日記 愚痴と言ったら愚痴


こんにちは。元気にやってます。
桜が緑に変わり、示し合わせバトンタッチしたかのようにネモフィラの季節ですね。

高校でも新学期の授業が本格的に始まりました。
早くも席替えがしたい気分です。
窓際こんがり日に焼ける〜


本題に入ります。

先日、新任の国語の先生に
「評論文は小説のように読んではダメなのだ」
との教えを受けました。

はぁ。
ふむ。


自慢ですが、今まで全ての文章を「小説のよう」に読んできた私は現代文の点数を落としたことがありません!!!(ドン!)

これに関しては私の数少ないプライド様であらせられますので、感嘆符を!末尾に!沢山!
付けさせていただきたい次第なのですが!
逆に、中学一年生の時通っていた塾に教わった方法で読んで、点数が下がったことがあるくらい!
なのですが!
(理系科目は30点くらい上がりました。塾最高!)


そんなことはどうでもよく。

なんで先生って、読むことのハードルを変な形にするんですか?
せっせと歪んだハードル作って楽しいですか?
「ラノベは本じゃない」
とか、半笑いで、見下したように言ってきた人もいました。
さぞかし崇高な本でも読んでいたのでしょうか。それは興味がありますが、
人としてカウントしたくないですねー。

本だが?ラノベ。
と、思いました。(積読中に、失敬。)

せっかくそれぞれの文章を楽しんでるのに。
なぜか大人に毛嫌いされる漫画も、文章に触れることから逃げていないというのに。
ハードルを変な形に設定されると、飛ぶのも潜るのも難しそうに見えてしまうのがわかりませんか?それってすごく苦しくないですか?

若き生徒の入り口を潰すことばかり言う。
そもそも、先生を名乗る立場の方々にしては
主語がとってもBIGですよね。


文章の読み方を導くのが教師なんじゃないの?
あなたにとっての核心は突けたのかもしれないけど、生徒で気持ちよくならないで!

私の口から罵詈雑言が飛び出します。
ばーかばーかアホカスオタンコナス。ボケナス。

このへんにしておきましょうか。


とどのつまり私は、読書が好きなんです。
小説、小論文、絵本、エッセイ、児童書。
どんな名前がついていても文章は文章。
曖昧が愛しい本々(ホンボン)たち。

書物は人が作ったものである限り個性が出ます。
どんなに論理的に書いたって、技術で塗り固めたって、おなじです。
それは、たまらなく面白いことだと思うんです。

同時に、そう思えることが嬉しいんです。

だからみんなにもそんな読書体験をして欲しいと思ってしまう。

難しいから、読んだ上で苦手。
それで良い。むしろそれがいい。

読み方のわからない小説だってあります。
読めるけど何か感覚的に気に食わない、合わねえな!っていう文章だってあります。
どんなにロジカルでも、納得どころか理解したくない評論文が沢山あります。

なんせ、本と、それを作る人間たちは沢山あるから。

一節だけお気に入りの詩集。
なんならお気に入りのツイート。
かっこつけて、共感してみる純文学。
その憂鬱に乗っかってみたりして。
小さい頃からずっと好きな児童書。
背伸びして読んでみたら、意外と視野が広がるきっかけになった評論文。
それでも難しい言葉は放置しちゃったりして。
普段本は読まないけど、好きな芸能人のインタビューなら読めるなあ。

だとかだとか。
まどか☆マギカ。

各々いろいろあると思います。

このnoteに特にオチはないですが、大好きな文章の読み方を限定するようなことを、自分より立場の偉い立場の人間に言われて、悔しくて悲しかったので、思いをここに綴らせていただいた次第なんです。


じゃあ、ここまで読んでくれてありがとう。

あなたに最高の読書体験が待っていますように。
それから!読書だけでなく、素敵な作品にいっぱい出会えますように!

締めの言葉がつい長くなるのが私のとくちょう、
です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?