達三人の背中はどんどん小さくなっちゃって、いつものとおり、ぼくだけおいてけぼり。
毎年毎年、もうやってらんないよ、こんなこと。
ぼくのヤル気はゼロ。
本気になんかこれっぽっちもなれなくて、へろへろと走って最後にゴールしたぼくに、先生がさけぶ。
「カケル君、4位! 4位の旗に並ぶんだぞ!」
順位、わざわざ言わなくてもわかってるし! 余計なこと言わなくていいんだよ!
心の中で、ぼくは口をとがらせた。
トラックの横でかけっこの順番を待つ目立ちたがり屋が、注目をあびようと大声をだす。
「カケルなのにカケルの遅いよな~っ」
ダジャレに盛り上がるウルサイ声たち。
聞こえないふりをして、ぼくが4と大きく書かれた旗のそばに座ったら、待ち構えていた先生に注意された。
「カケル、もっとまじめに走れ。今日ちゃんと走っておかないと、明日の運動会で本当の力が出ないぞ?」
――なにが本当の力だよ。
なに言ってんの?って本気で思う。
だってどう見ても、みんなのほうが足は速い。ぼくがどんなに速く走ったって追いつけない。
ぼくはスジガネイリの4位なんだ。幼稚園の時もずっと4位。小学校に入って背も伸びたし少しは速くなるかなと思ったけど、1年生の時も2年生の時もやっぱりダメだった。だから今年も4位に決まってる。
一生懸命走ったって4位なのだから、まじめに走れるわけないじゃん。
ぎゅっと唇を閉じて先生の言葉を聞き流す。
不機嫌になったぼくは、先生が向こうに行ったのを見届けてから、校庭の地面を蹴飛ばした。
ふにゃ。
ふにゃ?
「え? ぼくなんか踏んだ?」
あわてて足元を見た。
だけど地面には、真っ黒なぼくの影があるだけだった。
*
学童クラブでさよならのあいさつをしたぼくは、校門を出てのろのろと歩く。
だって、明日は運動会だし。かけっこ嫌だし。――4位、かっこ悪いし。
ランドセルも、いつもよりずっしりと感じる。
教科書に書いてあったように、夕日が背中を押してくれたけど、足はなかなか前へ進まなかった。
ふにゃふにゃ。
「えっ?」
ぼくの足、今、ぜったいに何かを踏んだ!
自信をもって足元を見ると、夕日に伸びるぼくの長い影があった。
でもそれは、地面の上で波のように動いていたんだ。
「う、うわあっ!?」
驚いたぼくはバランスをくずして尻もちをついた。お尻はジンジン痛いけど、動いているカゲから目が離せない。
そのカゲがしゃべりだしたから、ぼくはもっとびっくりした。
「あ~っ! もうイライラするなあ!!」
しかもぼくのカゲは、手足をバタつかせてひどく怒っていた。
「オレ、おまえと一緒だと、走りにくくて大変なんだけど!?」
急に怒られたら、ぼくだってカチンとくる。だいたいなんで怒らなきゃならないのか、よくわからないし。
だからとりあえず言い返した。
「なっ、なんなんだよっ! おまえ、何者だよ!?」
カゲだってわかっていたけど、聞かずにはいられなかった。カゲは答えず、ぼくに文句を言い続けた。
「授業中もさあ、何回もはがれそうになったのをずっとガマンしてくっついてやったんだぜ!? オレ、おまえと一緒だとストレスたまってしょうがないから、ちょっくらおまえから離れさせてもらうわ」
「は、離れるだって!?」
尻もちをついたままボーゼンとしていると、カゲは「よいしょっと」と、ぼくの足から自分の黒い両足をぺりぺりとはがした。
「ああ~楽ちん。こいつは軽くていいや!」
カゲのヤツは喜んで、ぼくよりも長い脚でぴょんぴょんとジャンプをした。
「そんじゃあな」
そう言うが早いが、ぼくのカゲは地面を這って商店街の方へと走っていってしまった。
ぼくは起きたことが信じられなくて、恐る恐る自分の足元を見た。
足についているはずの影が……、やっぱ無い!
「ま、待てよっ! ぼくのカゲ! 待て~っ!!」
ぼくは、汚れたズボンの砂をはらうのも忘れて、あわててカゲを追いかけた。
商店街は買い物のお客さんでけっこう混んでいた。
お客さんたちの足の間を黒いカゲがすりぬけていく。カゲはけっこうすばしっこくて、よく見ていないと見失っちゃいそうだった。
ぼくもお客さんの間をすりぬけながら、カゲを追いかける。
いつも行く床屋さんやクリーニング屋さんの壁にぼくのカゲが映る。
あんなところを誰かに見られたらどうしよう! と心配したけど、みんな忙しいのか誰も気がつく人はいなくて、ぼくはホッとした。
商店街も半分を過ぎると人が少なくなってきて、カゲは動きやすくなったのか、さっきよりも早く走り出した。
(お、お願いだから、あんまり早く行かないでくれよ……?)
