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第91話 藤かんな東京日記⑬〜子宮頸がんで判った彼の本質〜


 2024年3月28日、婦人科に行った。AV撮影のための性病検査ではない。子宮頸がんの定期検査だ。
 18歳くらいの頃、世間で子宮頸がんワクチンの接種が勧奨され始めた。私は母の勧めで接種しに行った。それ以降は2年に1度、子宮頸がんの検査を定期的に行っている。

婦人科からの恐怖の電話

 4年前のこと。私はまだ会社員として働いていた。平日の昼間、デスク作業をしていると個人用のスマホが鳴った。見慣れない電話番号だったので着信を無視した。しかし「03ー」から始まる番号だったので、どこからの電話か気になり、電話番号を検索した。すると「〇〇レディースクリニック」と出てきた。1週間前に子宮頸がんの検査を受けた婦人科の名前だった。私は急いで掛け直した。
「折り返しお電話ありがとうございます。先日受診いただいた子宮頸がんの検査結果についてお電話しました。お伝えしたいことがあるので、ご都合のつく時にまた受診してください」
 はて。お伝えしたいことって何だろう。つまり・・・・・・。
「結果が良くなかったんですか?」
 私は聞いた。
「担当の先生から直接説明を受けていただきたいので、ご都合のつく時に受診してください」
 電話で言ってくれないということは、良くなかったってことじゃないのか。もどかしさと不安で言葉が出なかった。私は「分かりました」と言い、次の診察予約をとって電話を切った。
 週末、早速婦人科に行った。診察室に通され、先生の前に座った。もじゃもじゃした眉毛が印象的な、50代くらいの男性の先生だ。
「子宮頸がんね。もう少し詳しく調べた方がよさそうなので、精密検査に出しましょう」
 結果は子宮頸部の細胞が変異している可能性があるとのことだった。先生曰く「細胞の顔色が良くない」らしい。しかし細胞を摘出して検査をしないと、どのくらい悪くなっているのか分からない。だから精密検査をすると説明された。
「この再検査はよくあるし、現段階で手術ってことは、まずないと思うから大丈夫ですよ。ただ可能性はゼロではないので、しっかり検査しておきましょう」
 手術。可能性はゼロではない。考えまいとしてもその言葉が反復してしまう。
私は診察台で仰向けになり、天井を眺めた。「少しチクッとしますよ」と先生の声が聞こえ、下腹部に眉間の皺がよる程度の痛みを感じた。

女であることを再認識した

 約1週間後、平日の昼間、婦人科から電話が来た。「精密検査の結果をお伝えするので、ご都合のつく時に受診してください」とのことだった。電話口で言ってくれないということは、あまり芳しくなかったのだろう。もう結果を聞き出そうとはせず、大人しく電話を切った。今ここで聞いても結果は変わらない、と諦めていた。しかし不安は不安だ。職場のノートパソコンで「子宮頸がん 再検査」「子宮頸がん 手術」と検索した。病気のことを自分で調べても、良いことはないと分かっているが、理性とは違う意識が働いていた。
「性経験のある女性であれば50%以上が生涯で一度は感染する、一般的なウイルスです」
 そうそう、みんな罹るやつやで。
「年間3000人が死亡している」
 多いん少ないんか分からんな。
「手術の方法は、子宮頸部円錐切除術、子宮全摘出術・・・・・・」
 子宮全摘手術の文字を見た時、あっ、と手が止まった。妊娠できなくなる可能性もあるのか・・・・・・。吸う息が冷たく感じた。これまで積極的に、妊娠や出産をしたいと考えたことはなかったが、それが一生できなくなることも考えたことがなかった。生殖能力がなくなる。私は今、動揺している。自分が女であることを改めて自覚した瞬間だった。

