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短歌~随筆・エッセイ~詩 何で伝えるか

短歌を始めた友人がいる。ちなみにその人の16タイプはENFJ。
さすがだなと思うところは、何かに掲載されたり、取り上げられた作品をLINEで知らせてくれるところ。いつの間にかTwitter(現X)に投稿なんぞもしている。感想など返信しながら、私の短歌の知識も広がってきた。ことばを吟味したり、創作の楽しさはよく伝わってくる。

それにしても、短歌ってむずかしい。
文字数は限られていてシンプルだけど、その意味をまず考えこむことになる。そして、解釈を見て、あらっそういうことかと思ったりで…

創作できるのいいなと思ったけど、どうやら私は短歌向きではない。
もっとストレートな方がいい。何かやってみたいな…と思ったのが、noteで自分も執筆する動機になった。やってみて、やっぱり、思ったままにことばを尽くせる文章を綴る方が楽しい。

それでも、年賀状を書く折に思いつきで一句詠んでみた。年賀じまいどうしようかと思いながら、プチ断捨離の折みつけた猫のポストカードを活用した年賀状に添えた一句

  時の顔 ならぬ吾輩前を見て 祝う新年
  破顔一笑


猫→「吾輩」を使ったことに自己満足の一句♡
「時」か「年」でいくか、言葉の選択に悩む。
(これが吟味するってことね)

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詩も高校生くらいの時は「むずかしいなー」と思っていた。

社会人になって、詩にすくわれるようになった。
谷川俊太郎さん、茨木のり子さん、長田弘さん
すっきりとした言葉で伝えてくれるのが好き

最近、noteで詩を詠んでいる方もみかける

読んでみると、やっぱり、ちょっとむずかしい
繰り返し繰り返し味わうことが必要だと思う

そして、私も詩を詠んでみたくなった。
詩って、浸る部分が強くなりそうだけど、それも(それこそが⁈)いいところかな


  辺境に行きたい人

なぜに
知っている人のいないところへ行きたいと 
思っているのか

好きになれない自分を置いてこうと
目的のない自由を求めて

逃げるように知らないどこかへ行こうと
思っているよう

だけど知ってた?
「逃げる」と「挑む」の中には
同じものが入っている
それは変化の「兆し」

「逃げてもいいんだ」って自分を肯定した日
それは行方の知らない
新しい道への挑戦がはじまった日

だから そんな自分を愛おしく眺めて
心を開いた方が上手くいくこともあると
生きるコツを掴む日が来ますように

辺境と思ったところも いつか
自分のホームグランドとなる日がくる
その時に苦しくならないように
自分から挑むことを億劫に思わないで

もっとも そんな心配など無用な
ことかもしれないね
私とあなたは違うのだから

~「桃」の節句に贈る~


春と冬が共存している3月










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