自分の建前人間は勝手にどこかに行っちゃうんだよ。
就活中ESを書く中で、私は何かを言葉にするのが得意だったはずなのにどんどん嘘を書いているような気がする。
何故志望したのですか?という質問の中で本当に思っていることだけでなく、それを裏付けるエピソードやその企業が喜んでくれそうなことを付け足していくうちに、本当に私が書いたのかな(笑)っていう文章になりあがっていく。
そう建前。就活は建前なのだ。
就活どころか社会人なんて建前どうしのコミュニケーションなんだろう。
子どもの時から聞いていたようなことじゃないか。
大人は素直じゃないって。大人は裏の顔を持っているんだって。
それはかっこいいことだと思っていた。
自分の都合に合わないことが目の前に出てきたとしても、建前の顔でうまくかわしたり、なだめたり
映画に出てくるスパイのようでクールだ
そんな闇を突き進むような大人も悪くないなんて思っていた。
だめだ。私にはできない。私が私でなくなってしまいそうだ。
もともとの私が確立されていない、フニャフニャなものなのに。
私が想像していた「建前」は上でいったように、スパイのようなもの。
私が私として生きていくために、それにそぐわない世の中をもう偽りの自分を操作しながら進んでいく。いわば「建前」は人形。
でもいざ就活で「建前」をやっていると、「建前」さえも私の一部になってきていることに気づいた。繰り返しESを書いて、それに基づいた面接をしていくうちに「建前」が本心に近いものになっていく。
というか本来の私が何故その建前を作ったのか忘れちゃうというか。
自分自身を洗脳しているのかもしれない。
「建前」は私が知らないうちにどこかに行ってしまって。
私も消えてしまう。
ある日「建前」は気づくんです。
私は何がしたいんだろうって。
私のこのnoteを書いているのは紛れもない「私」だ。
見失わないためにも書き続けていこう。
だけど、未来が不安。本当に。
いろんな人が周りにいてくれてるはずなのに、いつも孤独で寂しい。
もしかして「私」はもう「建前」になってしまったのだろうか。
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