発達障がい|何もしない、をする
大学を休学するにあたって、最後まで一番悩んだ理由は「自分がダメ人間にならないか」ということだった。
メンタルの調子が体にも出ていて、正直客観的に考えれば大学に行くのはかなり難しい状態だったにも関わらず、ギリギリまで悩んでいた。
これは、「なにかを成せ」「生産的な時間をしろ」という無言の圧に縛られてきたからだと思う。
うちの家庭の特徴なのか、日本人の特徴なのかはわからないが、とにかく生産性がないことに厳しかった。
兄弟はみんな年が離れていたから、ついまだ幼い私に指図したい、という思いもあったのだと思う、いろいろなアドバイスという名の批判を受けて育った私には、「生産性のない時間を過ごしたら嫌われる」「生産性のない時間を過ごすなんて許されない」「人間のごみだ」というような強迫観念が刷り込まれていたのだ。
実際、「休学したんだ」というと親戚や家族は「いいね、じゃあ海外に行ってみなよ」とか「ファームステイしたらいいじゃん!」とか、一見したら前向きなようで、私からするとものすごくしんどいコメントをたくさんしてくれた(笑)。
しんどいから休んだ、だからぞんぶんに休憩しなよ、とか、あなたが好きなことしたらいいじゃん、とか、何をしたいの? と聞いてくれる存在はいなくて、それなりに傷ついた。
でも、幸いなことに私には「あなたのすることすべてを信頼しているし、尊敬しています」と常日頃から言ってくれる大切な友人がいたし、母も「元気になったらあなたは動き出す人だから、大丈夫だよ」と言ってくれた。
だから、湧き上がってくる恐怖を抑え、「寝てばかりの半年になったら、それはそれで自分に必要な時間だったんだ」と思おうと決めて、休学を選択した。
その後も、定期的に自分の中で不安は湧き上がってくる。
「最近なにもしてないよ」「勉強した方がいいんじゃない」「せっかくだし海外にいったら」
でも、私にとって穏やかな生活は何にも代えがたいし、何が生産的かなんて、この半年で測れるものじゃない。この半年のおかげで、もしかして将来すごく大きなものを生み出すかもしれないし、生み出さなかったとしても、別に責められることじゃない。
何もしないでいい、と己に許可を出すことが、ずっと私にはできなかった。
だからこそ、強くなれた部分もある。
でも、何もしないでいい、って自分に許可を出すことは大きな一歩だった。私はいま、穏やかな生活を送っているし、この生活が大好きだ。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのはこういうことなのかな、と感じる日々である。
ただ、淡々と自分の毎日を送り、自分の範囲のことを自分で行う人間に、私はなりたい。
また、そういう人間を尊敬する。
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