ぼくが心の中でそう願ったとき、
「あら、カケル君!」
と、声をかけられた。買い物に来ていた近所のタナカのおばさんだ。
「こ、こんにちは!」
ぼくがおじぎをしようと頭をさげたとたん、おばさんは早口で話しかけてきた。タナカのおばさんはすっごくおしゃべりなんだ。
「あらまあ、いま帰りなの? そういえば聞いたわよ、カケル君、明日は運動会なんですって?」
おじぎをしたぼくの目には、おばさんの足と自分の足が入ってきた。おばさんの足には影がついているけど、ぼくの足には……モチロンなんにもついていない。
(もしおばさんにこの足を見られたら、あちこちでおしゃべりされちゃうぞ!?)
ぼくはぞっとした。
そうなったら、クラスの目立ちたがり屋に何を言われるかわかったもんじゃない。
「おばさん! ぼく、ちょっと急いでるから……、またね!」
もっと話したいようすのおばさんには悪かったけど、ぼくはソッコーでサヨナラした。おばさんにくるりと背中を向けて、カゲが進んだ方へと走った。
ところが、まだそう遠くに行ってないはずなのに、カゲの姿が見えなくなってしまったんだ。
「カゲのヤツ……どこ行った?」
ぼくはあせった。
お店や他の人の影にまぎれこんだのかもしれないと、ぼくはきょろきょろと黒い姿を探して辺りを見回した。
「あっ、あそこだ!」
ぼくがカゲを見つけたのは、いつも行く駄菓子屋さんの前だった。カゲはお店の正面で、行ったり来たりを繰り返している。
(そういえば、ぼくもこのお店の前に来ると、つい気になってうろうろしちゃうんだよなあ……)
あいつは、ぼくのカゲだから、好きなものもいっしょなのかもしれない。
カゲはよっぽど駄菓子屋さんが気になるのか、店の入口でピタリと止まった。そんなところもぼくとそっくりで、恥ずかしくてほっぺたがカアッと熱くなった……が、ぼくっはハッと我に返った。
(カゲをつかまえるには、今がチャンスだ!)
ぼくは、走って荒くなった息をなんとかおさえて、お店に夢中のカゲに近づいていった。
足だけをうんと伸ばして、そろそろとカゲの足にぼくの足を近づける。
だけど、あともうちょっとのところで、カゲがぼくに気がついてしまった。
「うおっ、あぶねえあぶねえ!」
カゲはぼくをさっと避けて走り出す。そして、
「お、こっちだった!」
と、商店街のわきの道にするりと入った。
「あいつ、この道を行くの!? うそだろ……」
このしばらく先には、「地獄階段」て呼ばれているとっても長い階段があるんだ。
地獄階段は、ぼくの家がある高台への近道だ。でも二百段位あって超大変だから、町のみんなは遠回りだけど坂道を使っている。ぼくも小さい頃は楽しくて地獄階段に行ったけど、最近はもうずっと行っていない。
地獄階段へ続く道をカゲがすいすいと進んでいる。ぼくは階段の手前でカゲをつかまえたかった。だってあの階段を上がるなんて、ぜったいに嫌だ。
カゲはぼくなんだから、走る速さは同じ位のはずだ。それなのに少しずつ距離が開いてきた。
そうか! 夕日のおかげであいつの脚は、ぼくより長くなってるんだ!
それじゃあ、追いつくわけないじゃないか……
そのことに気がついたぼくは、急にヤル気ゼロになりそうになった……
――けど!
「でもカゲが無くなったら、ぼく一生困る!」
青くなったぼくの心の奥から、ぐんと力がわいてきた。
その力のおかげで、カゲとの距離が少しずつ近づいた。
「カゲ!! 待てったら!」
「や~だね。だっておまえ、オレをつかまえて、向こうの坂道から帰るつもりなんだろ?」
「そーだよ、地獄階段なんてだれが行くもんか!」
「向こうの坂道なんてまっぴらごめんだぜ! だってオレ、広場に行きたいんだ!」
広場って……ぼくの家よりもっと上の、地獄階段の一番高いところにある、小さな見晴らし台のついた広場のことか。なんであいつ、あんなところに行きたいんだろう? べつに何もないとこなのに……
広場のことを頭に浮かべたら、その隙にまた差をつけられてしまった。カゲはとうとう地獄階段に到着して、勢いよく登りだした。
ぼくはハアハアと肩で息をしながら、目の前にドンと立っている地獄階段を見上げた。ゴクリとつばを飲み込んで、ぼくも登りはじめた。
最初は楽勝だったけど、あっという間に足がだるくなった。
それでも足を動かしていると、今度は足のつけ根がすごく痛くなってきた。ぼくの息の音もどんどん大きくなっていく。
「足……きつっ……もう上がんないよ……!」
ぼくは手すりにつかまり、腕をひっぱるようにして体をなんとか持ちあげた。
上の方にいるカゲもかなり疲れてきたようで、スピードダウンして階段を這っている。
息をゼエゼエさせながら、ぼくは残りの段を根性で登った。カゲに続いてやっとのことで上がりきると、カゲは地面に大の字になってハアハアと寝転んでいた。
ぼくも、重石のような足を地面に投げ出した。疲れすぎて、カゲをつかまえに行くことなんかできなかった。
先に休んでいたカゲは元気になると、逃げるわけでもなく、広場のあっちこっちへと探検しだす。ぼくはドクドク鳴ってる心臓の音を聞きながらぼうっとその様子をながめていた。
「そういえば、あいつ広場に来たいって言ってたよな……」
カゲはなんだか楽しそうだった
ぼくは汗びっしょりで気持ちが悪かったから、帽子を取ってランドセルを降ろした。服で汗をふいていたら、高台のさわやかな風が、ぼくのおでこや背中をひんやりとなでてくれて気持ちよかった。
カゲが嬉しそうに声をあげる。
「やっぱ、ここ気持ちいいぜ!」
ぼくは思い出した。そうだ、この広場には、小さい頃、お父さんやお母さんによく連れてきてもらったなあ。
ぐるっと山が見えて、風が気持ち良くて。家や車が小さくなって、おもちゃみたいで面白かった。ボールを追いかけて遊んだり、自転車に乗れるようになったのもここだった。
――ぼくもここが好きだ。
カゲはぼくのとなりによってくると、はずんだ声で言った。
「カケル、あの見晴らし台までかけっこしようぜ!」
疲れていたはずなんだけど、カゲの楽しい気持ちがうつったのか、ぼくもわくわくしてきた。
さっきは追いつけなかったけど、今度こそ!
