懐かしのジャック&ベティ
親善大使のようなジャックとベティ ②
Jack and Betty”の教科書は、新クラスメー
トのジャックとベティの紹介から始まり
ます。二人の家庭は典型的なアメリカの
中産階級で、それでガレージ付きの家に
は大型車、テニスコート、冷蔵庫のある
ビングルーム、ダブルベッドのある寝室、
ソファーやテレビなどがありました。彼
らにっとってはごく日常的な生活環境が、
戦後処理からようやく立ち直った日本の
子どもたちにとって、まさしく海の向こ
うのまだ見ぬ憧れの世界、いやもっと大
げさにいえば理想郷の舞台となっったの
は無理ありせん。
●ジャックとベティは、このアメリカの
豊かな生活をエンジョイしながら、自由
な考えや生き方までも、日本人に教え
ようとする役目があったような気がしま
す。その意味では、二人は重要な使命を
果たした親善大使だったのかも知れま
せん。今して思えば、この”Jack & Betty”
は教育という名のもとに、アメリカの
壮大な仕掛けが背後にあったのではない
でしょうか。
●その証拠に、一人の英語嫌いのボクが、
見事にこのジャック&ベティの世界に
はめられてしまい、当時のボクにとって
は、アメリカのすべてがもの珍しく、
憧れの対象となったからです。
しかも、このテキストでは、主人公
のJackとBettyが、彼らの毎日の生活の
様子が、1年の季節の移り変わりと共
に盛り込んであります。ですから、
この本によって当時のアメリカの
学校や家庭の生活の一部を知ること
ができました。それと同時に、それら
が12~15才の少年少女の身辺 に起り
うる体験として書かれているので、
ちょうどその年令に達していたボク
ら学習者としては、最も多感な年齢
のときに直接的な影響を受けたことに
なります。
ジャックとベティはどんな人か?
●長い間、この二人の人柄についての
関心は宙ぶらりんの状態だったのが、
ある本がきっかけで、その謎が解けた
のです。
●それは清水義範著『永遠のジャック&
ベティ』(1991、講談社文庫)という
本に納められている短編でした。これ
は20頁ほどの短編であるが、思いもよ
らないストーリー展開に目が覚める思
いがしました。
●内容はジャックとベティが50才で再会
し、のような会話がなされたかの場面が
中心になっています。会話のポイントは、
二人の話す英語が中学生の時代に逆戻りし、
ぎこちなさを感じさせるものです。
●その冒頭部分を引用すると、次のよう
になっています。
その女性を見つめているうちに、
ジャックの頭の中で時間の逆流が生
じていった。品のいい知的な顔立ち、
輝くブラウンの瞳、もう若くはない
のだが。決して女の色香をうしなっ
ていない魅力的な女性。
(中略)
やあ、もしかしてきみは、ベティ
じゃないのかい、という普通の会話
言葉が出てこなくなり、中学時代の
奇妙な言葉遣いに戻ってしまった
のだ。
「あなたベティですか」
そう問われた女性の顔に、驚きの色
が広がった。そして、彼女も懐かし
さのあまり言葉が変になってしまっ
た。
「はい、私はベティです」
「あなたはベティ・スミスですか」
「はい、私はベティ・スミスです」
間違いはなかった。その言葉遣いには
昔の面影が色濃く残っていた。
女性のほうが質問した。
「あなたは、ジャックですか」
「はい、私はジャックです」
「あなたはジャック・ジョーンズ
ですか」
「はい、そうです」
なんということでしょうか。これは
教科書の最初にあった自己紹介の文
で、二人とも昔にタイムススリップ
したように、奇妙な会話が連速します。
そして、話の所々に会話らしくない
ぎこちない表現が出てくるが、これ
がほとんど教科書の文書を基にして
セリフ書き直しているのです。これは、
大発見でした。なぜなら、私がこの
前のブログで指摘したように、中学生
ながら教科書のジャック&ベティの
会話に不自然な表現があると感じて
いたことを証明してくれていたから
です。
80才の今頃になってから、こんなこと
を知るのですから、長生きはするもの
ですね。
それに、今やどこへ行っても英語、
英語と話題になりますが、私は20歳
の大学生のときに英検1級に合格して
いるので、世間の英語信者の言葉に
惑われることなく、マイペースで、
その後の中国語、韓国語、べトナム
語なども勉強し、今やネットフリッ
クスの映画などを原語で楽しんで
います。
要は、外国語の勉強は、自分の直感
を信じて、しっかり目標を立てて
勉強することではないでしょうか。
すません、このブログの左に突然
出てきた●印が消えなくなりました。
アナミズ (2024.01.29)
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