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51 F 頭の中 #私は誰?

結婚したのも、子供を産んだ年齢も自分では標準なのだと思ってた。幼稚園に通うまでは。幼稚園に通うようになると周りはお若いお母さんばかりで、私結婚出産遅かったのかな、と思った。でも、20代は好きな事させてもらって自分のために時間を使えた。色々と経験させてもらってから結婚・出産をしたと思う。

今は学校を通してや、自分でアレンジしたり世界は昔よりも近い感覚になった。留学は30数年前は誰もが体験できるものではなかったかもしれない。家族にはとても感謝している。自分の形成にとても大きな影響があった。日本の当たり前や建前が生きにくくて海外へ行ったけど、日本の素晴らしさに気付いたし、自分が日本のこと何も知らないことも分かった。自分の国を知るには外へ出る事が一番早いね。

8年ほど経ち日本へ帰国しましたが、どうにかこうにか就職口を見つけてお仕事は始まりました。数年働いてる間に結婚して、その2年後に第一子を出産。育休の申請を1年は出していたのだが、会社から毎月本当に戻ってくるのかチェックされ、辞めてほしいんだなと。当時は保育園に入れず働けない事が社会問題にもなっていた時代だったので、諦めて仕事は辞めちゃった。今考えるわたしバカ。取れるところまで粘って、方法を模索すれば良かった。そして現在はフルタイムの仕事を手放しちゃいけなかった、と後悔。

ここから専業主婦の生活が始まった。私の両親は遠方プラス自営業なので、子育てを手伝ってくれる状況ではなく。ダンナさんのほうはご高齢で難しく。ワンオペってやつが始まった。経済的には苦しいわけじゃなかったけど、別に特別なことや贅沢は出来ないし、毎日1人の子育てはストレスも溜まるし、悶々と過ごす日々。夫婦仲も良くなることはなかったかな。私がやるもんなんだ、私しかやれる人いないんだ、私が時間がある人なんだ。側からはお気楽に見えただろうけど、本人は毎日こなすの必死だったよ。

そんな状態のまま数年が過ぎていく。幼稚園にだって役員や係や保護者参加のお仕事がある。小学校はPTAやったり、やれ祭りだ、セミナーだと参加しなきゃ。習い事にだって役員あります。平日の送り迎え、土日は試合行ったり、発表会やって、衣装の準備して、総会の取りまとめやら会計やら。少しづつアルバイトも始めて塾代にしたよ。コロナと共に、子供の成長と共に、それらが終わりを迎えた。学校関係の仕事って大変だからやりたくないって声は良く聞く。仕事が大変なのは別に大きな問題じゃなかったりする。共にやる人が重要なだけ。楽しい事も多かった。周りの方に恵まれた。

今までよりも子供から手が離れ、少し時間ができた。
さぁ、どうぞ!遠慮しないで、どうぞ、どうぞ!好きな事再開していいよ!って言われてるような瞬間。待っていたこの瞬間。なんだけど…

「わたしって何が好きなんだっけ?」
「わたしって何がしたいんだっけ?」
「わたしってどういう人?」

わたしは「わたし」を失くしました

奥さんとか、お母さんやってる間に失くしちゃったみたい。
自分のためだけに時間もお金も使って好きなように何不自由なく生きてきて、やりたいことだらけだったはず。挑戦したい事が順番待ちしているように感じてた。
好きな音楽にもお金を費やしたし、食べ歩きや散策も週末は出掛けていた。
ワガママに我が強く、強引に我が道を行く。こだわりが強くて、何でもできるし、何にでもなれるって信じてました。
そんな私が、こんな状態になるの?やばー、わたし無意識に日本社会でうまくやるために己を消しちゃったのかも。でも、ちゃんとうまくやれたよ、成功してると思う。

わたしを保持することには失敗か。

この年齢からも自分探しってケースあるんだね。10代20代に限定されることかと思ってました。斬新じゃない?50代からの自分探し。インド旅行から始めるか?

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