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「ときには人間、バカになることも大事」。逆境を生き抜く知恵―『論語』

賢者があえて愚者を演じる

「ときには人間、バカになることも大事。逆風が吹いているときは、無理をしないほうがいいですよ」。

誰にも、人生の浮き沈みがあります。責任者のポジションを突然外され、畑違いの仕事をスタッフとして担当することになって嘆いていたときに、知人がこうアドバイスしてくれたのです。

 それは知人の激烈な体験を通して、出てきた言葉でした。
 
 彼はその才覚が認められ、若いときから業界団体や地域社会の要職を務めていました。飛ぶ鳥を落とす勢い。いずれは役職の頂点へ、という腹積もりでいました。ところが、所属するグループが抗争に敗れ、覇権を取る夢は潰えてしまったのです。この間、対外的な活動にのめりこんでいたため、事業経営も傾き始めていました。、

 事情をよく知る人のアドバイスで、業界団体とは一切の関係を断ち、身をひそめることにしたのです。進んで、バカになった(バカを演じた)のです。人間力に関する本を読破し、勉強会にも参加して、自分を磨くことに専心しました。

 雌伏すること数年。この間に本業を立て直し、さらには同業者を救済する事業を立ち上げて、世の中に貢献する道を見い出したのです。

 受難の時代を乗り越えることができた秘訣を、彼はこう明かしてくれました。

 孔子が2500年も前に『論語』で、実在した人物の例を挙げて言っていることが、とても参考になりました。
 逆風の状態、自分の力を発揮する場がないときには、バカになれ(バカを演じろ)ということです、と。

 彼の心と行動を変えた、孔子の言葉をみてみましょう。

 甯武士(ねいぶし)は、国がきちんと治まっていたときは、賢者として働いた。
 逆に乱れたときは、呆けて過ごして、身を全うした。
 彼の賢者ぶりは誰でもまねることはできるが、
 その呆けぶりは、なみの者ではなかなかまねできない。

 甯武士とは、衛という国の崩壊を防いだ苦労人の家老(太夫)のことです。孔子よりも100年ほど前に生きた人でした。
 国の興隆に尽力した貢献者が、国が乱れ、衰退していくときに、呆けて過ごことで、最終的には国を救った、それは最高の身の処し方だ、と孔子は称賛しているのです。

人はなかなか愚――馬鹿にはなれない

 甯武士の身の処し方がいかに素晴らしいか。
 漢学者の故・安岡正篤氏が『論語の活学』で次のように評しています。

 頭がいいとか、気が利くというようなことは、五十歩百歩で、決してまねできぬことではない。学んで到り得ぬことではない。
 けれども人間というものはなかなか愚――馬鹿にはなれぬものであります。甯武士という人は、人のまねできないバカになれた人。
 これは世間の苦労をしてきた人ほどよくわかる。

 逆境、苦境にあるとき、逆風が吹いているときに、ここで挽回してやろう、と一念発起するのが、志のある人の行動、と思ってしまいがちです。
 常にトップスピードで走り続けることが、人生を精一杯生きることとは、限りません。

 諸状況を見て、力を温存して復活に賭け、あとで成果を挙げること。
 あるいは、風向きがかわりそうにないなら、転身を図るという選択肢もあります。

 小賢しい人間になるよりも、人のまねできないバカを目指したい。
 ただ、凡人にはなかなかできない芸当なので、せめて、逆風下では、死んだふりして凌ぐことができるようになりたい。

 最後に読み下し文を。

 甯武士(ねいぶし)は、邦(くに)に道あれば、すなわち知、邦(くに)に道無ければ、つなわち愚。
 その知は及ぶべきも、その愚は及ぶべからざるなり。                  

『論語』公治長篇

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