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①初めての東北旅、気仙沼。「震災と命」〈ミステリーハントVol.1〉


こんにちは!ミステリーハンターマイです😆

〈気仙沼ミステリーハント〉第一回目の今回は、
エピソード0として初めて私が東北・気仙沼に訪れ
心動かされた時のお話を!!



↓↓ 〈初回も読んでね!〉 ↓↓




初めての東北旅行 〈ノープラン〉


初めて東北を訪れたのは、2022年の3月。


幼馴染のメグと、
青春18切符で東北一周旅行を企てたものの
どこに泊まるか、何をするかも決めずに
宮城県・仙台市へ向かった。


実はこの「ノープラン」こそが、
この旅の最重要ポイントだった
と、後から気づくのだが。

まだマスクしてた


とりあえず私たちは、
宮城県にある日本三景の「松島」の絶景を
上から見たくなり、近くの山に登る作戦に。

荷物を置かせてもらうために、町行く人に声をかけていると「キボッチャに行ってみたら!」と言われたので向かうことにした。


ここから不思議なご縁が繋がっていく。


キボッチャに出会う〈ご縁リレースタート〉


キボッチャ(旧野蒜小) 東松島市HPより


「キボッチャ」とは、
「希望」と「FUTURE=未来」を掛け合わせた言葉で、東日本大震災で津波の被害を受けた野蒜小学校を改修し作られた施設だった。

震災当時の野蒜小 2016年に閉校した


中に入ると代表のミイさんという明るい女性が現れ
「荷物いいよ!決まってないなら泊まってきなよ!」と、荷物どころか私たちの泊まり場所まで見つかった!!イイェイ


ミイさんは元自衛官。
防災教育や危機管理教育を楽しみながら学べる
キボッチャで子どもたちに「命の大切さ」を伝えているという。

浸水深3.7mは想像を絶する高さ


お好み焼きパーティにまで参加させてもらい
楽しい夜を過ごした旅の初日、
ミイさんは「明日、面白いお坊さんに会いに行く?」と私たちにオモロボーズを紹介してくれた。

松島が上から見れて 歓喜の舞


森の寺子屋〈津波サバイバー坊主の命のお話〉


次の日は早起きして、岩手県一関市へ。

ミイさんのお友達、佐藤良規さんというお坊さんは自分のお寺「藤源寺」で、学校に行っていない子どもたちが大自然の中で全力で遊べる「森の寺子屋」を開いていた。

生えてたフキノトウを揚げている


そこにいた子どもたちは
私よりも食べられる野草に詳しくて、
いろんな遊びを自然の中で開発していて、
最高の笑顔で大草原を駆け回っている。


「学校には行くべき、行かないと将来大変」とかは
誰かの作った虚構の神話だな、と思った。

だって明らかに、
彼らは私よりも生き延びる能力を持っていて、
いざという時に大変なのは食べられる野草を全く
知らない私の方だ。


実はオモロボーズの良規さんは、
津波のサバイバー
でもあった。

一番左 良規さん


たまたま3月11日釜石市にいた良規さんは
車の渋滞にハマっているところを津波に襲われ、
間一髪車の外に。

お坊さんになるまでに、
マグロ漁師やバックパッカーなど
いろんな経験をしていたからこそ
出来た判断だったと話す。


そんな良規さんでも被害の大きさを目の当たりにし、「自分はなぜ生かされたのか?」と考え
落ち込む日々が続いたそう。


しかしその後、
「生かされたこと、そして坊主であること」から
「生きている素晴らしさ」を伝えるメッセンジャーとして活動することに。

そんな良規さんは別れの挨拶の時、
誰とでも必ず、ハグをする。


「今生きてることが、ただひたすら素晴らしい」

と真正面から伝えてくれる良規さんの言葉に
私は大泣きでハグをした。


いい会社に入れれば、学校に通えれば。
そんな「条件」は本当に取るに足らない
どうでもいいことで生きているだけで、
無条件に価値があるんだ。


と、23にしてようやく気づけたのです。


そして、ここでは森の寺子屋にいた
3人の子どものお母さん杉浦美里さんに
誘ってもらい、遂に気仙沼へ。


気仙沼に沼る〈3.11 命があるということ〉


東北の優しい人達のリレーが繋がって、
私は、まるで導かれるみたいに気仙沼に辿り着いた。

気仙沼では杉浦さんの家に
居候させてもらうことに。

布団まで買って用意してくれた😭


平屋建ての一軒家には、
子ども3人の杉浦家が5人と
裏の家と呼ばれる居候の家?に3〜5人の居候、
さらに私たちも含めて10人以上の人間が
杉浦家に出たり入ったりしていた!!


そしてこの家の大黒柱(?)恵一さんこそが
若者を引き寄せ、気仙沼を底なし沼にしている大きなミステリーだと気づいたんだけどそれはまた次回以降に解き明かすお話!!


杉浦家の3人の子供達はすごく意思がはっきりしていて、学校に行かないことを拒否ではなく、選択しているよう見えた。



多分それは両親が「俺の子供なら大丈夫!」と
本気で彼らを信頼していること、
家の中にいろんな大人がいて世の中には沢山の選択肢や考えがあることに子供たちが気づいているからなんじゃないかなと気づく。


結局私とメグは、東北一周もすっかり忘れて
気仙沼の沼にどっぷり浸かる事になった。

気仙沼東日本大震災 伝承館


そして3.11、当日。

居候先の杉浦恵一さんが
2011年の11月11日から毎月行なっている、
青いロウソクを灯すBlue Candle Nightという
プロジェクトのお手伝いをし、
3.11当日も参加させてもらった。



この年はキリスト教や仏教の様々な宗派など宗教の枠を越え、一つになって祈りを捧げる「命灯会(みょうとうえ)」も開かれ、能の舞も。


Blue Candle Nightでは、

青いキャンドルを2本灯す。

一本は、震災で亡くなった方のため

そしてもう一本は、

今を生きる自分のため。


亡くなった方達を心から想うと
必ず自分の「生」への問いかけが生まれる。



 「今」を楽しんで生きているか?

 生きてることに条件つけていないか?


そんな問いが、みんなの色んな想いと共に

一つの大きなエネルギーになる。


最後にはオモロボーズの良規さんが

「今ここにいるって事がとんでもない貴重な事だから、みんなの「生」が愛おしい」と言っていて

別れ際にみんなが自然とハグをした。

男も女も子供も関係なく、
「生きていてくれてありがとう」が
部屋中に溢れていた。


結論 東北は強くて、凄い。



「生きていること自体が素晴らしい」

なんて、そんなこと言葉ではずっと前から知っていたけれど実際に沢山の方が命を落とした場所に行き
生かされた人の話を直接聞いて、
知識だけじゃなく体に染み入るシャワーのように
言葉がスッと入ってきた。


こうして、あの土地の人々の温かさ、力強く生きる姿を知り私は東北や気仙沼のことが大好きになったわけなのです!


書きすぎちゃってごてんなさい!



さあさあ2回からは今回のキーパーソン、
若者を惹きつけてやまない?!
杉浦恵一さんの謎に迫る!


〈第2回〉杉浦恵一の謎「俺、一回死んでるから」



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