「よし!」
ぼくは立ち上がって、大きく深呼吸をした。
「「位置について、ようーい、ドン!」」
ぼくとカゲは、見晴らし台へ全力で走る。
ぼくは、手をいつもより早く振って、足をいつもより強く蹴って伸ばした。
顔に、体に、手足に、風がビュンビュンと強く当たった。
のどがヒリヒリしてひっつきそうだった。
カゲがほんの少しだけぼくの先を行く。
ぼくは歯を食いしばって手と足をもっと大きく動かした。まるで夕日に伸びたカゲの手足みたいに。
ぼくの目にカゲの姿が見えなくなった。
見晴らし台が目の前に迫る。
ぼくは転びそうなぐらいに勢いをつけて、そのままゴールへ突っ込んだ。
先にゴールに着いたのは、ぼくの右足だった。一瞬おくれて、カゲの左足がゴールに到着した。
スピードにのったボクの体は、そのままつんのめって地面に転がってしまった。
痛かったけど、それよりもカゲを追いぬいたことがめちゃめちゃ嬉しかった。
息苦しいのに、ぼくは無理やり胸にたっぷり空気を吸いこむと、力いっぱいさけんだ。
「やったー!!!!」
「やるじゃん、カケル!!」
カゲもうれしそうだった。
「カゲ、くやしくないの?」
質問するぼくに、カゲは笑って言った。
「だってオレは、カケルなんだぜ? くやしいけどうれしくって、そんでもってすげえ楽しかったぜ!」
ぼくも夢中で答えていた。
「ぼくもだよ、カゲ! すごい楽しかったよ!!」
それから、――元通りぼくの足にくっついたカゲとぼくは、仲よく見晴らし台から町をながめた。
さっき登ってきた地獄階段も、商店街も学校も遠くの駅まで、町が全部見わたせた。山の上に続く空はいつもより広くて、絵の具の筆で書いたみたいな夕やけ雲は、風の形になっていた。
さんざん走って体はクタクタだったけど、気持ちは軽くてスッキリしていた。
「あ~っ!! 気持ちいいなあっ!」
思わず大声を出すぼくに続いて、カゲもさけぶ。
「うお~っ、気持ちいいぞお!」
ぼくたちは最高の気分で、夕焼けチャイムが鳴るまでずっと、見晴らし台で風に吹かれた。
*
次の日、運動会は快晴。
夏のようにまぶしい太陽が、ぼくの頭の上でじりじりと照る。
全校生徒が応援する中、先生のスタート合図のかけ声とピストルの音が次々に響いた。
かけっこの順番が近づいて、ぼくはすくっと立ち上がった。
カゲが小声で、すごく自信なさそうに話しかけてきた。
「おい、カケル。……オレ昨日みたいに走れないかもしんない。だって今のオレさ、おまえよりずいぶん小さくなっちゃってるからさ……」
空高くにいる太陽のおかげで、真っ黒いカゲはかなり小さくなって、ぼくの足元にいた。
心配するカゲとは正反対に、ぼくの心の中では、カゲと走ったあの気持ちよさがキラキラと光っていた
だから、ぼくはカゲをはげました。
「大丈夫! ぼくが全力でカゲをひっぱるよ」
ぼくがそう言うと、カゲはぶるっと波打った。
「……よし。オレこんなだけど、全力で走る。頼んだぞ、カケル!」
「まかしとけ!」
これからカゲと一緒に思いっきり走れると思うと、なんだかワクワクが止まらない。
4位になるかもしれないけれど、あの最高の気分を今日もまた味わいたいんだ。
「しっかりくっついててよ? おもいっきり行くからな!」
返事の代わりに、カゲはぼくの足にピタリと張りつく。
真っ白に引かれたスタートラインへ、ぼくたちは、一緒に足を踏み出した。
了