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「損した虫」を飼ってる小さい男

いちいち得だの損だのと考えるのは、人間として器が小さい証拠である。
けれども、ついつい考えてしまうのである。

時折、ほんのかすかな声が聞こえてくる。

「損をしたと思うのは、人間の性(さが)だから仕方がないじゃないか、そう思えば楽になるぞ」

そして言うのである。
「お前、損してるんじゃないのか」
小さな虫の声のようなかすかな音量で(決して幻聴ではない)。

先日、文具店で愛用の4色ボールペンの替え芯を買った。
私が使っているのと同型のボールペンの横にあった替え芯を選んだ。
ところが、家に帰って差し込もうとすると、これが入らない。
明らかに太さが違う。
よく見れば、そもそもメーカー自体が違っていた。
馬鹿なことをした、で済めばいいのだけど、

「どうして、違うメーカーの替え芯を真横に置いてるんだ」

と、一瞬(ほんとうにほんの一瞬です)、店に対して腹が立った。
まったくの無駄な買い物になった。
「お前、損したな」
一瞬(ほんとうにほんの一瞬)どこかで声がした。

小さい。
実に小さい。
悲しいくらい小さい。

少し前、結構大手の出版社から自費で出版した。

ちょうど1年前、その出版社から送られてきた出版費用の見積もりを見て、一瞬血の気が引いたのを覚えている。

「く、くるまが買える……」

しかも大手の場合、素人の紙媒体による自費出版は、重版が決まらなければ印税率は0%である。

それでも、一生に一度くらいは名のある出版社から出したいという思いに勝てず、清水(きよみず)の舞台を3つくらい積み上げたところから飛び降りる覚悟で、契約を交わした。

その時は、それで満足だった。

1年後、実際に出来上がった本を手にする。
本の仕上がり具合に何の文句もない。
いや、むしろさすが大手だけはあるって、紙の質や帯のつけ方など、どれをとっても十分満足のいくものだった。

なのに、あの虫のささやきが聞こえるのだ。
「これで印税がついてればなあ」と。

不思議なのは、事あるごとにひょこっと顔を出す「損した虫」のことを、私はそれほど嫌っていないのである。
どうにもこうにも嫌いになれないのだ。

私の人としての器が小さいのは、無意識に「損した虫」に餌を与えているからかもしれない。

どんな餌なのかはわからないけど。




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