日本のサブカルチャーの力

マネされ作家の心情日記 8.5

鳥山明氏が亡くなって早半月が経ち、世界中がその死を惜しみ追悼しています。

ドラゴンボールが英語に翻訳されたのも束の間、その後は他の言語にも翻訳されコミックは世界中を駆け巡りました。

それは、ドラゴンボールという作品が人類の壁を壊した瞬間だったのかもしれません。

≫日本の漫画のいいところ

日本人が生み出した一つの作品が、こんなにも沢山の人に愛される事実には感動しかなく、なんだかあったかい気持ちになります。

偉大なアーティストが亡くなることは、とてもさみしい。

なぜならもうその新しい世界は創造されることがないから。

他の人やAIではだめなんです。

その世界にいる人が描くものにしか感動の魔法はかからない。

私たちはそれを知っているからさみしいのだと思います。

日本の漫画は海外と比べ臨場感があり、作者が描く世界を一緒に楽しめる。

まさにここが日本の漫画のいいところ。

≫ 人類はひとつになれる

これはドラゴンボールの世界であり鳥山明の世界。

一人の人間が描く世界が、世界中の人々に愛され受け入れられていることには、本当に感動しかないです。

それなのに、世界はまだ争おうとしている。

土地を奪ったり、文化を奪ったりしようとしている。

奪えば得るものはありません。
国は人であり、会社も人でできているからです。

奪えばその奪いたかったものは現地の人々とともに消滅し、結局は手に入らない。

力ずくで奪い取ったものは必ず消えます。

人類が向かうべき方向性や在り方を、ドラゴンボールは教えてくれていると思いませんか?

お互いを思いやり、尊重すること。

奪うのではなく、良いところを分け合える世の中になればと願います。

≫ まとめ

今回は模倣というキーワードは全く登場しませんでしたが、言いたいことは伝わったでしょうか?

たった一人の頭の中にあった世界が、世界中の人々の共感を呼び、敬愛されている事実は、人類が人種や言語といったあらゆる壁を越え、ひとつになれることを証明しています。

争うこと奪うことにフォーカスするのではなく、自分たちの国の良いところや個性を分け合う、補い合うという在り方にシフトしていくことができれば、

権力を武器にした私利私欲のためだけの所業やそれこそ悪意をもった模倣や盗作なんてことはやがてなくなるのではと思います。

話の規模感が揃ってませんが同じことです。

対象が何であれ奪うと消滅します。そこに見えていたキラキラしたなにかも、そこに宿っていた魅力的な雰囲気もすべてなくなります。

それは奪ったものだからにほかなりません。

本当の綺麗は感じるものであり、見た目の印象は大事ですがその先で感じるものは奪われたものにはない。だから輝かない。

洞窟で割る飛行石のように、一瞬だけ光ってくれる。そんなイメージです。

ほら、意味ないでしょ?

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