怨みを買えば、必ずしこりが残る。そうならないためには―『老子』の「争わない生き方」
地位や財産と、生命と、どちらが大切か
「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーは、おかげさまで、多くの方のご参加をいただき、開催できました。御礼申し上げます。
セミナーの資料づくりに追われ、投稿が遅れてしまいました。
「争わない生き方」のヒントを考えるシリーズの締めくくりは、『老子』。
処世訓の名著『菜根譚』の支柱の1つにもなっている『老子』ですが、無為自然、宇宙の原理をもとに生き方などを考察しているところに特長があります。
なので、現実社会の利害やしがらみについても、ズバッと切り込んでいます。それをみていきましょう。
地位と生命と、どちらが大切か。
生命と財産と、どちらが重要か。
得ると失うと、どちらが苦痛か。
地位に執着しすぎれば、必ず生命をすりへらす。
財産を蓄えすぎれば、必ずごっそり失ってしまう。
控え目にしていれば、辱めを受けない。
止まることを心得ていれば、危険はない。
いつも安らかに暮らすことができる。
読み下し文です。
そして、争いの元となる怨みについては、次のように言及しています
大きな怨みを買えば、たとえ和解したとしても、必ずしこりが残る。
人の怨みを買うのは賢明な処世ではない。
道を体得した人物は、仮に債権者の立場にあったとしても、せっかちな取り立てはしないものだ。
徳のある者は取り立てを控え、徳のない者は容赦なく取り立てるという。
天のやり方にはえこひいきがない。いつも徳のある者に味方するのである。
和解に至ったから、それで解消とはならない。
そもそも、人の怨みを買うようなことをするのは、賢明なことじゃない。
それが天のやり方なのだ、と言われてしまうと、反論のしようがありません。
読み下し文です。
ただ争わず、故に尤(とが)なし
では、争わないためには、どのような生き方を目指せばいいのか。
『老子』は、そのモデルは身近にあるだろう、気づいていないのかい?
そんなふうに言いたげな様子が伝わってきます。
ほら、水の働きをみてごらん、その自然の営みに逆らわないありようこそが、争うことを避ける最良の方法だよ、というのです。
最も理想の生き方は、水のようなものである。
水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人の嫌がる低い所へと流れていく。だから、道のありように近いのである。
低い所に身を置き、淵のように深い心を持っている。
与えるときは分け隔てがなく、言うことにいつわりがない。
国を治めては破綻を生ぜず、物ごとには適切に対処し、タイミングよく行動に移る。
これこそ水のあり方に他ならない。
水と同じように、逆らわない生き方をしていれば、失敗や争いを免れることができるのだ。
読み下し文です。
相手の下手(したて)に出る、「不争の徳」
つまるところ、争いが起こらないように、争いを避けるようにするのはどうしたらいいのか。『老子』は、その考えと行動の仕方を、「不争の徳」として提示しています。
すぐれた指揮官は、武力を乱用しない。
戦巧者は、感情にかられて行動しない。
勝つことの名人は、力ずくの対決に走らない。
人使いの名人は、相手の下手(したて)に出る。
これを「不争の徳」という。
これは人を活かすやり方であり、天の意志にもかなっている。
これこそ「道」に則ったやり方に他ならない。
相手を力で組み伏せようとするから、争いになるのだ。
相手の下手にでればいいじゃないか。そうすれば、争いなど起こらない。
これこそ「道」に則ったやり方に他ならない。
その通りだな、と思います。
読み下し文です。
『老子』が思い描く、争いのない世界とは
では、『老子』が思い描く争いのない世界とは、どんな世の中のなのか。
その理想を、次のように語っています。
どんな社会が理想なのか。
まず国は小さく、人口も少ない。文明の利器に恵まれたとしても、人々は見向きもしない。それぞれに人生を楽しみ、他所へ移ろうとしない。
舟や車があっても乗ろうとはしないし、武器はあっても手にとろうとはしない。あえて読み書きを習おうともしない。それぞれの生活に満足し、それぞれに生活を楽しんでいる。
鶏や犬の声が聞こえてくるようなすぐ近くに隣の国があっても、往来する気などさらにない。
読み下し文です。
4つの中国古典を通してみてきた「争わない生き方」、
やや尻切れトンボになってしまいました。
番外編を次回投稿して、ひとまず終わりをさせていただきます。
これまでの投稿です。