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毎日日記|目を引く通行者たち

 悪夢を見た。目覚めは最悪だった。カーペットの上でうずくまって頭が覚醒するのを待った。
 朝ごはんを食べていたら涙がぽろぽろ零れてきた。昔の辛かったことが夢に触発されて脳内を駆け巡る。乗り越えたなんて嘘で、今でもこれほど涙が出るんだなあ、なんて他人事みたいに考えた。
 このままお家で泣くのもありだな、なんて思ったけれど、なんとなく身支度を整えた。YouTubeのおすすめに「テルーの唄」が出てきたので流す。この人はこの歌詞を書くとき、寂しかったのだろうか、それとも寂しさをわかっていただけで、別に寂しくはなかったのかな。

 大学に行く途中で、赤いジャージを着た二人の男女を見かけた。女性がしゃがんだ男性の後ろに立っていたのか、背中に乗っていたのか……。自転車で一瞬通り過ぎただけで確認できなかったのが惜しい。年配の男女がおそろいの赤いジャージを着ている、というのはかなり目を引いた。しかし、なんだかじろじろ見るのは失礼に思えて、振り返らなかったので、ふたりが親子なのか、夫婦なのかすら判断できなかった。
 帰りに信号を待っていると、目の前をカラフルに飾り立てた自転車が通って行った。どこにでもありそうな自転車に乗ったおじいさんが少し前を進み、その後ろに子どもが乗るシートを荷台につけ、前から後ろからカラフルな紙で飾り立て、空のチャイルドシートには棒を立て、棒の先にひらひらと風船をなびかせている自転車にのったおばあさんが続いていた。なんとも不思議な光景で、思わず見つめてしまった。あれは、孫を待ち望む飾りなのだろうか、それとも幼くして亡くなってしまった娘の弔いなのだろうか、などと想像してしまう。おばあさんとおじいさんは飄々と信号を渡ってゆかれた。

 大学の帰りに図書館により、予約していた本をゲットしてきた。その中のひとつが、椿説弓張月の現代語訳版だったのだが、これがまあ、想像していたものの三倍はでかかった。ノートパソコンよりやや大きくらいで、リュックになんとか収まったからいいものの、入らなければ情けなくも手に持って自転車を押して帰らねばならないところだった。リュックに入れても肩に食い込む重みに、はあはあいいながら持ち帰り、家で開いた。カーペットに寝そべり大きな本を開くのは、子どもの頃図鑑を開いて読んでいたころを思い出させた。昨日はクレヨンでお絵かき、今日は巨大な本を寝そべりながら読む、と童心に帰る日々が続いている。

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