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ワシントン大学留学体験記6(移民の国、アメリカ編)

インド人留学生と議論した話

以前、

「なんで人は移動するんだろう」

と留学中親しくなったあるインド人の学生に問うてみたことがあった。

「国にも個人にもwin winなメリットがあって、みんなアメリカに来ているんだよ」

とその人は答えた。

「じゃあ不法に滞在している人は?」

と私が聞くと、

「国にメリットはないかもしれないが、不法滞在したとしても、自国でとどまるよりも他国でリスクを取って生活する方が、よほどメリットになるという確信があって人は移動しているんだと思う。」

と言われた。確かに。でなければ、危険や労力を伴う移動は誰もしたくないからね。

と同時に、日本で教育を受け、日本で働けるということは、とても守られていることなんだな、と実感した。良く言えば、ある程度の生活が今現在では保証されている、悪く言えば温室育ちであるというところだろうか。

なぜそう思ったのかというと、その留学生の話を聞いて衝撃を受けたからである。

まず、その人がどんな人なのか、簡単にまとめてみる。

「ただでさえ、学生の数が日本の比にならないぐらい多いインドで、熾烈な大学受験競争を勝ち抜いた。有名な大学を優秀な成績で卒業し、修士を飛ばしてワシントン大学の博士課程に入学。授業を受ける他、研究をし、論文を作成するために週60時間以上働いている。」

ざっとこんな感じである。

ある意味アメリカの大学にヘッドハンティングされたとも言っていいだろう(あまり詳しい事は分からないが、日本の学生が自主的に日本の大学院に入って研究するのと、全然違う印象を受けたということをお伝えしたい)

将来、やろうと思えば現地のマイクロソフトなりグーグルなりで働けたり、研究がしたければ大学でもっと研究したりできるみたいである、研究がうまくいけば。

これもまた、私が聞いた話であるが、インドでは大学までの理数教育は他の先進国に勝る部分がある。しかし、大学以降で研究する環境や、より高い給料をもらえるような仕事や環境が先進国ほど整っていない。みたいである。つまり、大学までにやってきたことと、社会に出てから得られる対価が釣り合っていないということだろう。

実際、そうやって優秀な人材が海外に飛び出していくことで、インドでは、深刻な頭脳流出が行われていることも確かである。

何が言いたいか。それは、私が今まで出会った留学生の多くに当てはまるのだが、

自国で満足に生活したり、対価に見合う労働環境がなかったりする場合、
彼らは熾烈な競争を勝ち抜いて
アメリカで成功しようと日々努力している、

ということである。

もちろん、誰でも海外で働きたいわけではないし、皆働けるわけではないのは重々承知だ。
日本がいいとか海外がいいとか、そういう話をするつもりはない。
しかし、上昇志向でもっと良い職場や研究環境を求めて、アメリカに来る学生がとても多いということを実感した。

何しろ、アメリカなら日本と比べて、研究活動で莫大な資金援助を受けることができる。
アメリカの大学教授は、受け取った資金の中から学生を雇う形で研究活動を行う。(あくまで一例である)そのため学生はというと、潤沢な資金を使って、最先端の研究ができるだけでなく、わずかながらお給料ももらえる。

日本でも研究員などになれれば、学生もお給料をもらうことができるかもしれない。しかし、それがスタンダードではない。

少し脱線するが、以前、自分の大学で大学教授らしき人2人が話している会話の内容が自然と耳に入ってきた。

「東大の入試問題は世界でみても最難関レベルで難しいが、日本の大学は研究機関というよりかはむしろ教育機関であり、日本でいくら優秀な人材が集まっても海外の大学で研究する場合が多いよね」

みたいな内容だった。



ここまでの話を踏まえて、日本の現状を見てみる。

外部からの競争にさらされていない。日本でもある程度の生活ができる、困らない。
日本語さえ話せれば、生きていけるし、日本の企業に就職できれば食っていける。
しかし、未来はどうなるか分からない。
もし、海外に出よう、と思ったとしても、すぐ淘汰されるかそもそも競争できる位置に立てずに国内にずっととどまる可能性だってある。

小さい時から英語で教育を受け、理数学系に強く、今や世界のIT企業で地位を築いているインドの人々のバイタリティや向上心みたいなものに感銘を受けた。

日本に生まれてきて、レールがある程度敷かれていて、それにのっかるとある程度生活できるのはメリットかもしれないし、経験のない人が働いて成長できる良さがある。
しかし、こうなりたい、こうしたい、みたいな思いを多くの人から聞くことは無かった。
向上心高く、生きている人にそんなに出会わなかった。

自分もそう。振り返ってみると、何か人生で成し遂げてやろうという気概や高い志が無かった。留学中、ねこぬはaimlessだね、と言ってくる人もいた。

言われた通りのことをきちんとやる、皆と同じことをする

そういった教育が日本の学校教育の特徴だと思うが、日本の社会でもそういったことが求められてきたからこそ、逆に個人が何をしたいか、ということに教育のフォーカスが当たっていないと思われる。

もちろん、自分自身も自分のことを知らないまま目標もなく生きているということに反省をしている。どうすれば自分のことがわかり、得意な事をもって社会に還元できるだろうか、と考えている最中である。


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