子宮頸がんは人間の本質を暴く

 その頃、仲良くしている男性がいた。同じ会社の上司だった。名前は中谷さんとしておこう。彼は15歳年上で、妻子持ち。彼と私がどんな関係かは、ご想像にお任せする。
 ある日、彼と難波の焼き鳥店で食事をしていた時のことだった。
「明日、何すんの?」
 彼は聞いてきた。明日は土曜日。子宮頸がんの再検査結果を聞きに行く予定だった。検査結果のことを考えまいとしていたのに、思い出してしまって気分が塞いだ。そして少し黙り込んだ。今の不安な気持ちを聞いてほしかったが、彼に話しても検査結果は変わらない。適当な予定を言おうとしたが、なぜか何も言葉が浮かんでこなかった。
「なんなん、なんかあんの」
 黙る私を見ながら、中谷さんはへらへらと笑っている。呑気な彼を不快に感じ、「明日、病院行くねん」と言ってしまった。一度口にしてしまうと、堰を切ったように不安な気持ちが溢れ出した。そして子宮頸がん検査で再検査になったことを話してしまった。
「子宮頸がんのウイルスってどうやって見つかったか知ってる?」
 私が話し終えると、彼が言った。きっと重い空気を変えようとしてくれたのだろう。
「昔、海外で、修道女に子宮頸がんに罹った人がいなかったことから、分かったんやで。つまり男からもらうウイルスなんや」
 子宮頸がんは性交経験のない修道女は発症しないことから、性行為と関係の深い癌と分かったらしい。
「でも俺の奥さんは子宮頸がんに罹ってへんぞ」
 一瞬、彼がなぜ突然、自分の妻のことを言ったのか分からなかった。しかしその意図はすぐに分かった。中谷さんと結婚して20年以上になる奥さんは、子宮頸がんに罹っていない。夫である中谷さんから感染されていない。つまり中谷さんはウイルスを持っていない。だから、私が子宮頸がんウイルスを持っていることは、中谷さん経由ではない。それが言いたかったのだろう。
 この人は自分の家が火事になったら、奥さんも置いて、真っ先に逃げる人やろうな、と思った。彼は「不安やんなあ。かわいそうになあ」と喋り続けている。私は黙って見つめた。浅はかでちっぽけな男に見えてきた。この人は相手の体調よりも、自分の潔白を証明する方が大事なのだ。私から「性病うつされた」と責められるのが怖かったのかもしれない。さらには自分の不倫を、会社で言い振らせされるのを危惧したのかもしれない。ああ、馬鹿馬鹿しい。私は完全に見下された女だ。それにしても見下し方が分かり易すぎるねん。舐めんのもええ加減にしろよ。
 その後、彼との関係は徐々に薄れていき、自然消滅した。

 翌日、婦人科に行った。再検査の結果は「中等度異形成」とのことだった。手術などの積極的な治療が必要となる、前段階の状態らしい。
「細胞の顔色は良くなかったんだけど、癌になる手前だから大丈夫です。この段階なら、自然治癒で治るので、経過観察していきましょう。とりあえず、3ヶ月後に再検査してください」
 先生は検査結果の紙を渡しながら言った。そこには読んでもよく分からない英単語が並んでいる。
 癌、かぁ・・・・・・。
 大丈夫と言われても、「癌」はやはりパワーワードだ。ワクチンも打ったし、2年に1回ちゃんと検査行っていたのに、悪くなるんやなあ。
「俺の奥さんは子宮頸がんに罹ってへんぞ」
 中谷さんの言葉が蘇ってきた。なんだか悔しくて虚しくて、思わず涙が出てきた。先生は何も言わず、ティッシュを差し出してくれた。
「今日ね、あなたと同じ患者さんが3人いたの。でもみんなちゃんと定期検査に来てたから、状態は悪くないし、自然治癒で治ります。大丈夫。心配しなくても大丈夫」
 先生のもじゃもじゃ眉毛が優しい角度で垂れ下がっていた。珍しい病気でないことも、大丈夫だってことも分かってる。なのに、どうして私は泣いているんだろう。この涙は自分が可哀想で泣いている涙だ。私も浅はかでちっぽけな人間。
 恥ずかしくて情けなくて、しばらくティッシュに顔を埋めていた。

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