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なぜ一歩譲る生き方が大切なのか。利益は独占しないほうがいい―『菜根譚』

「一歩譲る」のは、世渡りの知恵

 成功も手柄も富も、人より多く手にしたい。
 競り合っているときほど、その心理が強く働きます。
 負けたらおしまい、何も手に入らない、という強迫観念が働くからでしょう。
 
 何事にも、勝ち負け、運不運はついてまわります。
 自分が負けたら悔しい。立場が異なれば、相手も悔しい。その気持ちにかわりはありません。
 
 目先の果実を手に入れることも大事ですが、競っているときこそ、自分から一歩下がるようにしてはどうか。
 そのほうが後々のことまで考えがときには、賢い身の処し方と言えるのではない。
 そういうアドバイスが、中国古典の『菜根譚(さいこんたん)』に載っています。

 狭い小道を行くときには、一歩さがって人に道を譲ってあげる。
  おいしいものを食べるときには、自分の取り分を3割減らして、まわりの人に食べさせてあげる。
 こんな気持で人に接することが、もっとも安全な世渡りの極意にほかならない。

 ここで大事なことは、著者の洪自誠は、譲り合うのが美徳を説いているのではなく、世の中でうまくやっていくためのこと、処世に考えに巡らしなさい、ということ。
 目の前にある利益を独り占めしようと、相手の利益を奪ってしまうのは、得策ではない。損して得取れ、というのは、まさに生きる知恵。

 もちろん、激烈なビジネスの実際では、そんな甘いことは言っていられない。手に入れることの利益を、他人と分かち合ったり、相手にチャンスを与えていたら、敗者になってしまう。ビジネスパーソンとしては失格。

 ここで言っているのは、白旗を挙げなさい、ということではありません。
想定していたよりも多少分け前が少なくても、損が出るのでなければ、お互い様ということでやっていく道筋を探す。それが賢明なやり方ではないのか、と。

 組織で仕事をしている場合、先々見据えたプランを提案しても、甘い、生ぬるい、と決裁者には認めてもらえないかもしれません。結果はそうであったとしても、一歩譲るプランが秘める可能性について、シミュレーションをしたことは大きな一歩。その経験があとで生きてくるはず。

譲ることの損、生涯でみるとどれほどなのか

 話を戻しましょう。
 譲ることで損をしても、それを生涯続けると、どれほどのものになるのか?
中国古典『唐書(とうしょ)』では、こう諭しています。

一生道を譲り続けたとしても、その合計は百歩にも満たない。

「終身(しゅうしん)路(みち)を譲(ゆず)るも、百歩(ひゃっぽ)を枉(ま)げず」

『唐書』

 譲ることで失うものがあったとしても、損失のトータルは、生涯通してみても、大したことではない。譲ったことが相手から感謝されて、想定外のものを得る。そうこともあります。
 それは、多くの浮き沈みを体験してきた人たちが知りえた、一つの結論,
人生の教訓なのかもしれません。

どうしても、目先の損得をみて、判断しがちですが、人生の損得勘定は、人生を終えるときの「決算」をみてみないとわかりません。
「資産」や「名誉」よりも、「幸福」や「健康」、「感謝の御礼」といった簿外の項目、数値化しにくいものが、「人生の決算」では大きなウエイトを占めていそうです。

 最後に読み下し文を。

径路(けいろ)の窄(せま)き処(ところ)は、一歩(いっぽ)を留(とど)めて人(ひと)の行(ゆ)くに与(あた)え、滋味(じみ)濃(こまや)かなものは、三分(さんぶ)を減(げん)じて人(ひと)の嗜(たしな)むに譲(ゆず)る。
これはこれ世(よ)を渉(わた)る一(いち)の極(ごく)安楽(あんらく)の法(ほう)なり。        

守屋洋著『決定版 菜根譚』


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