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発達障がい|人間関係とエネルギー

 私はとっても疲れやすいし、すぐに寝るし、めちゃくちゃ寝る。
 これだけ聞くとエネルギー総量が少ないのかな、と思いそうだが、そうじゃないのではないだろうか、と思っている。

 大学に入ると、必須の人間関係、というものがなくなった。
 その代わり、てきとーに、浅く、広く、みたいな人間関係が多くなった。
 私はとことんこれが苦手で、最初の二か月でびっくりするほど疲れ果て、休学へと至ったのだが、ここから、己のエネルギーの使われ方について考えてみた。

 人間関係に関しては、気を遣って遣って生きているから、疲れやすいのは間違いない。
 兄に言わせると、私は「リアクション美人」だそうで、おしゃべりなようで、意外と相手の話を聞いて相手のペースに合わせて話しているらしい。
 これは、大好きな人とじっくり関わるときには美点なのだが(自分でいうとちょっと恥ずかしいけど)、たくさんの人と関わるときや、あんまり好きでもない人との時間を過ごすときには、とっても欠点になる。
 エネルギーの総量が少ない、というより一つの出口(一人と関わるとき)のエネルギー出量(どれくらい濃やかに気遣うか)を調節できないのだと思う。
 典型的な「狭く深く」のタイプである。
 
 これの思わぬ弊害は、例えば飲み会で隣になった、別にそんな好きでも嫌いでもないどうでもいい先輩と話すときすら、すごく気遣って、楽しく話せるように心を砕くので、相手は「この子、めっちゃ愛想いいな」とかひどければ「こいつちょろいな」と思われ、変な男に狙われることだ。
 それに悩んでいたとき、友達からのアドバイスでインスタのアカウントを一つ、人身御供として作り、どうでもいい人とはそれしか交換しない、というのを徹底して少し落ち着いたが、変にアプローチをかけてくる人もいて苦労した。

 適当にあしらう方法を学ばなくては、と最初は考えていたのだが、最近はその発想をやめた。
 自分ができないことを努力で技術として身に着けるのも大切だと思うが、その訓練は学校に通う12年間でずいぶんしたと思ったからだ。

 苦手な分野を克服するための努力は辛い。
 我ながら、12年間よく頑張ったと思う。
 だからそろそろ解放してあげよう、と思った。

 もう私には、大事にしたい人が十分いる。
 これ以上、しんどくなりながらも他者と関わり続けなくてもいい。

 適当に人をあしらう方法を学ぶのではなく、適当な人と関わらないようにする。
 そちらの道を選んでもいい頃かな、と思ったのだ。

 これもまた、大きな方向転換の一歩になるかもしれない。

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