はるむぎやま

人に話しづらいこととか、ツイッターに書きづらいこととか書いてます。

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最近の記事

急にELTを聴くようになった話。

なぜか最近Every little thingをよく聴く。 昔から存在も認知していたし、曲もいくつか知っていた。「Time goes by」とか「fragile」とかね。 今まであまり積極的に聞いてきたアーティストではなかった。ところが、今年Apple musicで一番聞いていたのは紛れもなくELTだった。ついには新品でベスト盤を買ってしまった。 今年の1月か2月くらいに急に「fragile」がジーンと来る感じがした。 個人的にその時期は疲れていた。何か大きな失敗をしたわ

    • ディスクが時代?

      CDが売れない時代になって久しい。 人々が音楽を聴く手段は物理的な媒体からダウンロードを経て、今はストリーミングが主流となった。 音楽に限ったことではないが、自分で所有するという概念は古くなってきているのかもしれない。 CD、DVDその他もろもろのメディアは無用の長物となりつつある… いや、本当にそうだろうか。 私たちが愛する音楽、映画、アニメは永久的にネットからストリーミングできるだろうか。 当たり前だと思っているストリーミングサービスは永久的に続くだろうか。 少々

      • 病みキャラ

        生きづらい世の中、自分はなぜ生きているのかと思うこともあるだろう。 現に私自身そのような疑問をずっと抱いていた。 しかし、この疑問に答えはない。哲学者や倫理を学問とする者が、 それらしいことを答えとしているかもしれないが、どれも空虚だ。 本題はここからだ。 なぜ自分は生きているのかという疑問を持つものは私だけではないだろう。 同じような疑問を持つ声が私の周りでも、ちらほら耳にする。 疑問を持つこと自体仕方がない。しかし、答えがない質問なのだ。 周りに問う行為をしても意味は

        • クドカンの狂気

          今、テレビ東京で「季節のない街」が放映されている。 クドカンと大友良英の組み合わせのせいか、あまちゃんを思わせる 雰囲気のドラマだ。 一見コメディーらしさも感じられるが、(設定を見ればコメディーじゃないと気付く)非常に鋭さを持ったドラマである。 クドカン作品だとIWGPはなかなか鋭く社会派なドラマであるが、映像の作り方が非常にハードボイルドである。一方で「季節のない街」は一見ハートウォーミングな雰囲気を醸し出すが、IWGPを上回る鋭利さを備えている。 このドラマからは

        急にELTを聴くようになった話。

          どうしてタイムマシンに乗るか。

          私はタイムスリップするのが趣味だ。 いや、タイムスリップしないと生きていけない。 タイムスリップする先は、90年代だ。 古いMステ、HEY!HEY!HEY!、CDTV等 CDが一番売れた時代、鮮やかな雰囲気だ。 古い音楽番組には楽曲だけでは感じられないものがある。 それはアーティストの生気あふれる息遣いだ。 草野マサムネがチェリーの由来をタモリに恥ずかしそうに話す様子 まだJUDY AND MARYだったYUKIがトークもウキウキしている感じ シャ乱Qのつんくが調子

          どうしてタイムマシンに乗るか。

          スピッツと私

          ベタなタイトルだが、私の人生にはいつもスピッツがいた。 私がスピッツのファンになったのは両親の影響だ。 小さなころからタイトルを知らずにスピッツを浴びていた。 過去の情景とスピッツの曲たちがリンクする。 夜の夜景がきれいな近江大橋と「不思議」のちょっと切ないメロディ 習い事に送ってもらうときに、アップテンポな「トンガリ’95」 自然豊かな信楽にドライブするときに、どこかに連れて行ってくれそうな「ルキンフォー」 そして昨日初めてひとりでドライブしたときも、ギアを上げて

          スピッツと私

          今日見た夢の話

          私は普段、いい夢を見ない。 大概、何かに追われているか、過去のトラウマの場面が夢となって現れる。 でも今日はなんかいい夢だった。 今日の夢はどこかの映画の撮影現場であった。 堤真一が演技をしていた。でも彼が主役ではなさそうだった。 よく分からないが、なぜかELTの持田香織が演技をしていた。 堤真一の相手役のようだった。 どういう話だったんだろうか。 なんだか心地よい空間だったような気がする。 こういう夢を見させてください。

          今日見た夢の話

          もどかしさ

          私の所属する演劇サークルでは夏公演に向けて準備が始まった。 正直私も役者をしてみたかった。 しかし、私は大学3年生である。 就活もしなければならない。教職もある。 正直、教職も何のために取っているか分からなくなっている。 私のサークルにも教職を取っている人がいる。教科は違うが、同じ文系同士だから教職の愚痴も話し合ったりした。 その人はうちのサークルのなかでは軽めに活動しているタイプだった。 それこそ去年は文化祭で演技をしていたが、公演のオーディションには参加していなかった

          聞いてほしい、聞いてほしくない

          私の気持ちはよくわからない。 同世代の人間はツイッターに鬱屈とした気持ちを吐き出している。 私もそんな感情を吐き出したい瞬間がある。 でもツイッターにつぶやくのは違う気がしてしまう。 知り合いの鬱屈としたつぶやきを見ると不快になってしまうときがあるからかもしれない。 noteならそういうのを見たくない人は見ないで済むかもしれない。 でも、ツイッターとかnoteでいいねつくとうれしい。 私はどっちつかずだ。

          聞いてほしい、聞いてほしくない

          オーディション

          私が所属している演劇サークルにはオーディションがある。 年に4回しか公演がないから仕方がないことだ。 でも、私はオーディションがあまり好きではない。 どこかの劇団とか、ドラマの撮影であればしかるべき理由で オーディションをやってると思う。 でも、私が入っているのは演劇「サークル」なのだ。 恨み節になって悲しいが、私は幾度となくオーディションではじかれてきた。 そんな事情もあって今年の2月に通常の公演ではない小公演なるイベントを企画した。 その小公演では私もハレバレ役者をした。

          オーディション

          自己紹介(先にやっとくべきでした。)

          就活しなきゃいけない年齢の大学生です。 演劇サークルに入っています。 自分の鬱屈とした気持ちをどこかに吐き出したいけど、 友人に話すのは何か違う気がするし、多分重すぎるし、 親に話したら変に心配される。 でも吐き出さないとパッカーンてしちゃいそうだから ここに記述してます。

          自己紹介(先にやっとくべきでした。)

          徒然なるままにはきだし

          何だろう、この気持ち悪い感じ。 私が何か悪いことをしたわけでもない。 誰かに何かいやなことされたわけでもない。 でも、吐き気がするくらい気持ち悪い。 もちろん体調が悪いわけではない。 元気だし、食欲あるし。 やりたいこと、やらなければならないことがいっぱいある。 それが私を襲うのだ。 そして襲われるたびに私は気持ち悪くなるのだ。 自分の中に自分を律してくるやつがいる。 そいつが常に私を襲うのだ。 目をつむっても、好きな歌手のLIVEを見ていても。 でもそいつを無視したら

          徒然なるままにはきだし