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いい大人に出会うこと

子どもにとって大切なことは、いろいろあると思いますが、先日、日本初のスクール・ソーシャルワーカーの人(80歳くらいの人)が書いた本を読んで、なるほどと思いました。

それが、タイトルにも書いた「いい大人に出会うこと」という言葉です。
いい大人とは、大人が認めるいい大人ではなく、子どもにとっていい大人です。

じゃあ、どんな人が子どもにとっていい大人かというと、「自分のことを心から一生懸命考えてくれる人」だそうです。
こういう人が1人でもいれば、その子は前向きに生きていけるということです。

そして、子どもの声を「アリの足音」にしてしまわないことです。
以前も書いたように、アリの足音なんかあるわけがないとか、一度も聴こうとしなかった人には、けっして、アリの足音は聴こえません。

聴こうとするからこそ、聴こえるのです。
その子のことを一生懸命に考えるなら、まずは、その子の声を聴かなければなりません。
もし、口を開いてくれなかったら、開くまで辛抱強く待つしかないのです。

教師を長くやっていると、先に正しい道を想定し、何とかしてそこに向かわせようとする癖がついてしまいがちです。
だから、子どもがせっかく話しかけたのに、その話を最後まで聴くことなく、途中で話の腰を折って「それは違う」と否定してしまうことが多くなります。

話の途中で遮られることほど、不快なことはありません。
せめて、いったんは「なるほどなあ」と少し間を取るくらいの余裕が聴く側に必要だと思います。
それがどんなに間違っていたとしても、そう考えていること自体をないものにすることはできません。

だって、すでにもう、そう思っているのですから。
それを否定するのは、その子の存在を否定することです。

私は、子どもが人として許せないようなことを口にした時でも、いったん最後まで聴いた後に、自分の考えとして、人としてなぜ良くないのかを静かに話すようにしたいと思います。

それは、子どもが「殺すぞ」とかいう言葉を口にするとき、本心ではないことがほとんどだからです。

単に言葉を知らなかったり、敢えて汚く相手を罵ることで、目の前の相手の反応を確認しようとしていたりするのです。

この段階では、まだ子どもの声は「アリの足音」なのです。


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