見出し画像

他人のせいにしても、何も解決しない。自分の内なる声に素直に従う―『呻吟語』

書が下手なのは、筆のせいでも、紙のせいでもない

 失敗したときやモノゴトがうまくいかないとき、ついつい他人のせいにしてしまいます。政治や世の中がよくないからだ、と不満をぶちまけて、やり過ごすこともあります。

 そこに一面の真理はあるにしても、正義をふりかざしたからといって、ましてや世の中のことをいくら憤っていても、問題は解決しません。

 かえって、あの人はいつも正義漢ぶっているけど、不満をぶつけているだけで、やっていることは「自己中」だよねと、周りの目には写ってしまい、つきあいきれないな、ということになりかねません。

 自分では正義を貫いているつもりでも、結果として「天に向かって唾を吐いている」ことにならないようにしたいです。

中国古典『呻吟語』の言葉に学ぶ

 そんなときに思い浮かべたいのが、中国古典『呻吟語(しんぎんご)』のこの言葉です。

 弓を射て的に当たらないのは、(己のせいであり)弓のせいでも、矢のせいでもなく、的のせいでもない。
 すべては己のせいである。
 書が巧みではないのは、筆のせいでもなく、墨のせいでもなく、紙のせいでもない。
 すべては己のせいである。

 この言葉を声に出して読んで、まずは心が鎮まるのを待つ。
 それから、自分がどうすべきかを考えてみる。

 そうすると、相手のミスや勘違などが決定的な原因だったとしても、振り返ってみると、うまくいかなかった原因には「己のせいである」と思いあたることも、浮かんでくるのではないでしょうか。
 たとえば――。

  • 準備が不足していなかったか。

  • 見通しに甘さがなかったか。

  • 自分の力を過信していなかったか。

  • 協力者の選択は適切だったかなど……

 思い返してみれば、そこになんらかの反省点があるのです。

自分に欠点はなかったかと反省する

 中国思想の研究者、湯浅邦弘大阪大学名誉教授が、この話に関連して、『孟子(もうし)』の次の言葉を挙げていました。

「仁者(じんしゃ)は射(しゃ)の如し」。

 その意味は、次の通りです。

「仁の人」は、弓の競技と同じで、的に命中しなくても、勝った相手を憎むことなく、自分に欠点はなかったかと反省するものだ。

「仁の人」とは、モノゴトの道理がわかっている人のこと。言い方を変えれば、自分を省みる姿勢がなければとうてい人格者にはなれない、とも解釈できます。

 トラブルやうまくいかないことに直面したら、まずは「己のせい」で起こったことはないか。そこから考えていくと、解決の道筋がみえてきて、人間関係を損なうリスクも小さくなります。

 ただし、「己のせい」だから、と責任を自分で全部被るのがベスト、という話ではありません。

 最後に『呻吟語)』の言葉の読み下し文を。

射(しゃ)の中(あた)らざるや、弓には罪無(つみな)く、矢には罪無く、鵠(こく)には罪無し。書の工(たくみ)ならざるや、筆には罪無く、
墨には罪無く、紙には罪無し。

ビギナーズ・クラッシクス 中国古典『呻吟語)』湯浅邦弘著に準じています。

『呻吟語』著者:呂新吾(ろしんご)。
書名の「呻吟」とは重病人のうめき声のこと。ただし、呂新吾自身が病気に苦しんでいたわけはなく、社会の混乱や腐敗に向けて発した嘆きを、「呻吟」という言葉に託した、ということです。

この記事が参加している募集

#古典がすき

4,020件

#仕事について話そう

109,959件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?