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好評につき、心に響いた言葉 Ver.2

今回は、『夜と霧』の作者で精神科医・哲学者のV・E・フランクル特集です。フランクルは、約2年間強制収容所に入れられた後、奇跡の生還を遂げました。

『時代精神の病理学 心理療法の26章』宮本忠雄訳(2002)みすず書房

「前世紀に初めて鉄道が通じたとき、医学の専門家たちは「そんな速いものに乗ったら最後、人間は病気になってしまう」と考えました」が、ドストエフスキーの人間を「どんなものにも慣れてしまう動物」という定義が正しかった。(p18)

「普通、人間は過ぎ去った刈田だけを見て、過去存在というゆたかな穀倉の方はうっかり見のがしているのです」(p29)

(職業意識の高い勤勉な看護婦が重病となり、職務を果たすことができなくなった。彼女は死ぬことよりも患者のために献身することができないことを悔しがった。それに対してフランクルが述べた部分)
「あなたは看護婦として一身を捧げたあの何千という病人たちに対して間違っていないだろうか-病気や病弱で働けない人たちの生活が、あなたにはまるで無意味だとでもいうようだが、それは間違いではないだろうか?あなたがここで絶望してしまえば、あなたは人間生活の意味をまるで人間が一日何時間働くということにおいていることになる。しかしそうなると、あなたはすべての病人や病弱者の生きる権利や生存の資格を何一つ認めないことになってしまう」(p30)

『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳(1993)春秋社

「人間は、教師口調で叱られたくないものなのです」(p15)

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことではなく「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです」(p27)
<補足>これがフランクルの思想の中核を表すものです。

「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起している(上部「、」)からです。私たちは問われている存在なのです(上部「、」)。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体(上部「、」)、問われていることにほかなりません」(p27)

『生きがい喪失の悩み』中村友太郎訳(2014)講談社学術文庫

「人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度においてのみ、自己自身を実現することができるのです」(p26)

「ほんとうに無意味であるような生活状況など存在しません」(p52)

「自発性の残余を、さらに現代人から奪うものは、pressure groups[圧力関係]であります」(p111)

(治癒する見込みがない患者は、自分の生活がまったくに無意味になったのではないかという疑問を自分や医師にぶつける。そもそも医師の役割は)「患者に苦悩する能力を与えること」である(p133)

子ども「神はどれほどの愛があるの?」
 父 親「神さまはお前をはしかから救い出してくれたじゃないか」
子ども「そうね。だけど最初に神さまはぼくをはしかにしてしまったんだよ!」
<補足>病気にも意味がある。それは人間的な意味了解を超えるものである。しかし、その意味了解が出来ないからと言って、神の仕業だとしてしまうと医師を挫折させる。


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